韓流時代小説 月下に花はひらく〜花は嫉妬に震えるー彼は亡くなった奥さんをいまだに愛しているのねー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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☆☆新連載☆☆韓流時代小説  月下に花はひらく

 

 香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。
 
 かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。 
 香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。

 だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
 しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
 やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。

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 どうか、この本をお貸し下さいませと、香花はそれまで崔承旨が読んでいたらしい書物を指した。
 崔承旨の前に文机があり、その上に分厚い書物が載っている。漢籍らしく、開いてみると、難しげな漢字ばかりが隙間もなく並んでいた。
 崔承旨は直ちに香花の意を理解したようだった。彼女の眼を見、小さく頷く。
「よろしい、では読んでみなさい」
 香花は両手で本を押し頂くと、たまたま眼に付いた箇所を声に出して読み始めた。淀みのない、見事な朗読である。
 ひと区切り読ませたところで、彼は問うた。
「それでは、そなたが先ほど読んだところの意味は?」
 これにも香花は一切躊躇うことはなかった。
「幼い子の糞尿を嫌う人はいないのに、老人の唾や鼻水を汚いと言う人は大勢いる。汝よ、そなたの身体を形作っているものは何か、汝の父の精と母の血が汝の身体を作っているのだ。彼らは若い頃、子である汝のためにその身を粉にして働いたのだ。にも拘わらず、子どもたちは親の面倒を見たがらない、それは、何と嘆かわしいことか。汝よ、老人を労り、親に孝養を尽くしなさい」
 すらすらと応える香花を見る崔承旨の眼が愕きに見開かれる。
「もう、良い」
 香花は黒いつぶらな瞳を崔承旨に向け、緊張に畏まる。
「いや、何とも畏れ入った。これまで僅かばかりの書物を囓り、少しは知ったつもりになっていた我が身にただただ恥じ入るばかりだ。張家の奥方からそなたが並々ならぬ教養を備えているとは聞いていたが、よもやここまでの学識とは想像していなかったというのが正直なところだ」
 崔承旨は感嘆の溜息を洩らし、幾度も頷く。
「それでは(ハオミヨン)」
 香花が恐る恐る言うと、彼は破顔した。
「むろん、大いに歓迎しよう。そなたを我が子らの先生として私はこの屋敷に迎える」
 そのひと言で、香花の身の落ち着き先が決まった。本音を言えば、このまま屋敷を追い出されるに違いないと覚悟していたのだ。
「精一杯、勤めさせて頂きますので、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる香花に眼を細め、崔承旨が呟く。
「考えようによっては、年若いそなたは子どもたちの良き先生となるやもしれぬ。先生でもあり、遊び相手ともなる香花ならば、あの子たちにとっては、またとない恵まれた家庭教師であろう。それにしても、十四とは、まるで私の娘のようではないか、可愛いものだ」
 娘のようでという前置きは付いていたものの、そのときの香花には耳に入らず、ただ〝可愛い〟という最後のひと言に、またしてもカッと頬が熱くなった。だが、何故、この男に見つめられたり、可愛いと言われて、こんなに頬が熱くなるのか。
 これまで読んだ難しい書物には、その応えは記されておらず、香花は途方に暮れるしかなかった。
 主人の崔承旨と対面した後、今度は子どもたちに紹介される番となった。
 崔承旨の子どもたちは二人、上が女の子で下は男の子だ。姉娘の桃華は七歳、弟の林明は六歳。桃(ボ)華(ファ)が物怖じしない、はきはきとした気性なのに比べ、肝心の林明は引っ込み思案のようで、姉の手をひしと握りしめ、父の背に隠れている。まるで追われた野兎が狩人から身を隠しているように怯えている。
「これ、林明。先生にご挨拶せぬか」
 父親に促されても、一向にその後ろから出てこようとはしない。
「金先生、このとおりの恥ずかしがり屋ですが、よろしくご指導お願いします」
 崔承旨の子どもたちを見る瞳は常よりいっそう優しげに細められている。
 二人の子どもたちは、どちらもあまり崔承旨には似ていなかった。苦み走った男ぶりの彼はなかなかの男前であるが、二人の子どもたちは極めて平凡な顔立ちであったからだ。恐らく、桃華も林明も父よりは亡き母に似たのかもしれない。
―旦那さまの亡くなった奥方さまって、どんな方だったの?
 夫人が世を去って、既に久しい。崔夫人は林明を生んで二年後に亡くなったのだ。つまり、崔承旨は男手一つで二人の子どもを育ててきたことになる。
 四年も前に亡くなった崔承旨の奥方と自分には何の拘わりもないはずなのに、どうして、こんなにも奥方のことが気になってしまうのか。
 香花には、判らない。ただ、二人の幼子を抱えていながらも、これまで後妻も娶らずに通してきた崔承旨の心境はおおよそは理解できるような気がした。叔母の話によれば、崔承旨は評判の愛妻家であったという。
 当時、奥方は崔家で女中をしており、二人はいつしか恋仲となった。そのうち、奥方の懐妊が判明し、崔承旨は彼女を正式な妻として迎え入れることを決意したが、当時はまだ存命していた彼の母や親戚中が猛反対した。
 それは当然であったろう。身分制度が徹底していた朝鮮という国で、愛人ならばともかく両班が女中を奥方に迎えるなど言語道断であったからだ。
 しかしながら、普段は穏健な彼がこれだけは最後まで意を屈せず、最後は半ば独断で周囲の反対を押し切った形で奥方を妻に迎えた。それほどまでの覚悟で迎えた妻を、彼はこよなく愛おしんだ。二人の間には次々と子どもが生まれ、崔夫人ほどの果報者もいないと噂になったほど彼は妻一人を愛し、慈しんだ。
 が、天はこの幸せな夫人を妬むかのごとく、彼女の生命を奪い、幸せな結婚生活は三年で終わりを告げた。以来、崔承旨は再婚どころか、側女すら傍には置いていない。それほど亡き夫人を忘れがたく思っているのだ。
 崔承旨が奥方に向けたまなざしは、子どもたちを彼が見つめるより更に甘く、優しいものであったに相違ない。そう想像しただけで、何故、こんなにも胸が苦しくなるのだろう?