時代小説 茶々姫秘話~太閤秀吉の女として〜お市様は、この秀吉を嫌われておりまする。淋しげな彼の声 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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時代小説  茶々姫秘話~太閤秀吉の女として~

 

~歓びも哀しみも。
   我が生涯はすべて城とともにあった。~

豊臣秀吉の側室淀殿の波乱に満ちた生涯。
 浅井長政、お市の方の長女として生まれた茶々。
 織田信長の姪として誇り高く生きた女性の心の真実とは?
 誤解されやすい淀殿の生き方を同じ女性の視点で、共感を込めて
 描きました。

 落城まもない大坂城で交わされた淀殿と側仕えの少女の会話から
 今、明かされる秘譚。
 生涯に三度の落城の憂き目を経験した淀殿浅井氏の数奇な運命を描く。
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 反対に祖父久政は腹の内がすぐに顔に出る、短期直情型。父より更に単純ともいえる。こうした身内の男しか知らない茶々にとっては、藤吉郎という男は魅力的ではあるが、どこか危険な雰囲気を纏っているようにも思える。
「お茶々さまは良い子にございますのう」
 藤吉郎が皺深い顔を更にしわくちゃにして、茶々の頭を撫でた。
 茶々はムッとした。
 これでは、まるで幼い童に対する扱いではないか。
「私はもう子どもではない。子どもに対するような話し方は止めるが良い」
 精一杯背伸びして大人びた口調で言ったつもりだったが、藤吉郎の眼にはどう映ったかは判らない。
 藤吉郎は一瞬、ポカンとしていたかと思えば、腹を抱えて笑い出した。
「これはなかなかにお気の強き姫さまであらせられる。流石は我がお館さまの姪御さま、お市さまの娘御でいられますなぁ」
 笑われたことで、茶々は馬鹿にされたと余計にいきり立った。
 藤吉郎はふと笑いをおさめ真顔になると、何を思ったか、後戻りして庭に咲いていた曼珠沙華を一輪、手折ってきた。
「この藤吉郎、姫さまを子ども扱いなど致しておりません。その証にこれを」
 跪いて恭しく花を差し出され、茶々は何故か頬が熱くなった。
「もう、お泣きなさいますな。何があっても、姫さまは姫さまらしうに、この花のように凜としていつも前を向いていらせられませ。それがしは、誰が何と申そうとも、どこにおりましても、姫さまをお信じてしておりますゆえ」
 花を手渡す刹那、藤吉郎の真摯な声が茶々の耳朶を掠めた。
 自分を呼ぶ母の声が遠くから聞こえる。茶々がその声に気づいた時、藤吉郎が優しい笑顔で頷いた。
「さあ、お行きなされませ。それがしも、これにて失礼いたします」
「待ちや。伯父上さまよりのお遣いであれば、かかさまにご挨拶してゆくが良かろう」
 子どもながらも自らが上に立つ者であることを知る口調で言う。
 しかし、藤吉郎は薄く笑って首を振った。
「お市さまは、それがしをお嫌いになっておられまする。今はご挨拶をせぬ方がかえって、よろしかろうと思いますので」
 さあ、お行きなされと、軽く背を押され、茶々は振り向いた。何かとても名残惜しいような気持ちがしてならない。
「藤吉郎、もう逢えぬのか?」
「それがしと姫さまのご縁がありましたならば、いずれ必ずあいまみえることになりましょう」
 滑稽な猿面には似合わぬ深い声が茶々の小さな心を射抜いた。この男が何故、人を惹きつけるのか―、その瞬間、茶々は少しだけ理解できたような気がした。
 この男は声ですら、人を魅了する。
 藤吉郎に子ども扱いされると、腹立たしい想いになったこと、この男にはひとりの女として、一人前として見て欲しい。思えば、この瞬間から恋が始まっていたのかもしれない。    
 藤吉郎なら心底から信じられる。父と娘ほども歳の違う藤吉郎、しかも身分が違いすぎる彼と結ばれることはあり得ないだろうが、いつか、こんな男に出逢えたなら、藤吉郎のような男のお嫁さんになれたらと心のどこかで願う自分をこの時、はっきりと自覚していた。
 ぼんやりとその場に立ち尽くしていると、母お市が茶々の乳母を引き連れてやってきた。
「誰ぞと話しておったようだが?」
 少し気遣わしげに言う母に、茶々は愛らしく小首を傾げて見せた。
「いいえ、ずっと私一人でおりました、かかさま」
 藤吉郎は言った。母は自分を嫌っていると。ならば、藤吉郎とここで逢ったことは、母には言わない方が良いと子どもなりに判断したことだった。
「仮にも城主の娘たる身が城内といえども、軽々しく一人で歩いてはならぬ。殊に今日は兄上さまの遣いであの汚らわしき猿が参っておるそうな。とわもよくよく気をつけるように」
 とわ、というのは茶々の乳母の名(後の大蔵卿局)である。普段は滅多に声を荒げないお市に叱責され。乳母は恐縮して面を伏せた。
 母の言葉に出てきた〝猿〟というのが藤吉郎を指しているのは言うまでもない。
―母上は、何故、藤吉郎をそれほどお嫌いになるのか。
 問うてみたかったけれど、かえって母の心を逆撫でするだけだと判っていたから、訊かなかった。ただ、手には藤吉郎のくれた一輪の曼珠沙華と飴玉だけを握りしめていた。 
 それから一年の後、小谷の城は焼け落ちて、茶々は母と二人の妹と共に落城寸前の小谷城から逃れ、伯父信長の許に身を寄せた。
 しかし、父浅井長政を討ったのは、その信長であり、信長の主命を受けて小谷城を攻め落としたのは藤吉郎―羽柴秀吉であった。
―そなたには済まぬと思うている。
―私は―ただ、殿のお心のままに―。
 落城からおよそ一年前、紅蓮の月を眺めながら、両親がひそかに話していた会話は、既にこの悲劇を暗示していた。
 長政はいずれ自らが義兄である信長と真っ向から闘うことになるであろうことを予測していた。そして、お市の方は兄よりも良人に従うことを望んでいた。
 運命とは何と残酷なものなのだろうか。
 母はますます藤吉郎を忌み嫌い、殺意に近い憎悪すら抱くようになった。
 そして、更に歴史はめぐり、伯父信長は明智光秀に本能寺で討たれて死に、藤吉郎秀吉が伯父の跡を受けて天下人となった。
 あの日、曼珠沙華が燃えるように咲き誇る小谷城の庭で藤吉郎と初めて出逢った時、よもや、小柄な猿面冠者が天下人になるとは誰が想像し得ただろうか。