韓流時代小説 蝶は後宮に舞いてー花は哀しみに憂いてー最後まで笑っていた春風のような男 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 雪鈴は言った。
「旦那さまは、科挙を受けられるのですか?」
 都から遠い地方暮らしでも、両班家に生まれれば科挙を受験する若者も少なくはない。中央の政界でいずれ官吏として活躍するためだ。
 ハソンは彼に似合わない曖昧な笑みを浮かべた。
「さあ、どうだろう。受けたい気持ちはあるし、幼いときから科挙に備えての勉強はしてきたけど」
 彼は少し言い淀み、雪鈴を見た。
「私は生来、虚弱だ。運良く科挙に合格できたとしても、生き馬の目を抜く政界では到底務まらないだろう」
 虚ろに響く声に、雪鈴はこの話題を続けるべきではないと判断し、話題を変えた。
「私の兄たちの中で科挙に合格できたのは、真ん中の兄だけですよ」
 雪鈴には三人の兄がいる。孫家夫妻はどうしても女の子が欲しくて、四番目に生まれたのが雪鈴であった。そのため、崔家の当主には予め言い含めていたらしい。
ー我が家は男腹の家系ゆえ、もしや、そなたの倅に私の娘を娶せるという約定は守れないかもしれぬぞ。
 夫妻は恐らく次に生まれる子も四男に違いないと諦めていたという。だが、四人目にして漸く雪鈴が生まれたため、親友同士の父親たちは約束通り、雪鈴とハソンを婚約させたのだ。
 三人もいる兄はそれぞれ科挙の受験歴があるが、長兄と三番目の兄は複数回受験してもまだ合格できず、出来の良い次兄のみが二度目の挑戦で合格した。もちろん、受験のときははるばる都に上るのである。
 優秀な次兄は都の高官に認められ、早々と婿養子にいった。
「男兄弟ばかり三人であれば、雪鈴はさぞ可愛がられたのだろうな」
 ハソンが微笑ましそうに言う。彼の言葉を聞きながら、雪鈴はぼんやりと考えていた。
 良人が生まれつき虚弱だという話は、これまでついぞ聞いたことがない。両親が知らないということは、崔家の義父母から聞かされていないのだろう。
 雪鈴が見たところ、ハソンは偉丈夫というわけではないけれど、不健康そうには見えなかった。線が細い印象はあるものの、顔色も良い。特に薬を常用しているというわけでもなさそうだ。虚弱という言葉は結びつかないが、ハソン本人が言うからには嘘ではないのだろう。
 かすかな違和感が残った。そのときだ、ハソンが急に文机に突っ伏した。突然であったため、勢いで硯が飛び、墨が四方に散る。しかし、この期に及んでは些細なことだ。
 雪鈴の顔色が変わった。
「旦那さま、旦那さま?」
 懸命に声をかけると、ハソンが短く呻いた。
「ー胸が」
 雪鈴は驚愕し、立ち上がった。
「すぐにお医者さまを呼んできますね」
 ハソンが呻きながら言った。今や良人の色つやの良い顔は真っ青だ。相当に苦しいに相違なかった。
「その前に薬を。違い棚の引き出しに小袋があるから、その中の丸薬を出して」
 よく判らないが、その薬を飲めば楽になるのだろう。雪鈴はまろぶようにして違い棚に取り付き、狂ったように上段の引き出しを開け中を漁った。小さな空色の巾着を見つける。中には薬包らしきものが幾つも入っていた。
 慌てて良人の許に戻った時、ハソンは眼を瞑っていた。意識を失ったのか。顔色は紫色に変じている。
「旦那さま、お薬を飲んで」
 呼びかけても、最早反応はない。雪鈴は薬包を開き、丸薬を出した。黒い錠剤はかなり大きい。このまま口に入れて飲み込めなかったら、誤嚥や窒息死の危険がある。雪鈴は丸薬を懐剣で砕き、自ら口に含んだ。ハソンとは夫婦とはいえ初夜どころか、まだ口づけさえ交わしていない。
 けれども、この際、恥じらってなどいられない。丸薬を口に含んだ雪鈴は、ハソンに覆い被さった。口移しで細かく砕いた丸薬を良人に飲ませる。次いで、室に常備している急須から白湯を湯飲みに注ぎ、少しずつ注意深く良人に飲ませた。
 根気よく続けたお陰で、少しく後、ハソンがうっすらと眼を開けた。
「旦那さまッ、しっかりなさって下さい。今、お医者さまを呼びます」
 とりあえず良人が意識を取り戻し、雪鈴は涙ぐんだ。
 ハソンが力なく頷き、雪鈴は咄嗟に走りだそうとしたーその時。チマの裾を掴まれ、雪鈴は立ち止まった。
「雪鈴」
 ハソンの顔は今や土気色だ、のんびりと話している暇はない。だが、彼は子どもが嫌々をするように小さく首を振った。
「これだけはどうしても伝えておきたい」
 雪鈴は涙を流しながら言った。
「今は話をするより、治療が先です。旦那さま、またお身体が良くなれば、話は幾らでもできます」
 ハソンはゆっくりと首を振った。
「駄目だ、今、聞いてくれ」
 彼の懇願を無下にはできない。やむなく雪鈴は横たわったハソンの側に座った。
 良人は荒い息を吐きながら切れ切れに言った。
「私に万一のことがあれば、そなたは実家に帰れば良い。操を立てて殉死しようなどと考えてはいけないよ」
 雪鈴は泣きながら叫んだ。
「そんな不吉なことをおっしゃらないで。あなたはまだ二十一ですよ、絶対に万が一のことなんかありません」
 私が死なせはしない。雪鈴は心から強く思った。
「旦那さま、少しだけ頑張ってください。今、母屋に行って医師を手配してきますから」
 雪鈴は今度こそ立ち上がり、室を出て母屋に走った。義両親より先に執事に事の次第を告げ、若い下僕に崔家の掛かりつけ医を呼びに走らせる。それから女中頭から義母に危急を知らせて貰った。
 知らせるだけ知らせ、離れに駆け戻った。ハソンは眼を閉じて元のままの姿勢で横たわっていた。
「旦那さま、今、医師を呼びに行かせていますから、もう少しの辛抱ですよ」
 薬が効いたのか、良人の蒼褪めた面にはほんの少し血の気が戻ってきているようにー見えた。けれど、雪鈴が何度呼びかけても、ハソンは微動だにしない。
 雪鈴は激しく震えながら、そっと手のひらをハソンの口許にかざした。ー既に彼の呼吸は完全に停止していた。
「あ、旦那さま」
 雪鈴の眼からひと筋、涙が糸を引いて流れ落ちる。何ということだろう。雪鈴の良人はまだ二十一歳で新婚五日目に亡くなってしまったのだ。