☆☆連載☆☆韓流時代小説 半月~月下に花はひらく
第5話
光王の出生の秘密の全貌が明らかに! 出会いから二年目で香花と光王は漸く結ばれる。。
☆これまでのお話☆
香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。
かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。
香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。 上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。
だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。 それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。
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妓生であった母の許に通っていた彼の父は当時、中流貴族の跡取りだった。二人の仲は両班たちの間でも有名になるほど深く、母の方も男の心を信じて疑っていなかった。だが、男は女の懐妊を知るや、ふっつりと訪れを絶った。女はたった一人で子を生み、懸命に育てたが、子どもが四つの冬、酷使した身体に取り憑いた病のせいで儚く亡くなった。
子どもはその後、母が働いていた妓楼にいた。とはいっても、親を亡くした幼児の扱いなど、酷いものだった。三度の食事は、顔が映るような薄い粥だけで、それすらもろくに与えては貰えなかった。使い走りから水汲み、薪割、掃除と、まだ四つの子には手に負えないような雑用までを次々に言いつけられ、挙げ句には〝役立たず〟と罵声を浴びることになる。
働きが悪いと叱られ、飯を抜かれ、更には撲る蹴るの折檻を受け、小さな身体はいつも痣だらけ傷だらけだった。妓楼の女将だけでなく、妓生や男衆(下男・用心棒)たちまでからも馬鹿にされ、酷い扱いを受ける日々の中、優しさや情けをかけてくれる大人は誰もいなかった。
光王は、そんな境遇の中で育ったのだ。それは、下級とはいえ両班の端くれの家門に生まれ、両親からの愛情を受けて育った香花には想像を絶するものだ。
ついにたまりかねて妓楼を飛び出したのは、光王が六歳のときだ。以来、光王は掏摸やかっぱらいと生きるためならば何でもしてきた。同じような境遇の孤児たちが一人、二人と集まり、いつしかできた集まりが後の盗賊集団〝光の王〟の元となった。
ゆえに、光王は、両班というこの国では尊崇を受けるべき特権階級をひたすら憎悪している。
「あなたの気持ちはよく判るけれど、光王、お父さんだって、二十八年前はまだ若かったのよ。それだけの年月が経てば、人は変わるものだわ。それに、何か他にあなたに伝えたいこともあるようだった。もしかしたら、都から遠い道程(みちのり)をわざわざあなたに逢いにきたのは、後を継ぐ話のためだけではなくて、あなたとお母さんに謝りたかったからではないのかしら」
香花の言葉に、光王は拳を握りしめた。
「もう、あいつの話は止めてくれ。たとえ何を言われても、俺はあいつを父親だとは思っていないんだ」
光王が首を振り、絶望的な声を洩らす。
「仮にあいつがそのつもりで来たのだとしても、今更謝られたところで、失意の中に死んだお袋は帰ってこない」
怒りを燃え上がらせた瞳で光王は話を締めくくった。その背中は、すべてのものを―香花の言葉さえ―頑なに受けつけまいとしている。
香花はやるせない想いで、光王の悲壮な孤独の滲んだ背中を見つめた。
そして、漢陽から半月かけてここまで旅してきた彼の父親の心中にも想いを馳せる。
光王の怒りも言い分ももっともなことだ。妓生が両班の若さまと晴れて結ばれることはなくても、二十八年前、彼の父が母親に対してもう少し誠意ある対応をしていれば、光王の抱(いだ)く父や両班階級に対する想いも随分と変わったものになっていただろう。
光王が人を憎みながら、今日まで生きてくる必要もなかったはずだ。
だが、人は変わるのも確かだ。この二十八年という、けして短くはない年月、あの男がどのような想いを抱えて生きてきたのかを、光王は知らない。
香花は、あの男の眼を思い出す。父を嫌う息子光王に生き写しの双眸。あの男を町で初めて見た時、光王に似ていると咄嗟に思ったのも、ここに訪ねてきた時、懐かしさに似た感情を抱いたのも―、すべては当然といえば当然といえた。
あの男と光王は紛れもない父子だったのだから。
あの男の、光王の父親だという男の双眸は、けして曇ってはいなかった。傲慢さも見栄もなく、ただ穏やかな川面のような静けさを映しているだけだった。
恐らく、あの人はこの長い年月を深い悔恨の中で生きてきたに違いない。我が身が若き日に犯した過ちを悔いて悔いて、それでも諦められなくて、もがいた。そうやって果てのない葛藤を続けて漸く辿り着いたのが、〝失ったものは二度と取り返せない〟という深い諦めの境地だったのではないか。
