「子どもに寄り添って生きたい…」
「子どもが大切にされていない…」
今年は、そんな想いになる出来事や事件が多くありました。
長野県では、公園に隣接する1軒からの苦情で、公園の廃止を決めた問題が進行中です。
子どもの声を生活音として許容できないことを発端にした苦情が18年間という時を経過し、ここ数年で子どもを除外する流れになったようです。
「誰が…」ということが報道によって全国で知られるようになる状況には怖さを感じますし、大学教授だったことで、忖度があるのではないかという声もあり、担当者が変わり続ける公的機関お決まりの、責任者不在の姿を見せています。
生活音…。
わが家はローカル線の駅の傍で、踏み切りもあるため、慣れるまでは電車の通過音が気になりました。
しかし、いつの間にか慣らされて、今では全く気にならなくなっています。
集合住宅で、赤ちゃんの泣き声に気を遣うのもよくある話…。
公共交通機関での赤ちゃんの存在にも冷たい反応があるようです。
子育てが大変な時代だとしみじみ思います。
立場が変われば、いろいろな考え方があると知った上で思うのは…、
子どもの時代は、誰もが通ってきた道だということです。
自由奔放に街々を飛び回り、楽しい歓声を上げて放課後の時間を過ごした、あの頃…。
大人たちは、どんな視線を向けていたでしょうか。
子どもの歓声や賑やかな話し声を聴きながら、「何が楽しいのかな」「どんな事を話しているのかな」と、興味の持ち方や受ける感覚で、可愛くも煩しくもなります。
赤ちゃんが泣くのも、子どもが歓声を上げるのも、成長の過程の姿で、特別のことでは無いはずです。
誰の目線で子どもの動きを管理するのか…。
子ども目線になれば、成長を抑えられる"抑圧"でしかありません。
大人になるまでの健康的な成長は、未来につながる人の道。
危険なことや、いけないことを大人が注意し、伸び伸びと遊ばせてあげる環境を維持することができなかったのは残念なことです。
車のエンジン音や、花火などは大人側が防げたことで、「持続可能」を大切に考えていれば、歩み寄る対処法があったのでは?
どうしても交渉や管理の責任者不在を感じてしまいます。
社会で子どもを育てる包容力があれば、"苦情"の成り行きが変わっていた気もします。
ダムや道路の建設などの公共の福祉のために、住まいなどの移動を余儀なくされることすら世の中にはあるのです。(当事者経験です…。)
また、公園の防災機能も街づくりを考える大切な視点ではないのでしょうか。
子どもたち…、
長い人生のはじまりに、コロナ禍あり遊び場制限ありで、"生きにくくて"ごめんなさいね。
楽しいことをいっぱい見つけて、伸び伸びと成長してほしいです。
子どもは未来を切り拓く宝物なのですから…。
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