韓流時代小説 秘苑の蝶~花惑いー彼が王族だと知らなかったから、甘えっ放しで言いたい放題だった私は | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 スチョンが頷き、室を出てゆく。室の扉が閉まるのを待っていたように、コンが言った。
「夕べはよく眠れたか?」
 唐突に問われ、雪鈴は首を傾げた。
「え?」
 コンが笑いながら言う。
「眼が赤い」
 あ、と、雪鈴は指で眼の縁を押さえた。
 夢の中で銀の蝶に導かれて王宮に行ったのだなんて、言えるはずもない。良い歳をして何を嫁入り前の乙女のように夢想しているのだと呆れられるのが関の山だ。
 なので、もっともらしい理由を口にした。
「今日が初仕事なので、張り切りすぎたみたいです」
 プッとコンが吹き出した。
「まったく、そなたは思いもかけないことを言う」 
 彼は優しい眼で雪鈴を見た。
「何度も言うが、無理はするな。雪鈴を見ていれば、両班家の娘なのだとは俺にも判る。大方、そなたは仕えて貰う側であっても、誰かに仕えたことなどないはずだ」
 雪鈴は澄まして言った。
「まずは私の仕事ぶりをご覧になってから、おっしゃって下さい」
 コンは笑いながら頷いた。
「判った。それでは頼む」
 雪鈴は衣装箱を側に置き、きちんと畳まれている衣服を取り上げた。
 コンは既に洗面と食事は済ませ、上下とも下着は身につけている。仕事といっても、雪鈴は上に羽織るチョゴリを着付けるだけだ。
 用意された衣裳を手にした刹那、雪鈴はハッと息を呑んだ。コンの衣裳は官服ーしかも紫だった。この国で紫衣を許されるのは国王に連なる血筋のみ、つまり王族だけだ。緋色は国王のみが纏える禁色、紫はその次に尊い色とされる。
「ーっ」
 言葉も無い雪鈴に、コンが気遣うように声をかけた。
「どうした?」
 雪鈴は官服を手にしたまま茫然とコンを見上げた。
「コンさまは王族でいらせられたのですね」
 迂闊だったと後悔しても遅い。イ・コン。確かに国王の血族が称する李氏姓だ。だが、朝鮮全土に李氏を名乗る一族は珍しくはない。まさかコンが王族だとは考えだにしなかった。
 雪鈴は両手を組み、眼の前まで持ち上げた。その場に座り一礼し、また立ち上がって深々と頭を下げる。貴人に敬意を表す拝礼だ。
 対するコンは呆気に取られていた。
「突然、どうしたっていうんだ?」
 雪鈴は恥ずかしさと畏れ多さのあまり、顔が上げられない。コンが王族だとは知らないから、何という言いたい放題だったことか!
これまでの自分の言動を振り返ること自体が恐ろしい。軽口も平気で叩いていた。
 彼女は消え入りそうな声で言った。
「尊い方にご挨拶致しました」
 コンが困惑したような声を上げた。
「尊い方? そんな人がどこにいる?」
 雪鈴は畏まって言った。
「コンーさま、いえ、私はあなたさまをどのようにお呼びすれば良いのでしょうか。王子さま(ワンジヤマーマ)、もしくは大監さま(テーガンナーリ)で良いのでしょうか」
 途端に笑い声が弾けた。今度は雪鈴が呆気に取られる番だ。恐る恐る見上げれば、コンは腹を抱えて笑っている。憎らしいことに、涙目になるほど笑っているではないか。
 雪鈴は恨めしげに言った。
「王子さま、何も知らぬ愚かな私があなたさまに数々のご無礼を働いたことがそんなにおかしいのでしょうか」
 またも失礼なことを言っている自覚は、雪鈴にはない。
 コンはまだしばらく笑っていたが、やがて笑いを納めた。
「何も急に態度を変える必要はないだろう」
 雪鈴は頑なに言った。
「そのような訳には参りません。あなたさまが王族だと知ったからには、相応の礼儀をわきまえねば」
 コンが揶揄するように言った。
「俺の乳母が礼儀をわきまえているように見えるか?」
 少し考え、大真面目に応えた。
「いいえ、見えません」
 言った後で、しまったと思っても遅い。
 慌てて言い直した。
「乳母どのは別格ですゆえ」
 途端にコンがまた笑い出した。
「乳母どのと来たか」
 うつむいていた雪鈴は、弾かれたように顔を上げた。いつしかコンがすぐ前まで来ていたのだ。あまりの至近距離に、雪鈴が動けば互いの身体が触れそうである。雪鈴は焦り、無意識に後ずさった。
 コンがどこか淋しげに言う。
「雪鈴、そなたまでもが俺の立場を知ったからといって、態度を変えないでくれ」
 彼は吐息と共に言った。
「皆、同じだ。俺が王族だと知るや、畏まり、距離を置こうとする」
 コンが手を伸ばし、雪鈴の黒檀の髪に触れた。今までも何度か彼はこうして髪に触れることはあった。しかし、彼が王族と知るや、何という畏れ多いことだったのかと自分の身の程知らずに震える。無知とは恐ろしいものだ。
 王族の貴公子を恋い慕うだなんて、分不相応も良いところだ。
 身を引こうとする雪鈴の身体は、次の瞬間、コンに引き寄せられた。我に返った時、雪鈴の華奢な身体はコンの逞しい腕にすっぽりと収まっていた。
「雪鈴、頼むから逃げないでくれ。俺を避けるな」
 身をよじろうとした雪鈴は、彼の切なげな声に止まった。あたかも幼子が母に見捨てないでと訴えかけるような響きだ。
「王族といっても、俺は傍系のそのまた傍系だ。今の国王殿下と親戚とは名ばかりなんだ。そなたが考えるような、たいそうな身の上ではない。だから、今までと同じように、俺を真っすぐ見て話したいように話してくれて良い」
 雪鈴がか細い声で言った。
「判りました」
 それでも、コンは離してくれそうにない。雪鈴は重ねて言った。
「判りましたから、離して下さいませんか、コンさま」
 コンが名残惜しそうに手を放すと、雪鈴はほんの少し警戒するように彼から距離を取った。コンは相変わらず淋しげに見ている。
「先ほど言ったのは嘘ではない。俺は王族とは名ばかりの、誰からも忘れられているような存在だ。朝廷で俺の名前を知っている者なぞおるまいよ」
 雪鈴が恐る恐る言った。
「失礼ですが、王族としてのお名前を伺っても?」
 コンがひそやかに笑った。
「文陽君だ」
「文陽君さまー」
 コンの端正な面に濃い翳りが落ちている。
「そなたにはその名で呼ばれたくない。今まで通り、コンと」
 刹那、雪鈴は悟った。文陽君・コンは孤独なのだ。恐らく彼の言葉は何一つ間違いはないのだろう。名ばかりの王族。それが何を意味するかは、雪鈴でも知っている。
 ただ王室の一員というだけで、名ばかりの名誉職だけを与えられ、生涯を飼い殺しになる日々だ。体面があるために才覚があったとしても、それを活かすすべもない。