韓流時代小説 罠wana* 長い夜、君を想うーひとり眠る床、隣に妻はいない。遠い後宮にいる君 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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連載201回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫

君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~ 

第二部 第二話「落下賦」 

☆私が力の限り、世子さまをお守り致します!「裸足の花嫁」シリーズ第四話・王宮編。

ー「陽宗反正」。漢陽で起きた凄惨かつ痛ましい政変で、ジアンの父王や弟である世子は廃され、暗殺されてしまう。更に、外戚として専横を極めていた羅氏はことごとく粛正され、チュソンの祖父や両親は惨殺された。
奇しくも、前王、羅氏、それぞれの血を引く最後の生き残りとなったチュソンとジアンだったが。ー

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 ホウッと息を吐くと、張り詰めていた気持ちが一遍に緩んだ。思わず身体が傾(かし)ぎそうになるも、意思の力を総動員して支えた。
 何だか酷く疲れた気がする。先刻はかなり危なかった。間一髪のところで事なきを得たが、あのまま王が力に任せて突っ走っていれば、身体を奪われるどころではなかった。もちろん、そうなる前に男とバレ、大変なことになっていたろう。
 性別が露見すれば、ジアンの素性が明るみになりかねない。現に内官長のように、ジアンの顔を見て央明翁主をすぐに連想した者も存在するのだ。
 やはり、自分はここに居るべき人間ではないのだと、ジアンは今更ながらに知った。
 それにつけても、先刻の危機を脱せたのは、内官長のお陰だ。ジアンには内官長が気を昂ぶらせた王を止めるきっかけを作ってくれたとしか思えなかった。
 頬を熱い雫が流れ落ちるのに気づき、ジアンは自分が泣いているのだと今更ながらに気づいた。滲んだ涙の幕の向こうで褐色大春車菊の紅色がぼんやりと霞んだ。



 ジアンが絶体絶命の危機に陥っているその頃、チュソンは町外れの一角に佇んでいた。
 眼の前に生まれ育った屋敷が聳えている。否、もう聳えるという形容はふさわしくないだろう。建物そのものは変わらず存在するけれど、外観からして荒んだ雰囲気が如実に伝わってきた。
 チュソンは、最初の一歩をなかなか踏み出せなかった。それは、ここに来るまでにも言えたことだ。
 ジアンが王宮の門をくぐって丁度ひと月だ。愛しい妻と離れてまだたった一ヶ月だというのが信じられない。ジアンと離れて暮らす日々は一ヶ月どころか、一年にも等しかった。よくぞ妻と離れて一ヶ月も暮らせたと自分を褒めてやりたいくらいだ。それ程にジアンが恋しかった。
 そして、我が身もジアンの勇気が欲しいと切に願った。ジアンは危険な宮殿へと自ら望んで飛び込んでいった。せめて大切な〝家族〟が暮らしていた王宮がどうなったのか、その様変わりを見届けたいのだと言った。
 ジアンの想いはそのままチュソンの願いでもある。しかし、チュソンにはジアンほど潔さも勇気もなかった。
 かつて自分に愉しい想い出を育んでくれた場所だからこそ、変わり果てた惨状を見たくない。想い出は美しいまま、愉しいまま取っておきたかった。
 だが、このままでは前に進めないのも判っている。自分が生命を長らえたのは、たまたまであった。チュソンがジアンと共にずっと都にいたら、確実に反正で生命を落としていたに違いないのだ。
 反乱軍の狙いは前王と王妃、世子、領議政を筆頭とする羅氏一族だった。羅氏嫡流のチュソンは間違いなく殺されていた。
 チュソンがジアンを連れて都落ちしたのは、前王妃の毒牙から妻を守るためだ。結果、そのことが我が身を救うことになるとは。
 妻を守れたのは幸いだが、大切な両親をむざと死なせてしまったこと、祖父の最後を見届けられなかったこと、悔いは数限りなく残った。
 王宮正門前でジアンを見送って以来、幾度、生家を訪ねようとしたか知れない。その都度、途中で足が強ばり、地面に縫い止められたように動かなくなった。
 最後を見届けなければという想いとは別に、臆病な自分が叫んでいた。
ー見たくない。父上が亡くなった場所など見たくない。
 生家へ向かうのは今日で一体、何度目になるか知れたものではなかった。ジアンに比べ、自分は情けない限りだ。チュソンは自分がこんな弱い男だとは考えたこともなかった。
 ついにチュソンは屋敷の前に立った。意を決して人気の無い小道から続く石段を昇り、門前に立つ。門はわずかに開いており、手をかけただけで軋みながら動いた。
 チュソンは門を押しながら、敷地内へと進む。視界が開け、かつて子ども時代を過ごした懐かしい我が家が眼の前に迫っていた。
 各室の扉は外れ、地面に転がっている。使用人たちの使っていた鍋釜もその傍らに落ちている。屋敷中至るところが踏み荒らされており、それらはそのまま事件当夜の混乱ぶりを物語っていた。
 信じられなかった。その昔、大勢の使用人たちが心を込めて掃き清めていた邸内は土足で踏みにじられ、荒れ放題だった。母が自ら丹精した庭は、四季折々の花が植わっていたはずなのに、雑草が丈高く生い茂り、見る影もなかった。
 それでも、わずかに咲き残った花が健気に咲いているのが余計に涙を誘った。
 室にあった調度品は持ち運ばれたのか、わずかに残っているのは価値のなさそうなものばかりだ。
 チュソンはゆっくりと屋敷を外から一周した。到底、父や母が暮らしていた室を見るだけの勇気は持たなかった。
 庭へと足を踏み入れると、真っすぐに進む。チュソンの居室の前を過ぎ、彼は藤棚がまだそのまま残っているのに胸をつかれた。
 ジアンとの婚姻が正式に決まった頃、愛する女と結ばれる歓びと期待に胸を膨らませ、眠れぬ夜をこの藤棚を眺めながら過ごした。
 政変が起きたのは六月上旬だった。既に今年の藤は終わっていただろう。ここで母自慢のふた色の藤が美しく咲き誇り、散っていったー。
 せめて母が愛情込めて育てていた花が今年の惨劇を見ずに済んだと思えば、幾ばくかでも心は慰められた。
 父は最後まで屋敷を守ろうとして、凶刃に倒れ絶命した。父は母を守るために離縁までしたのに、母は実家を出ようとしていたところを捕らえられ、官奴として地方に送られた。その美貌が仇となり、護送先の役所の郡守に陵辱される寸前、生命を絶ったという。
ー父上、母上、親不孝な息子をお許し下さい。
 チュソンはその場に膝をつき、うなだれた。涙が後から後へと溢れた。こんなみっともない様を妻に見られなくて幸いだった。