皆様、こんにちは。
今日は小春日和とでも言いたいような、ポカポカ陽気でしたね~。
私は夕方からディスカウントストアに大量買いだしに出かけておりました。
しばらくはチョコチョコと足りないものを買い足すだけだったので、今回は久々にまとめ買いです。
カートにレジカゴ二つ、更に、どちらのカゴも溢れんばかりに詰め込んだのを
ヨタヨタとー笑 、押しながら買い物をしました。
こんなときに頼もしい助っ人は末っ子ちゃんです。
今日は日曜で末っ子が手伝ってくれそうなので、行ってきたんです。
さて、ここから本題です。
昨夜は韓流時代劇「ホンチョンギ」を視聴しました。
12巻です。
特に印象に残ったシーンごとにみてきますね。
まずは、、、
洋の東西を問わず、兄弟間の「権力争い」って熾烈~
と思いました。
というのも、国王の息子である朱香大君と亮明大君との間で、世子の座をめぐる争いが起きて
しまったからです。
正しく言うと、亮明大君の方は、最初は世子になるつもりはなかった。
ー聡明でご壮健な兄上がおられるのですから。
と、一度は辞退しようとするのですが、国王が
ー朱香は賢く健康だが、善ではない。
と、国と民のためにも、亮明大君に世子になるようにと諭したのでした。
一方、父王を訪ねたきた朱香大君がたまたま二人の話を聞いたから大変。
ー父上は何故、私という存在がありながら、亮明を世子にするのか。
悔しさと憤りに駆られます。
ですが、国王の言い分は正しいですね。
朱香大君はかつて平気で臣下を殺し、また自らが権力を握るために「魔王」を取り込もうとしています。
権力欲が尋常でなく強いのです。
兄に比べ、亮明大君は対照的です。
広い地平に立って物事を見ることができ、人を身分だけでは判断せず、誰にでも慈悲を施そうとします。
どちらが王の器かといえば、問われるまでもありません。
しかし、朱香大君自身は自分の欠点が自覚できていないのです。
今年は一年ぶりに大河ドラマ「光る君へ」を視聴しています。
日本のドラマを観るのは一年ぶり(^0^;)
で、「光る君へ」でも、藤原北家の兼家の息子たちの間で早くも対立が起きています。
もっとも、道長はまだ「権力」にめざめてはおらず、兄の道兼が
勝手に兄や弟に対抗心をむきだしにしているだけなんですけどね。
道兼をみていると、何となく朱香大君と重なります。
荒っぽい言動とかも似ていますね。
ただ、私が思うに朱香大君の方が少しまだ利口そうかな、、、
道兼はホント、後先考えない短慮な人みたい。
だからこそ、まひろのお母さんをカッとなって殺したりしたんでしょうね。
この二つのドラマを観ていると、日本も韓国も関係なく、昔から人というのは
兄弟で「熾烈な権力闘争」を繰り広げてきたんだな~と判ります。
それから二つ目は
ひたすら想い合う画工チョンギと魔王を宿したハ・ラム
これはもしかしたら前回も書いたかもしれません。
チョンギは「魔王」を封じ込める御容を描く霊妙な画工であり、
一方、ハ・ラムは「魔王」をその身に宿しています。
いわば、二人は望むと望まざるとら拘わらず、「対立」関係にあるわけです。
更に、二人は幼なじみでもあり、恋い慕い合う恋人同士でもあります。
御容を描いた画工は「ファチャ」という怖ろしい魔物に取り憑かれ、精神を狂わせてしまう危険がある。
それでも、チョンギは自分を犠牲にしても、ハ・ラムを「魔王」の呪縛から解き放ってあげたい一心で
御容制作に打ち込みます。
また、「魔王」をずっとその身に宿していれば、いずれは身体が耐えきれず死に至ると知っていても、
なお、ハ・ラムは封印式を拒み続けます。
チョンギに御容を描かせたくないからです。
二人とも自分のことなんて考えず、ひたすら愛する人のことしか考えない。
まさに捨て身の愛です♡
切ないですね~。
何とかチョンギもハ・ラムも助かって欲しい。
祈るような気持ちで観ています。