先日、ふと目に留まった過去の記事。
2010年の12月に私が書いた記事でした。
そして、びっくりした!!
でも、正直なところ、この時気づいたことは自分でも腑に落とせてなかったのです。
自分の中から出てきたことで、自分が書いたことなんですが。
だけど、今ではこの記事に書いたことが本当によくわかる!
これを理解するための2011年&2012年だったのかも、と思うくらいです。
あまりにびっくりしたので、再投稿!
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この記事でわたしは、
http://ameblo.jp/megumillier/entry-10737953032.html
ひとつのモノに集中することによって、周りが見えなくなる。
空間があることによって、モノは際立ち存在感が増す。
だけど、本当は空間によってそのモノが支えられている、
ということを書きました。
この時に思ったことは、「顕在意識」と「潜在意識」。
モノが顕在意識であり、空間は潜在意識だと思ったのです。
ところで、先週2010年度のココロとカラダ塾は終了しました。
最終回のテーマは
< カラダは潜在意識の欲求にしたがう >
テキストの中の素朴なフレーズにはたくさんの刺激がありました。
しかし、わたしが一番印象的だったことは、おのころ先生のお話。
DNAの2重らせんは結合水によって保たれている、という。
その二つの相互作用により、それぞれ固有の三次元構造を作り出す。
これを聞いた時に、わたしがミソラちゃんの講座で気づいた、
「空間」と「モノ」の関わりを思い出したのです。
わたしたちは、見えるものを見て、その事象だけをとらえるけれど、
実際はそうではなく、見えないものまで本当は見ている。
モノはモノだけとして見えているのではなく、
DNAのようにそれを支える水=空間によって支えられる。
それは、見ようと思わないと見えない。
しかし、見たい・知りたいと思うと見えるようになるのです。
見えないものは、どうしても後回しになるし、もしかすると、
そんなものは信じられないし、存在しないものとして片づけられる。
そんなこともあるかもしれません。
だけど、宇宙は存在しています。
わたしたちの多くは地球の外に飛び出したことはないけれど、
その宇宙の存在は知っていて、そしてそれを信じている。
なぜ宇宙を信じられるか?というと、他からの情報に委ねているから。
ならば、どうして自分の内側と外側の領域を信用できないのだろう?
感じようと思わないのだろう?と思ったのです。
もしも、自分の内側からの情報「カラダの症状」を何かの情報とし、
そしてそれに委ねることが出来たなら、「不快」とすることさえも、
今までと違った側面から、もっと大きいところから捉えることが出来る。
カラダの症状だけでなく、行動やココロの動きも同じことが言えますね。
潜在意識の欲求を知る。
本当のワタシは、どんな欲求を持っているのだろうか?
それを知ることって、実はとても簡単なことなのです。
それは究極の面白さかもしれない。
そんなことを思う今日この頃です。