家族のはなし
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通帳

ここ数日、いつも通帳とにらめっこ。との事。義姉からの報告。
今日も午前、2回どこかへ行って帰ってきたらしく。

今日、水曜は習い事、体操の日。
前日から金銭面の不安で疲労して休んでいました。

お昼、その原因を究明に尋ねる。
貯金が満期で、その後の手続きの手紙には
書類持参の旨。

私も良く読まなくて
結局窓口では手続きできず。

他、銀行で年金が、家賃が、光熱費が、、
きちんと入出金できてるか、記帳祭り。

複雑な通帳のせいで、記帳漏れ。
それも年金確認ができないので、
自宅に帰ってから、5回以上通帳を出しては、しまい、出してはのくりかえし。
また、記帳のために銀行へ。
安心したようだけど、
ずっと通帳を見ている。怖い。

夕食も何も言わず冷蔵庫に入れておくが、
私の忘れもの。と思い込んで確認電話来る。
「大丈夫、それ、お母さんの。」
冷やし中華だけど、どうしよう、火にかけちゃったら。
と、切ったあと、また電話。

ここのところ、
「聞いてなかった」「知らなかった」「突然なんだもの」
を連呼。
いつも、私が謝ってから何事かをすすめる。
でも、また「聞いてなかった」「知らなかった」「突然なんだもの」。

正直今日はしんどかった。
声もとげとげしくなってしまう。大袈裟に深呼吸して気持ちを整えてみる。
早く家に帰りたかった。

明日は、また郵便局。

美容院

役半年以上ぶりに母が美容院へ出向く。

先日からすすめ、
今日は習い事の体操を無事行ったのを確認し
午後3時、疲れているので後日にしようかとも
思ったけれど、
体操での循環が良くなったのか、
わざわざ出向いてきた娘と孫に対して気を使う形で
美容院へ一緒に行ってくれる。

やはり美容院の人はあやしむ顔をするも、
長年の客の異変、客筋の高齢具合で
なんともスムーズな対応で
付き添いの自分も安堵する。

久しぶりに、髪を、シャンプー、カット、軽いマッサージに母は
気持ちがよさそうで
終わった頃は顔付きが変わっていたような気がする。

髪をきちんとすることで、
随分美しくなったな。。と子バカ?かもしれないが
見ほれてしまった。

美容は、大事。
次回は現在シッカロールで代用のファンデーションを買いについて行く予定。
今日は疲れさせてしまったので、私がしてあげたいことが、かえって負担にならないでほしいので
美容院だけでまっすぐ帰宅。

日々、ゆっくりと。が私にも課題。

お金がない

兄経由で生活費をおろしてくるも
次の日になると、
「お金がない」
発言が多くなる。

今日も、お金がない。
義姉には入り込めず、SOS。私がすっとんで行く。が、兄の電話で思い出したらしい。
その他を探せば、今までおろしたであろうお金が見つかる。

しまい込んでいる場所は同じ。
そのヘンはしっかりしている、けれど忘れちゃう。

何度も通帳を見る母。
記帳にこだわり、メモをはっつける。

紛失

先週の土曜は、2週間に一度の診察日。
ここ最近は、自分で病院へ行き、毎日薬を飲む習慣ができ
きちんと病院へ行く。

が、帰ってきて
保険証がない。診察券がない。
とのこと。
この度3度目。

義姉からのメールで
再発行手配をお願いする。
病院から帰り、母の居間にて側にいた兄から
母はいつも以上に落ち込んだとのこと。

一緒に病院へ着いて行ければいいけど、
嫌がるし、病院自体行ってもらえなくなるのは困る。
本当にどうすれば、本人の自尊心をくすぐらず
うまくできればいいのか。
わかんない、と思って接すれば、わかっている。
わかるのかと思えばわからない。
イタチごっこ。

本日、母が買い物に外出時、義姉がフットワーク軽く
保険証をしまう棚を散策し、保険証は無事仕舞われていて発見。

しまったことを忘れ、無くしたと思ってしまった様子。

けれど、今後保険証は、同居している兄夫婦で管理。
母には「無くなってる」「再発行を待て」とのもと
病院通いをしてもらうことに。
家族が後ほど保険証を病院へ、薬局へ届けることはもう、今後確実。

