韓流時代小説 月下に花はひらく~夜の蝶ー妻を出世の道具にした時、あの男は自分か破滅の道を選んだー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

☆☆新連載☆☆韓流時代小説  月下に花はひらく

 

香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。

かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。
香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。 上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。

だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。 それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。

***************************************

「たとえ大切な女房を寝取られたのだとしても、それが嫌なら、最初から女房と心中すれば良かっただけの話だろう? 少なくとも、俺が明善なら、二人で死を選ぶね。女房を左議政に差し出したその時、あの男はもう女より自分の保身を選んでいたんだ。今更、敵討ちだか何だか知らないが、無辜の民を巻き添えにするなんざァ、それこそ正気の沙汰とも思えない」
 唾棄するような口調に、香花は叫んだ。
「旦那さまのことを悪く言わないで。あなたなんかに何が判るの? 義賊だ英雄だ真の王だなんて、皆から持ち上げられて良い気になっていたくせに!」
 必要以上に物言いが鋭くなってしまったのは、この場合、致し方なかったろう。
 光王の面に軽い驚愕がひろがった。
「お前―、まさか本当にあの男に惚れてるのか。悪いことは言わない、あいつだけは止めろ。あいつは一見、穏やかで理知的、春風のように感じられる男だが、昏い翳りの星を背負っている。不吉な宿命を背負った奴と拘われば、お前まで不幸になるぞ?」
「放っておいて、私の勝手でしょ」
 香花はそのまま駆け出した。
 涙が知らず滲んでくる。最初、あの男―光王が自分に逢いにきたのを知ったときは、その大胆さに度肝を抜かれたものの、温かなものが胸に流れ込んできたのに。あんな失礼な女タラシなんてと思いながらも、心のどこかで再会を素直に歓ぶ自分もいたのだ。
 なのに、最低だ、あんな男。
「あなたなんかに、旦那さまの苦しみの何が判るっていうのよ」
 香花は泣きながら自分に与えられた室に駆け戻り、思いきり泣いた。
 自分は判っている。たとえ言葉は辛辣でも、光王の言うことは何も間違ってはいない。
―自分一人の恨みを晴らすために、感情に溺れて、この国をまたしても闇に陥れ、滅ぼしても良いとでも言うのか!? 
 光王の鋭い口調が今も耳に残る。
 香花の眼にまた新たな涙が湧いた。

     夜の蝶

 その日、崔明善は非番で、屋敷にいた。基本的に承旨の仕事は多忙を極める。御前会議がある度に書記の役目を果たさなければならない。他の多くの承旨がそうであるように、明善もかなりの達筆であった。
 明善はしばらく、自室の壁に掛けてある小さな軸を眺めていた。彼の好きな〝論語〟の一文を彼自身が書いたものだ。

〝子、四つを以て教う。
 文、行、忠、信。 〟
  (孔子が教えてくれた四つのこと。
 読書・実践・誠実・信義)

 これは明善が好んで座右の銘としている言葉だが、自分のような者に彼の偉大な需学者の言わんとしていることが到底、理解できるはずないのだ。
 四つの中で明善自身、特に大切だと考える誠実と信義という点について、自分はもう〝論語〟の教えを語る資格など、とうの昔に失っている。
 妻を喪ってからというもの、明善はひたすら陳相成への復讐だけのために生きてきた。己れ一人の復讐を遂げるためには、たとえ何を犠牲にしても構いはしないと思いつめるほどに憎しみは深く、彼の心は恨みにどす黒く染まっている。
 実のところ、今の我が身には誠実さも信義もあるはずがないのだ。
 ひとしきり軸を眺めていた彼の耳を、賑やかな歓声が打った。
「先生、見て、見て。ほら、私の舟がいちばん速いよ」
 声にいざなわれるように、明善は室の戸を細く開き、外を覗いた。ふいに彼の瞳に一つの光景が飛び込んでくる。
 庭の池の汀に二人の子どもたちと香花が陣取り、それぞれ笹舟を浮かべている。
 どうやら、笹舟の作り方を伝授したのは香花らしい。自分の舟がいちばん速く走ると自慢する林明に向かって、香花が微笑んでいる。
「でも、作り方を教えたのは私ですからね。きっと、教え方が素晴らしかったのよ」
「先生、あっち。今度は私のが林明を追い越したわ!」
 桃華が白い頬をうっすらと上気させている。
「畜生、追い越されちまった」
 林明が地団駄踏んで悔しがるのに、香花が軽く睨む。
「坊ちゃん、崔家の跡取りが〝畜生〟とか〝―ちまった〟なんて汚い言葉を使ってはいけません」
「先生、このこと、父上には内緒だよ」
 林明が手のひらを合わせると、香花は笑って頷く。
 その当の父親がすべてを見ているとは知りもせず、幼い息子は屈託ない笑顔で香花を見上げていた。二人の子どもたちのこんなに愉しげな表情を見るのは彼自身、初めてのことだ。
 二人ともに実に健康そうで、何より、香花が来てからというもの、明るく子どもらしくなった。以前はどこか暗い翳りのようなものが纏いついていた。それは早くに母親を亡くしたせいだと思い込んでいたのだが、もしかして、父親である自分の配慮が足りなかったのだろうか。
 笹舟競争は結局、林明の一番勝ちで、二位が桃華、三位が香花となった。多分、優しい香花のことゆえ、わざと子どもたちに負けてやったのだろうとは容易に推測できる。
 その後は、どうするのだろうと眺めていたら、池の畔の紫陽花を見て口々に何やら話し始めた。聞き耳を立てるのも我ながら大人げないふるまいだとは思ったけれど、興味には勝てなかった。
 もう直、梅雨も明ける。庭の紫陽花は今が盛りで、真っ青に染め上がっている。明善は数度しか眼にしたことはないが、子どもの頃に両親に連れられて行った旅先で見た海は、あんな色をしていたように記憶がある。