韓流時代小説 秘苑の蝶ー惑い~結婚したけど私は夫に抱かれてない。それでも私は「妻」として死ぬの? | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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「あんた、誰? 生憎と、うちのお屋敷は今、人手が足りてるから、雇って貰うのは難しいと思うよ」
 仕事を探しにきた平民の娘だと思われたようだ。雪鈴は女中に近寄ると、囁いた。
「私よ、トックム」
 トックムと呼ばれた娘が首を傾ける。
「何で、あたしの名前を知ってるの」
 直後、トックムが素っ頓狂な声を上げた。

「おっ、お嬢さま(アツシー)」
 雪鈴はグイと顔を近づけた。
「やっと気づいてくれたのね」
 トックムはただでさえ下がり気味の眉を下げた。
「でも、お嬢さまは今頃、嫁ぎ先のお宅にいなさるはずじゃないんですか」
 トックムの科白を聞いて、雪鈴は訝しく思った。少なくとも、今の時点でトックムは雪鈴が婚家を逃げ出したのを知らないようだ。
 そこでトックムに頼んだ。
「チョングムを呼んでくれるかしら」
 チョングムは孫家の女中頭にして雪鈴の乳母である。当然、輿入れにも付き従って崔家に来たのだが、義母に追い返されてしまったのだ。
 トックムは頷き、洗濯は放り出して母屋に走っていった。ほどなくトックムを従えたチョングムがやってきた。
 チョングムは三人の我が子より雪鈴を我が子のように愛おしんでくれた優しい乳母だ。
 チョングムが機転を利かし、トックムに言った。
「洗濯は後で良いから、朝、奥さまから頼まれていたお使いを先に済ませておくれでないか」
 トックムは納得がゆかない様子ながらも、素直にチョングムの言葉に従った。トックムの姿が見えなくなってから、二人はどちらからともなく近寄った。
「お嬢さま」
 チョングムと雪鈴は固く抱き合った。乳母の懐かしい優しい温もりに包まれ、雪鈴の中で堪えに堪えていたものが一挙に溢れ出した。
「チョングム、旦那さまが亡くなってしまったの」
 後は言葉にならず、望陀の涙と化す。チョングムが幼い頃のように雪鈴の背を撫でてくれた。
「お気の毒なお嬢さま」
 チョングムは雪鈴を宥めながら、様々なことを教えてくれた。雪鈴の思惑通り、既に崔家から早馬で知らせが入り、両親は娘婿の死も娘の逃亡も知っていること。
 崔家は雪鈴が帰ってきたら、その身柄をすみやかに引き渡して欲しいと願っていること。
 雪鈴は涙ながらに訴えた。
「崔家の人たちは恐ろしい鬼のような連中よ。旦那さまが亡くなったから、私に後追い自殺をしろと言うの」
 チョングムが痛ましげに眼を伏せた。
「確かに、そのようなお話はたまに聞きますけど、何もうちのお嬢さまにそんなことをさせなくても良いじゃないですか。あんまりですよ」
 良人を亡くした寡婦が殉死する〝烈女〟は、両班家では聞かない話ではない。稀ではあるが、国が大々的に賞賛し後を追った未亡人の貞淑さを讃える石碑を建てる。そのため、某氏の寡婦が見事な最期を遂げたそうなと、噂に更に尾ひれがつき誇大広告よろしく広まる傾向があるのだ。
 チョングムが既に事実を知っているとすれば、トックムのように下級の使用人は知らないまでも、知っている者も少なくはないはずだ。
 雪鈴はチョングムに取り付いた。
「お母さまに逢うわ」
 母に話せば、すべて上手く取りはからってくれるだろう。父も母も四人目にして恵まれた初めての娘にはこの上なく甘かった。
 しかも、この場合、明らかに雪鈴に非はない。たった五日しか夫婦でしかなかった良人に殉死せよだなんて、崔家の義両親は狂っているとしか思えない。
 チョングムが即座に頷いた。
「それがよろしうございます」
 雪鈴は嫁ぐ前に使っていた居室に落ち着いた。壁全体を薄紅色の紗が覆い、八角形の窓にも共布の帳が降りている。帳の両脇には牡丹色の蝶飾りが揺れていた。
 お気に入りの屏風は極彩色で牡丹が描かれたものだし、牡丹色の座椅子もずっと愛用していたものばかりだ。
 娘時代に使っていた居室は、何もかも嫁ぐ前と変わらなかった。ここに戻ってきたからにはもう安心だ。あの鬼のような義父母の顔を今後見ることは一切ないだろう。
 スングムの介添えで汚れた顔を拭き、手足をすすいだ後は、肌触りの良い絹の衣服に着替えた。
 着替えを終えた頃合いを見計らったかのように、母オクチェが現れた。
「お母さま(オモニ)」
 逢わなかったのは、たったひと月にも満たないだけなのに、もう随分と母の顔を見ていないような気がする。半月ほどの間に、母のお腹は一段と大きくなったようだ。
 涙声で呼んだ娘を見て、母は眼を潤ませている。
「可哀想な雪鈴や。何故、そなたがこんな苦労を背負わなければならないの?」
 二人は手を取り合ったまま、その場に座った。雪鈴は縋るように母を見た。
「もう崔家から連絡が入っているのでしょ」
 オクチェは頷いた。
「ええ、もう五日も前のことよ。早馬で知らせが届いたの」
 馬で三日かかる行程を二日で走ったとは、崔家の義父母はよほど雪鈴を殺したいと見える。このときばかりは義父母の執念の凄まじさに心がしんと冷えた。
 だが、すぐに大丈夫と自分に言い聞かせる。実家に父母の許に戻ってきたからには、もう安心だ。実の父母があの冷徹な義両親に娘を売り渡すはずがないのだ。
 雪鈴は鼻を啜った。
「それでは、お父さまがきちんと断って下さったのね」
 当然のように言えば、オクチェの顔が翳った。母は丸顔で、身体もふくよかだ。雪鈴は母ではなく美男の父親似だと幼い頃から言われ続けてきた。
 母の顔色が冴えないのに改めて気づき、雪鈴はかすかに疑念を憶えた。
「お母さま、お父さまは断って下さったのよね」
 もちろん、父が雪鈴を崔家に引き渡すはずがない。しかし、母はどこか思い詰めた表情で首を振る。
「あなたには言い辛いのだけれど、お父さまは崔家への返書には、娘が見つかり次第引き渡すと書いてしまわれたの」
 刹那、後頭部を石塊で思い切り殴られたような衝撃があった。
「何ですって? どうして? 結婚したといっても、たった五日しか一緒にいなかった良人よ。そのために、何故、私が死ななければならないの? 私たち、まだ本当の夫婦にさえなってなかったのに」
 しまいの言葉に、母は少し愕いたように眼を見開き哀しげに言った。
「あなたの腹立ちはよく判るわ。理不尽な要求を突きつけられているのだとも。でも、崔家の方々の要求があながち間違っているともいえないのよ」
「お母さま」
 雪鈴は悲鳴のような声を上げた。熱い雫が頬を濡らすに任せた。
「では、お母さまもお父さまも私に死ねと言われるのね。崔家の血も涙もない舅姑のように殉死しろと迫るの」