連載270回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫
君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~
第二部 第四話「扶郎花」
名曲「荒城渡」からインスピレーションを得た最終話(ただし、本作の内容は「陳情令」との関連はなく、あくまでも、曲のイメージを作者なりに物語りで表現したものです)
チュソンとジアンを見舞う新たな試練とは?
哀しい別離を経て、二人が見つけた明日への「希望」とは何なのかー。
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流石に赤ン坊の産着を縫った経験はあまりないが、王女時代、嫁いだ異母姉が懐妊したと聞き、お祝いに手ずから縫った肌着を贈ったことはある。
チュソンが泣き笑いの表情になっている。
「そなたという人間は、深く知れば知るほど惹かれるよ」
ジアンが悪戯っぽく笑う。
「惚れ直して下さいましたか?」
チュソンもニヤリと笑う。
「もちろん」
そこでジアンは気懸かりを口にした。
「折角のお話に水を差すようで申し訳ないのですが」
チュソンが表情を引き締めた。
「うん、何だろう」
「旦那さまがお義母さまの身柄を買い取るとして、使道さまが応じるでしょうか」
言葉を選びながら、慎重に説明する。
「使道さまは、比較的人道的な方のようです。いわゆる私利を貪る典型的な地方官とは違うようですね」
チュソンは頷いた。
「私もそのように見ている。今日、町をあちこち歩いて回ったが、昨日と同様、民の顔に明るく憂いがないのが印象的だった。あの郡守はなかなかの手腕を発揮しているようだ」
ジアンはわずかに首を傾げた。
「有り体に言えば、使道さまがお義母さまを手放すことを良しとするでしょうか」
郡守はヨンオクをかなり気に入っているようである。少なくとも身柄を私邸の奴婢として引き取るほどには執着し、しかもヨンオクは彼の子を懐妊している。容易く手放すだろうかという懸念がジアンにはあった。
血の気を取り戻しかけていたチュソンの顔がまた白くなった。ジアンは先ほどの言葉を拾って隠せるものなら隠したかった。だが、事をうやむやにしても、意味はない。
ヨンオクを取り戻すことについては、これから起きるであろう、ありとあらゆる事態を想定して備えておく必要があるのだ。
チュソンが頭を抱えた。
「その可能性も一応は考えておいた方が良いな。息子としては、あまり考えたくないことだけど」
ジアンは頷いた。
「ご不快なお話で、申し訳ありません。ですが、これからは、色んな展開を考えていた方が良いと思うのです」
チュソンが破顔した。
「判っているよ。むしろ、そなたが思慮深くて、私は助かっている。私の眼が行き届かない細かい部分まで、ちゃんと目配りしてくれるからね」
チュソンは一旦うつむき、顔を上げた。
「さりとて、それはここで私たちが顔を付き合わせても結果が出る話ではなかろう。要は郡守側の問題だからな」
「もし、使道さまが否と言われたときには、どうしますか」
敢えて踏み込めば、チュソンは目線だけを動かしジアンを見た。
「判らない。私としては、とにかく誠心誠意、頭を下げて頼み込むしかないと思っている」
ジアンとチュソンの視線がほの暗い室内で交わり、二人はどちらからともなく頷き合った。
小窓からまた風が吹き込んだものか、燭台の蝋燭が橙色の炎を上げて燃えた。
悲劇の真相
その日、チュソンは一人で役場に向かった。ジアンは宿に置いてきた。話し合いの結果によっては、自分がどれだけ取り乱すかしれたものではない。この期に及んでも、チュソンはまだ妻に情けないところを見せたくないのだ。
ジアンと巡りあう前の我が身なら、今の自分を見て腹を抱えて笑い転げていたろう。自分と同じ男を妻に迎え、しかも、その妻には我ながら腑抜けていると思うほど惚れている。
役場を訪ねると、吏房だという役人が出てきて、案内してくれた。先日のカマキリのようなひょろ長い刑房は姿さえ見せない。これは脅しがいささか過ぎたかと思った(チュソンはジアンがあの後、郡守の私邸で刑房を威嚇したのを知らない)。
夫婦で今後のことを話し合ってから、四日が過ぎている。すぐにでも訪ねてきたかったのだが、やはり、纏まった金子を用意するとなると、翌日というわけにはゆかなかった。
彼は四日前の宿での会話を思い出した。
母ヨンオクは、かつてジアンを嫁として目の敵にしていた。息子のチュソンでさえ、正視できない酷い仕打ちを重ねていたのだ。
正直、母の身柄を買い取りたいと提案した時、少しくらい嫌な顔をされると覚悟はしていた。かつての母の仕打ちは、忘れてしまえると片付けるには質(たち)が悪すぎた。仮に仕打ちを受けたのがチュソンであれば、容易く水に流せるとは思えない。
だが、ジアンは意に反して、あっさりとチュソンの意見に賛成した。その上、どうやら生まれてくる赤児まで一緒に面倒を見るつもでいるらしいのだ。
チュソンは、はっきり言ってジアンほどのお人好しではなかった。ヨンオクの腹の子は確かに半分だけは同じ血を持つ同胞(はらから)ではある。しかし、母の懐妊はけして望むべきものでも、歓迎されるものではなかった。
チュソンとて、堕胎ができる初期であれば、迷うことなく母に中絶を勧めていたはずだ。腹の子は母が穢された証である。そんな赤児を歓迎できるはずがないではないか。
母はともかく、生まれた子どもまで引き取る気はなかった。母はもしかしたら手放したがらないかもしれないけれど、チュソンとしては身二つになった時点で、しかるべき家に里子に出すつもりだ。
しかも、亡き父は母の身体を労り、チュソン誕生以降、弟妹を作ろうとはしなかったのに、あの女好きの使道は母を辱め、妊娠させた。若い砌でさえ次の出産を止められた母が四十にもなっての出産に耐えられるだろうか。