実家に行った帰りに立ち寄った書店で見つけた「散歩の達人」4月号
千歳烏山・仙川・調布と、京王線沿線の特集号です。
東京の人口のうち他県出身者の割合は(2016年の調査で)約45%。
一方で、東京都下といわれる多摩地区には他県出身者が少ないように感じています。
なぜなら、多摩地区で生まれ育つと地元に愛着を感じる人も多く…
電車1本で都内(23区)に出るのも容易いので、生活するには便利なんです。
私が生まれ育ったのは、調布市のつつじヶ丘。
(出生当時は金子町でしたが…)
京王線のつつじヶ丘駅からは新宿まで17分。
そこそこの短時間。
だから…
昭和40年に我が家の近くにあった広大なレンゲ畑に「神代団地」ができたときには、大人気で抽選倍率も高かったと聞いています。
『散歩の達人』では、このように紹介されています。
「ゆるやかに時が流れ、多幸感あふれる神代団地」
団地ができたのは、私が小学校1年生のとき。
商店街やスーパーマーケット、郵便局や銀行の出張所もあって…
毎日のおつかいは、ほとんど(徒歩4分ほどの)神代団地で済ませていました。
たしかに今でも「神代団地」と聞くと…
ここで過ごした懐かしい日々が甦り、不思議な多幸感に包まれます。
雑誌のページを捲りながら幸せな気持ちに浸っていた私ですが…
ふと目を留めた1枚の写真で、その気分は一瞬で吹き飛びました。
団地の広場にある擦り鉢状の砂場。
当時私たちが「アリ地獄」と呼んでいたこの遊具(?)
本来の遊び方がどのようなものかは分かりませんが…
当時の子どもたちの間では、写真の子どものように、擦り鉢の壁面を(落ちないように)全速力で何周回れるかを競うゲームが度々行われていたんです。
当時(たぶん小学校3年生)の私は誰よりも早く、誰よりも多く回れる自分が嬉しくて…この場所に来るたびに、ぐるぐると走っていました。
そんなある日。
この日は、妹(5歳)とふたりで広場に行き…
いつものように、ぐるぐるとアリ地獄の壁を走っていたのですが…
壁をつたって垂れ下がる鉄の鎖①を誰かが引っ張り…
そこに足を掛けて転んだ拍子に、鉄製の手すり②に胸を強打するという、とんでもない事故が起こってしまったのです。
胸の激しい痛みで呼吸することもできません。
生まれたはじめて「死ぬかもしれない」ことを実感した瞬間でした。
いっしょに居たはずの妹は母を呼びにいってくれたのかしら…
そのまま意識が遠のき、気付いたときには砂場の上で寝ていました。
夕闇が迫り、団地の窓に明かりが灯り始めています。
誰もいなくなったアリ地獄をなんとか這い出た私は、そのまま身体を引き摺るように家に帰りました。
この日のことは鮮明に覚えています。
同時に、この日味わった苦痛と悔しさと悲しさも忘れることができません。
団地の多幸感と、その隙間に潜む嫌悪感が今でも複雑に心を揺さぶります。
「ジンダイダンチ」と聞くと胸がザワザワするのは、どちらの感情なのかしら…