🎉連載200回🎉 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫
君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~
第二部 第二話「落下賦」
☆私が力の限り、世子さまをお守り致します!「裸足の花嫁」シリーズ第四話・王宮編。
ー「陽宗反正」。漢陽で起きた凄惨かつ痛ましい政変で、ジアンの父王や弟である世子は廃され、暗殺されてしまう。更に、外戚として専横を極めていた羅氏はことごとく粛正され、チュソンの祖父や両親は惨殺された。
奇しくも、前王、羅氏、それぞれの血を引く最後の生き残りとなったチュソンとジアンだったが。ー
***********************************************
内官長の言葉は、姉妹たちの差し迫った苦境を改めて伝えていた。やはり、散り散りになった姉や妹たちも苦労しているようだ。既に嫁した者は廃主を父に持つ王女として、婚家で肩身の狭い想いをしていることだろう。
母は異なるとはいえ、あまたの姉や妹たちのそれぞれの苦労を思うと、ジアンもまた辛かった。自分にできることは何も無い。遠くから無事を祈るしかないのだ。
陽宗は朝廷の人事を一新した時、女官長と内官長は前任者をそのまま起用しようとした。女官長は自らの意思で円満退職し、内官長は変わらず現職にある。
我ながら不注意であった。ジアンは父王の時代から仕える尚宮たちには敢えて近づかないようにしていたが、内官長についてはそこまで警戒していなかったのだ。
内官は男子禁制の王の花園で、出入りを許された〝男〟である。内官長についても、尚宮たち同様、迂闊に近づくべきではなかったのだ。
もっとも、ジアンは〝日陰の王女〟と呼ばれ、滅多に殿舎の外に出ることはなかった。そんなジアンだったけれど、一度だけ、内官長におぶって貰った記憶があった。
あれは確か五歳になるかならずのときだ。王妃が弟を産んだと聞いたときから、ジアンは弟に会いたくて堪らなかった。でも、保母尚宮が
ー絶対に中殿殿と東宮殿に近づいてはなりません。
厳しく言い聞かせていたので、我慢していた。
ある日、ジアンは乳母には内緒でこっそりと殿舎を抜け出した。物陰からでもひとめ弟を見てみたいと子ども心に思ったのだ。それまでジアンには姉か妹しかいなかったから、弟が珍しいというのもあった。
たまたまジアンが殿舎を抜け出した日、東宮殿の前庭で世子がお付きに見守られながら、遊んでいた。世子は漸く二歳になったばかりで、まだ覚束ない足取りで歩くのが可愛かった。
最初は殿舎の陰から眺めていたジアンは、弟のあまりの愛らしさに引かれ、ついふらふらと出ていってしまったのだ。
ー可愛い。
私の弟、可愛い弟。突然現れ、世子に近づいたジアンに、お付きの尚宮や内官たちはかなり戸惑っていたが、止める者はいなかった。ジアンは曲がりなりにも王女だし、まだ五歳の〝女の子〟だった。世子に害をなすとは考えなかったのだろう。
ところが、ジアンが世子に触れようとしたその時、金切り声が響き渡り、ジアンの小さな身体は突き飛ばされた。
地面に投げ出されたジアンは茫然として眼前に立つ女を見上げた。王妃が花のかんばせに鬼のような形相を浮かべ、ジアンを睥睨していた。
ー我が息子に汚い手で触れるでない。
王妃はさっと世子を抱き上げ、弟は風のような速さで連れ去られた。世子を取り巻いていた多くの女官や内官も気がつけば、いなくなっていた。
ジアンは地面にぺたりと座り込んだまま、両手で顔を覆って泣き出した。
ー何故、中殿さまは私をあんな怖い眼で見るの? 私の手は汚いから、弟に触れてはならないー?
まだ赤ん坊の弟が羨ましかった。自分には鬼のように怖い王妃だけれど、世子にはとても優しいお母さんだ。
何故、自分には、お母さまがいないのだろう? お父さまは優しいけれど、たまにしか会えないのだろう?
その時、泣いているジアンの肩にそっと置かれた温かな手があった。
ー翁主さま、どうかお泣きなさいますな。
当時、四十歳ほどだった内官長がまだ平の内官であった時代だ。もちろん、彼は今のように皺深くもなく髪も豊かで黒かった。
ジアンは泣く泣く内官長を見上げた。
ー私の手は汚いのか?
問えば、内官長は優しい笑顔で首を振った。
ーそのようなことはございません。中殿さまは、そう、ちょっと今はご機嫌が悪いだけなのですから、気になさるには及びません。
さあ、と、彼はしゃがみ込んで大きな背中をジアンに向けた。
ー私めがおんぶして差し上げましょう。かようにおいでなさいませ。
ジアンは素直に内官長の背に負われた。
ー私は重くないか?
心配して訊ねると、背中越しに内官長の笑い声が聞こえた。
ー心配には及びません。私には翁主さまと同じ歳の息子がおりますが、息子はもっと大柄ですよ。その息子も楽々と背負います。
ジアンは愕いた。
ー内官に息子がおるのか?
去勢して生殖能力を失った内官に子どもがいるはずがない。今から思えば、子どもの無知ゆえの残酷な質問だ。
しかし、彼は嫌な顔もせず朗らかに応えた。
ーはい。親戚の子どもを養子に迎えました。弟の子どもなので、息子ではありませんが、私の甥です。
ーそうか。
話している中に、いつしかジアンの暮らす殿舎が見えていた。保母尚宮たちがいなくなった翁主を探して、ちょっとした騒ぎになっていた。
ー翁主さまっ。
乳母は内官長に負われたジアンを見るなり、駆け寄ってきた。乳母は泣いていた。内官長はジアンをそっと地面に降ろし、ジアンの眼を見て言ったのだ。
ー上に立つお方は仕えてくれる者たちを無闇に心配させてはなりません。今後はゆめ、お忘れなきように。
内官長との接点は、後にも先にもその一度きりだ。もちろん、同じ王宮内にいるから、遠目から互いを見かけることはあれども、親しく話すことはなかった。
幼かった我が身に内官長が束の間くれた、ささやかな温もりは、確実に冷えた小さな心を温めてくれた。ジアンがぼんやりとあの日を思い出していると、内官長の声がまた聞こえた。
「そなたには良人がいるそうだな」
ジアンは眼を見開いた。
「私のことを調べたのですか?」
「ちと気になってな」
彼は錦に染まった桜樹を見上げた。午後の陽光が色なす葉を艶(つや)やかに照らしている。華やかだけれども、やはり春と違い、どこか淋しげな光景に、内官長が眩しげに眼を細めた。
「故郷の村に戻りなさい。良人のある身で、もう二度と宮女になろうなどとは思わないことだ」
秋の陽差しが真っすぐに道を照らしている。内官長はその小道をゆっくりと歩み去っていった。