待ち合わせ

日曜日、母に新居に来てもらい一緒に夕食を囲んだ。
いつも、思い出したように
「引っ越してきたけれど、家がわからないわね。一度行かなくちゃね。」
との言葉に、仕事ばかりで片付かない家になかなか呼べず、
なんとか、リビングからダンボールが消えたので招待をはたせた。

その日は何を食べたのか、食べてないのか
簡単な夕食、カレー、スープ、香物を残さず完食。
安心。味覚も大丈夫。

平日は、毎日少し顔を出し、会話をする。

毎週水曜の習い事、体操にここ数回休んでいるので
水曜昼、尋ねてみると、ちょうど帰ってきた所、玄関で遭遇。
体操へ行ったのかと思えば、やはり休んだようで、
しかし、そこのお友達が心配してくれたので、近くでお茶でも、との事で
待ち合わせ場所まで出向いたものの、会えなかった。との事。
待ち合わせ場所を覚えられなかったのか、慣れない道のりで迷ったのか。
聞いても、良くわからない。
ここ最近は良くある出来事。以前はがっかりした顔をして義姉にその旨を報告していたらしいのだが
今日は、なんてことない、日常のことのように私に話す。

夕方又顔を出す。
また玄関で会う。再度、わかりやすい所で待ち合わせたのか、
友人と無事お茶ができたようで
明るい顔。

けれど、この先の進行具合で、どこかへ行って、戻ってこれないかも、しれない。

靴も古いまま(新しく買ったのに)、鞄のチャックも壊れたまま、
でも化粧はしている。
まだ、大丈夫。

仕事

4月から私の子供が小学生になる。
今まで保育園に預け、仕事をしていた。
けれども、介護にそなえ、そして子供にももっと目を向けていたいと
思い学童には入らない。

仕事は、学生時代から思い続けてきた仕事。
なりたいものに、なるために
私なりに努力もしたし、周囲に迷惑もかけてきた。
軌道に乗らずパートとかけもちしてまで、どうにか続け
ここ1年少しは安定、、まではいかないけれど
その職種の名前を少しは自身を持って言えるようにはなった。

けれどもう自分ばかりの事はできない。しかし全てをあきらめる必要はない。
私自体がおかしくなったら本末転倒になる。

仕事の数をセーブして家族をメインにすれば良い事。

だけど自分は気持ちがうまく切り替わらない。
せっかくきた案件を断るなんて、身が切られる気持ち。
今後もつなげていきたくて仕方がない。
うっかり正直な事を述べてみるも、
冷静に考えれば、そんな個人的な事他人にとっては
困らせる、対応しかねるのかもしれない。

いちいち傷つく年でもない。
どんな人にも大変な事があると思うと話を聞いてもらう気がすくむ。
必要最低限で対応すべきことに
何よりもこの震災で大変な時期に私のバカみたいな悩み。
そして誰のせいでもない。全て自分で決めたこと。

でも、こんなくだらない気持ちもパンクしそう。
ブログを開いたのは、やっぱり誰かに話しを聞いてもらいたい、
聞いてもらえるだけで救われる。

こんな理由より。


代理

私が代理することが増えた。

アパートの管理をはじめ
金銭、役所、病院、生活にかかわる書類や、対応など。

なので、だいたいの連絡を私がとり、母に報告する。

「なぜ、娘が先に知っているのか。」

納得するような返事はするも、投げやりな言い方や
険しい表情に、私もこらえきれなくも、なる。

そういうときは早く退散する。電話をきる。
孫に会わせる。

母もきっと、何かがおかしい。知らないうちに進んでる
気持ち悪さを感じさせているのです。

一緒に住んでる、義理姉の実父は脳梗塞により母よりもっと進んだ症状で
4月より介護ベット導入し車いす生活に入る。
姉には感謝でいっぱい。私のできることはもっとあるはず。

ケアマネージャー

以前、介護保険を認定してもらうために、
調査員と包括センターの面談があった。

他人に対しては
いかに自分は元気で人の手助けは無用なこと。
何でも自分はできること。
身体が柔らかく、ここで足を床にぺったり付けても良いと
話をものすごく大きく話していた。

もう、食事も作っている所は見たこともない。
掃除もしていない。

作り話、とはいかないが、
時間単位まで出して以前こなしていたことを
現在していることとして話している。
その時本人は本当にやってると思っているのか、又は、
他人に心配されたくない、老人だと思われたくない。という強い意識なのか。
顔つきまで違っていて、
横目見ていて怖くなる。

