韓流時代小説 罠wana* 逃げる男、追う女ーあなたを嫌いになれたら良いのに | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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連載144回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫

君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~ 

第二部 第一話「十月桜」 

~十月桜が咲く頃、笑顔で家を出ていった夫は二度と妻の許へ戻ってこなかった~
韓流時代小説「裸足の花嫁」第三弾!!

 

今夜も咲き誇る夜桜が漆黒の夜空に浮かび上がる。
桜の背後にひろがる夜のように、一人の男の心に潜む深い闇。果たして、消えた男に何が起こったのか?
「化粧師パク・ジアン」が事件の真相に迫る!
****王妃の放った刺客から妻を守るため、チュソンは央明翁主を連れ、ひそかに都を逃れた。追っ手に負われる苦難の旅を続け、二人が辿り着いたのは別名「藤花村」と呼ばれる南方の鄙びた村であった。
そこで二人はチョ・チュソン、パク・ジアンと名前を変えて新たな日々を営み始めるがー。 

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 だとしても、令嬢が先刻のジアンとのやり取りを記憶していなかったのは救いとしか言いようがなかった。万が一、憶えていたとしたら、令嬢はジアンを怪しみ、役人に突き出されるか、最悪、知られてはならない秘密を知る者として始末されたかもしれない。
 令嬢の言う〝あること〟というのは、恐らく令嬢の前夫ではないかと思われた。前夫の存在は令嬢にとって、とても複雑なものなのだろう。
 令嬢は間違いなく前夫をまだ愛している。が、前夫は彼女をこの上ないほど残酷な形で裏切った。裏切るだけでなく、永遠に彼女の手の届かない場所に逝ってしまった。
 最早、恨み言を言おうにも、死者には届かない。やり場のない二つの感情(おもい)が令嬢にはあまりにも重すぎたのだ。
 結果、彼女は辛すぎる現実から逃れたいと願うようになった。現実逃避としての手段が、精神乖離という形で現れたとしても不思議はなかった。
 ジアンは労るような口調で言った。
「私が拝見したところ、お嬢さまはお身体にはどこも悪しき部分はないように思えます」
 令嬢の神経を逆なでしないように話をするのは、なかなか至難の業だった。いつ人格が変わるか知れないため、常に警戒しなければならない。
 だが、令嬢はまだどこかボウとした様子で彼方を見つめるようなまなざしだ。
 かなりの長い間、重い沈黙が降りた。また具合が悪いのかとジアンが気を揉み始めた頃、漸く令嬢が口を開いた。
「昔、そう今よりずっと昔だ」
 ホッとしかけたジアンが令嬢を凝視める。令嬢は淡々とした口調で続けた。
「昔、大切な男(ひと)がいた」
 ジアンは両手を握りしめた。嫌な汗が手のひらにじっとりと滲む。この質問は高い確率で令嬢を刺激するのは判っていた。それでもー。
 過去に囚われ続ける限り、彼女に未来はない。ギルボクの存在は別として、直に彼女は母親になる。もしや生まれてくる子どもが彼女を過去から未来へと連れ戻す鍵となり得るかもしれない。
 危険な賭けではあれども、ジアンはできるなら彼女に現実を直視して貰いたかった。過去の亡霊に縛り付けられたまま狂気の世界で生きるのではなく、清らかな光溢れる現実に立ち戻って生きて欲しかった。
 一語一語、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「裏切られても、その方が大切だと思われるのですか?」
「裏切る?」
 令嬢が今、初めて聞いたかのように愕きを露わにした。
 ジアンの背をツウーっと冷たい汗がすべり落ちていった。
「お嬢さまの大切な方は他の女人と共に亡くなられたのではありませんか? そんな仕打ちをされてもなお、その方を大切だと思えますか」
 令嬢は完全に虚を突かれた表情だ。本当に何のことか判らないといった様子である。
 令嬢がコロコロと笑った。可愛らしい声だ。
「何を申している。あの方が本当に私を裏切るはずなどない。あの方は高い志をお持ちゆえ、三年前、都に上られた。長らく都で勉学にお励みになり、去年漸く私の許に戻ってきて下されたのだ」
 愛らしい声であればあるほど、狂気が滲み出ているようで怖ろしい。令嬢は真剣そのものだ。心底から信じているのは間違いない。
 ジアンは声の震えを止められなかった。
「ですが、今の旦那さまは前のご主人とは別人でしょう? 去年の秋、町外れの川のほとりで見つかった行き倒れではないのですか」
 とうとう言ってしまった。果たして、これで令嬢がどう出るかは判らなかった。
 またしても狂乱状態に陥り、今度こそジアンの生命はないかもしれない。
 一瞬、愛するチュソンの面影が眼裏をよぎった。
 ふいに甲高い笑い声がしじまを破った。何がおかしいのか、令嬢はおかしそうに笑っている。
 ジアンは茫然として令嬢を見つめた。
「何を申すかと思えば、埒もない。確かに、旦那さまは去年の秋、町外れの川べりで見つかった。されど、あの方が私の大切な方に間違いはないのだ」
「えー」
 ジアンは令嬢の言葉の意味が判らず、固まった。漢陽で勉学中の前夫が何故、いきなり町外れの川べりに出現するのか? 幾ら何でもあり得ないだろうと思いかけた時、令嬢から弾んだ声音が聞こえた。
「良人は、あの方の生まれ変わりなのだ」
「ーっ」
 一瞬、言葉を失った。恐る恐る窺えば、令嬢の顔には世にも恍惚りとした表情が浮かんでいる。微笑さえ浮かんでいた。
「旦那さまは間違いなく亡くなられた。さりながら、都で一心に励まれ、自らのなした行いを心から悔い改められた。そして、この世に生まれ変わっておいでになったのだ」
 まったく辻褄の合わない作り話をさも真実であるかのように語っている。そっと横顔を盗み見ても、本人は真剣そのものだ。
 亡くなった前夫とギルボクはほぼ同年だ。ジアンは端から〝生まれ変わり〟などが起こるとは信じてはいないけれど、仮に神秘の力がこの世にあるとしても、二人の男が同年であるのを考えれば、生まれ変わりでなどあるはずがないのだ。
 刹那、ジアンは悟った。彼女の精神を現に呼び戻すにはもう手遅れなのだと。
 信じていた前夫に裏切られた瞬間、令嬢の心は壊れてしまった。玻璃細工のように脆い彼女の心は残酷すぎる現実に耐えられず、粉々に打ち砕かれてしまった。
 最早何があろうとも、無数の破片となって散らばった彼女の心を元に戻すのは不可能なのだ。