「他者の"ことば"や"姿"を聴いて見て思うこと」

 

八ヶ岳山麓の産地で所用を済ませた帰り、いつになく道が渋滞していました。

車を停めて待つ間、ふと石垣を見ると、隙間からいろいろな草花が育っています。

これぞ、生きるチカラ。

与えられた環境で、それぞれがその個性ある姿を見せています。

 

 

「私は私らしく、自分が生まれてきた意味を探して参ります」

大河ドラマ「光る君へ」の中ので語った、まひろ(紫式部)の言葉です。

 

「生きている意味」……ヴィクトール・フランクルも著書「夜と霧」で、生きていることには意味があることを伝えています。

何があっても明日が訪れ、刻々と未来に進んで行きます。時は決して元には戻りません。

そして、新しい一歩を刻んで行きます。

 

少し前、アメリカ大リーグのドジャーズ×レッズ戦の始球式で、病気と闘う少年が投球し、大谷翔平さんが捕手として参加するサプライズをプレゼントした動画を見ました。

当初は、奥様に投手の要請があったものの、この提案をして進んだ企画とのこと。

自分の立ち位置でできることに想いを馳せて、できる行動をすることが「生きている意味」につながるのを体現されていました。

 

人は、それぞれの人生の舞台にいます。

何を描くかは、与えられた舞台の中で、できることをしていくこと。

それが、シナリオに沿うことでも、自ら描くことでも、オリジナルの生き方です。

 

「今、自分のポジションでできること。」……最近、よく考えています。

最先端の研究で社会課題に挑戦している若者のお話を聴いたり、高齢になっても何かに挑戦しているお姿を見聴きしたり。

政治に目を向け、子どもの教育への影響を考えると、「人の生き方」として見せられないような反面教師の政治教科書です。

 

行動することで、思いがけない展開があり、

休眠させていたことが芽吹いたり、

追い風が吹いたり……。

生きている意味を考えることより、「一日無事に生きられた」が大事に思えることもあります。

 

あの石垣の草花は、ただ空に向かって伸びています。

炎天下を生き、雨水に潤い、命の限り生きるだけ。

時には俯瞰で考えたり、自分なりに生きれば、それが生きる意味だと思えてくるのです。

 

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