そして、今回もデイサービスを開始したいので
ケアマネをつけてもらい、面談をする。

やはり同じ、そして、絶対にサービスには行かない。と拒否。
何度も同じ話をする。
自分は体操や書道など習い事をしているので全く必要がない。
誰もわからない、専門用語をいきなり出して話すも脈絡がなく、
聞いてる方もどうしていいかわからない。

が、やはり介護のプロ。
どうにか、母を怒らせないよう(私はうっかり怒らせてしまいそうだった)
見学をする。そして入所しなくて良い。
とウソをついてもらって帰ってもらった。

本当は、一日体験をさせて、そのまま入所させる手続きを
私は、進めた。
義理姉にも相談し、了承を得ていた。兄には義理姉を通して報告する。

兄妹としても何か感じる事が多くなる。母の私を見る違う顔。
家族が壊れそう。。。
泣きたくなるけれど、泣けない。もっと大変な人は沢山沢山いる。
だけど、何から何まで初めて対応することに心が折れそうになる。

認知症に関する本や情報は、あまり読みあさってない。けれど、この本を読んでみた。
ちょっと気持ちがわかるといい

人は最後、子供に、赤ちゃんに戻っていくのかな。

図説 認知症高齢者の心がわかる本 (介護Library)/平澤 秀人

¥1,680
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デイサービス

私は、母の自宅の側に3月引っ越してきた。
といっても、自宅でしているとはいえ仕事に、子供の卒園、入学準備
引っ越し後の部屋の整えなどで
なかなか頻繁には行けない。

その中で
東北地方太平洋沖地震。

母はちょうど一人でいたらしい。怖かったはずなのだが、
忘れてしまう。
地震の感覚はあっても、すごい揺れは忘れていた。
テレビの報道も最初不思議そうに眺めている。
私の夫は東北出身なので親御さんを、母のアパートにてしばらく住んでもらおうか。
など相談しながらやっとこの大変な震災の事情を認識はじめる。

そのうち、買い占めでいろんなものがなくなり、
トイレットぺーパーや、簡単な食事のものを
毎日届けに行く。

なぜ、ないのかも、良くわからないようだが、
兄夫婦の食事は頻繁には受け付けてくれない。

そして、トイレに一日何回行ってるのか不明だが、
1週間後、トイレットペーパー全てがなくなっていた。
トイレを行ったことを忘れてしまい何度も行くのか、
泌尿系に何か異常があるのか心配になる。
クリニックに言っておかなくては。と思う。

また、習い事を2つしている母。
体操と、書道。

薬を飲みはじめ、曜日の感覚も戻り
しばらくは行っていたようだが、
ここ地震前後
行ってないようとのこと。<義理姉より

自分でも、いろんな事を忘れてしまう悲しさ、
いらだち、は自覚していて
一生懸命メモをとる。
けれども、威厳は守りたい。

表情も、言動も悪い事が多く、
接してるこちらも、気分が悪くなってしまう事も多くなる。

習い事も行ってないのだし、
そろそろデイサービスを受けるべきと判断。

母は要介護1

金銭感覚

買い物をすると、以前も良く1万円で何でも支払っており、
小銭がものすごくたまっていた。

今も一人で買い物しているときはそうしているかもしれない。
私と一緒に行く時はなるべく、ぴったりな金額が出せるよう
サイフの中を良く見るようにする。

母は父が残してくれた
アパート経営(4部屋しかない、小さなアパート)も、
もう、住人の連絡先など書類を紛失して
わからない。
手渡しの家賃も今後トラブルを防ぐため
銀行振込に変更する。
成年後見人制度を利用しようか、兄夫婦と相談するも、
まだ様子見として
できる範囲の事をする。

ネットバンキングに入り、間接的に入出金の確認ができるようにする。
母の金銭面の場所を確認しておく

このあたりから、
兄と私それぞれの、母への対応の仕方にずれを感じる。
兄は兄で、薬箱や、火災報知器など何か便利グッズを買ってくるも、
母本人への対応や、病院への促し、市への介護認定を始め今後のケアに対する契約事など
積極的ではなく、自動的に私が主導として動くことになる。