それは多分、悟りにも似た想いであったろう。どれほど後悔してみても、一度手放してしまったものは二度と取り戻せない。この世のあまりにも残酷すぎる真理を突きつけられ、身に滲みて知ったはずだ。
それで十分すぎる罰を受けた―とまでは言えないかもしれないが、光王の父もまた別の意味で、苦しみながら、この長い日々を重ねてきたのだともいえる。
ただ家門を断絶させないためだけであれば、極端な話、遠縁から養嗣子を迎えれば済む。なのに、わざわざ手を尽くしてゆく方知れずの息子を捜し、父親自らが単身訪ねてきたのには、父なりの贖罪の気持ちもあったからではないか。
失ったものは取り戻せはしない。が、せめて、結び直せる縁(えにし)の糸は、もう一度、結べはしないかと一抹の期待を持って、はるかな旅路を辿ってきたに違いない。
光王には言わなかったけれど、香花は、そのように考えていた。
もちろん、それは香花の希望的観測にすぎない場合もある。でも、光王の父の淋しささえ宿した双眸は、けして自己本位な者だけが持つ傲慢さはなかった。光王のためにも、香花は自分の予測が当たっていることを祈らずにはいられなかった。
その日、香花は隣家の朴家に卵を届けにいった。朴家にオンジュンが生まれてからというもの、香花は定期的に産みたての卵を朴家に届けにいっている。初めは無償で分けていたのだが、マンアンがいつまでも親切に甘えてはいられないと言い張り、わずかながら代金を貰うようになっていた。
その途中、香花は道端で立ち止まった。マンアンの住まいは同じ村内とはいっても、もう殆ど隣村に近い。ゆえに、かなりの道程を歩くことになるわけで、今、香花が歩いているのも荷馬車一台がやっと通り抜けられるほどの広さの砂利道で、人気は全くない。
道の両脇には石榴の樹が数本並んで植わっており、その前後には季節柄、秋桜の花が群れ咲いている。石榴は今が盛りで、鈴なりについている実ははや熟れ過ぎた感がある。秋桜は薄紅色のものもあれば、清楚な白も混じっている。
そろそろ九月も終わる。家の中にいては判らないけれど、こうして外に一歩出てみると、秋の深まりを膚で感じることができた。群れ咲く秋桜の間から、侘びしいような虫の音がかすかに響いてくる。日毎に弱々しくなってくる陽差しの中で、終わろうとする季節にか細い虫の声を聞いていると、何とはなしに物哀しくなってくる。
秋や冬よりも、夏の方が良いと思ってしまうのは、香花が夏生まれのせいかもしれなかった。
―俺は夏の暑いのだけはご免だな。少しくらい寒くても、やっぱり冬の方が良い。
そう言う光王は、やはり冬に生まれたという。まあ、生まれた季節だけで好き嫌いが決まるわけではないだろうが。
光王。そのひとの名前を心の中で呟いただけで、心がふるえる。こんなにもあの男に心を奪われているとは、香花自身、考えてもいなかった。
光王の父親と名乗る男の出現で、彼への想いを改めて自覚したといえるだろう。
こじれてしまった父と子の心の糸を何とかして結び直すことはできないのだろうか。それとも、たとえ、どれほど濃い血の繋がりがあろうとも、一度絡まってしまった糸は二度と解きほぐすことは叶わないのだろうか。
光王のために何かできることはないかと色々と心を悩ませてみても、結局、香花の出る幕はなさそうだ。考えてみれば、それはそうだろう。親子の問題は、赤の他人が口出すべきものではない。
光王と父親が解り合えない限り、他の誰が何をどう言おうとも、絡まり合った糸は解けないのだ。絡まった糸を解けるのも、切れた糸を再び結び直せるのも当人同士にしかできないことなのだ。
だが、あの二人にそれが可能かどうか。はるばる漢陽から訪ねてきたという父親の方はともかく、光王は頑なになりすぎている。彼の育った苛酷な環境を考えれば、致し方ないともいえるが、よほどのことがなければ、光王は父親に心を開こうとはしないだろう。
光王が背を向け続けるばかりでは、状況は何の進展もない。かと言って、この問題に関して、光王が香花の言葉に少しでも耳を傾けてくれるとも思えない―。
頭上高くで、鳥の声が甲高く響く。その声にいざなわれ、香花の意識は現実に戻った。
立ち止まった香花の視線の先に、小さな一体の石仏があった。石榴の樹の間にひっそりと佇む石像は風化して定かではないが、どうやら観音像を彫ったもののようだ。
マンアンの家に行くときは大抵この道を通るから、香花はいつも立ち止まって手を合わせてゆくのが日課になっている。
「南無観世音菩薩」
合掌して小さく唱えると、香花は急ぎ脚になった。マンアンの家に卵を届けて、できれば昼前には家に帰りたい。というのも、光王の父がいつまた訪ねてくるか判らないからだ。
むろん警戒しているのではなく、そのまま帰らせるに忍びないからであった。町に行商に出ている光王は勝手なことをしたと怒るに違いないだろうが、香花としては家に上がって貰って、白湯でも出したい。