「めぐみさ~ん」
元気な声で電話が掛かってきた。

「探したらね、あったの。スーパービッグ!」
「えっ、何?」
「めぐみさんがブログで書いてた、さとちゃんが使ってるオムツだよ!
売っていそうな店を何軒も探したの。
そしたらね、少しだけど見つかったの」

電話をくれたのは、はる奈ちゃん。
私のたいせつな友だち。
といっても、2周り以上も年の違う若奥サマだ。

はる奈ちゃんとの出逢いは、ゆっぴいの一周忌。
霊園の隣りにある「クリスマス亭」で食事をしていたら、
可愛らしい女の子が2人、窓際の席にいた。

中学2年生だというその女の子たちは、
ゆっぴいのお墓参りに板橋から来てくれたというのだ。
(板橋と調布はかなり遠いのです!)

ゆっぴいは可愛い子が大好きだったから、
きっと大喜びしているに違いない。

すぐに友だちになった。

はる奈ちゃんは身体が弱く学校に行けない日も多かったが、
それでも人一倍の頑張り屋で、高校受験も突破。
その高校を卒業するころには、
「看護師の資格をとるの!」と嬉しい報告ももらった。

5年前、そのはる奈ちゃんが結婚すると聞いて驚いた。
まだ20歳そこそこの、こんな可愛い子を嫁にもらおうなんて、
私が親だったら絶対に許さない!(笑)

でもね。
お相手は、とてもとても優しい素敵なお医者さまだった。
子供もできたと聞いて、私は飛び上がって喜んだ。
あの身体が弱かったはる奈ちゃんに、赤ちゃんができたんだ!

ところが・・・。
それからしばらく連絡が来なくなった。
「子育てに忙しいのかな」
子供みたいに可愛いはる奈ちゃんが
小さな子供を抱っこする姿を想像しながら、
私は遠く離れた親戚のオバチャンのような気持ちで、
はる奈ちゃん一家の幸せを祈っていた。

が・・・。
昨年、久しぶりに来た連絡は思いもかけないものだった。

難治性てんかんと末梢神経神経障害で車イスの生活になったと。

信じられなかった。
誰よりも優しくて可愛くて頑張り屋のはる奈ちゃんに、
どうして・・・。
少しだけ、神サマを恨んだ。

車イスになっても、はる奈ちゃんは変わらなかった。

講演会にも積極的に来てくれる。
細くて小さな身体で、2人の子供を育ててる。

     ラブラブ

その、はる奈ちゃんからの電話だった。

「今からね、国立まで持って行くから」
「えっ、千葉から持ってくるなんて無理だよ。
ガソリンが買えるようになったら私が車で取りに行くよー」
「平気、平気、私も車で行くから」
「誰か運転してくれるの?」
「自分で運転するよ」
「えーーーっ!」
「手動カー借りられたから大丈夫♪」

勢いに押されてOKしてしまったが、
ハラハラしながら着くのを待った。

電話が鳴った。
「インター降りたんだけど、道が分からないやー」

「やだ、そこを動かないでよ。すぐ迎えに行くから!」

道も分からないのに、借りた手動カーで国立まで来るなんて、
どこまで度胸がいいんだか・・・。(笑)

インター近くのファミマの駐車場にはる奈ちゃんが居た。
大きなオムツを3パックと車イスを車に積んでいた。
涙が出そうになった。
「スーパービッグ、いいよね。35キロまで大丈夫なんだって。
私も試しに使ってみようかなー」
ヘナヘナの笑顔になってる私に、思いきりの笑顔で話しかける。

「少し痩せたんじゃないの?」
「ちゃんと食べなきゃダメよ」
「夕食には早いからオニオングラタンスープがいいわね」
ファミレスでうるさく世話を焼く私に、
「めぐみんさん、なんだかお母さんみたいだよ」
と笑う、はる奈ちゃん。

そうだね。
私は息子を亡くした翌年に、
きっと娘を授かったんだ。

天使のように可愛らしいオンナの子。

ありがとうね。
とてもいい子に育ってくれた。

今では孫までできちゃって。
ちょっとオトクな気分。

震災は悲惨なものだった。
まだまだたいへんな状況で苦しんでいる人たちが大勢いる。
私自身の心にも、重い鎖が絡まったまま身動きが取れずにいた。

でも、震災の後で目にするのは、
あちこちに散らばっているキラキラ光る人の心だった。

「ブログを読んでてね、落ち込んでると思ったの。
会いに行ってなんとかしなくっちゃって」

オムツの代金を払おうとするといらないと言う。

「ほんとは募金をしたかったんだけど、
車イスだから手が届かなかったの。
だから、このオムツはその募金の代わり」

はる奈ちゃんのキラキラが、私の心に染み込んだ。

私、頑張るよ!
やらなくちゃいけないことがたくさんある。
被災を免れ命を残してもらったのは、
きっと誰かのために働けってことなんだから・・・。

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