時代小説 絶唱~身代わり姫の恋~互いに夫、妻のある身だとは知らずー私たちは名すら知らずに恋に落ち | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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時代小説 絶唱~身代わり姫の恋~

 源鞠子ー通称「竹御所」は鎌倉幕府二代将軍頼家の息女である。

 16歳年下の四代将軍頼経と結婚した。

 親子ほどの年の差夫婦ながら、竹御所と頼経の夫婦仲は極めて良好で、鞠子はやがて16歳年下の夫の子を懐妊する。当時、妻の鞠子は32歳、夫頼経は16歳。若い夫は妻の妊娠を殊の外歓んだといわれている。しかし、初産・高齢出産に加え、蒲柳の質で身体の弱かった鞠子は難産に耐えられなかった。鎌倉御家人たちに惜しまれながら亡くなった鞠子は、また頼朝の血を引く最後の源氏であった。

 

 本作は、激動の時代、源氏一族最後の人として生きた源鞠子の数奇な生涯を私なりに描いたものになります。

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 はるか前方に、何やら小屋らしきものが見えている。男はその方向を指した。
「行ってみよう」
 千種の返事を待つつもりはないらしく、一人で歩いてゆく。千種は慌てて後を追った。
「私もそなたと同じだ」
 男が唐突に立ち止まり、振り返った。千種は息を呑んで、彼の次の言葉を待つ。
「何が同じなのですか?」
 またしても謎かけのようなことを言われ、千種は涙ぐんだ。今し方も〝鈍い女〟と言われたばかりだ。また今度もで、これでは早々に愛想を尽かされてしまうに違いない。
 振り向いた男は千種の涙を見て、狼狽えた。
「どうした! 私が何か酷いことを申したか?」
 千種は無理に微笑んだ。こんなことで涙をみせるなんて、余計に鬱陶しいと思われるだけだ。何故か、この男には嫌われたくない。
「ああ、本当に私は、どうしようもない男だな」
 端正な風貌には似合わず、両手で髪をかきむしった。
「済まぬ、私は本当に朴念仁で、実のところ、おなごを歓ばせる歌の一つも詠めぬのだ。これで公卿の血を引いているというのだから、自分でも信じられない。幼いときから武門の跡取りとして育てられたせいで、どうも武芸しか能のない武辺者になってしまった」
 彼はまだ一人でぶつぶつと言っている。
「こんなことなら、女を口説く和歌の一つでも日頃から用意しておくのだった」
 男が懐から手巾を出して、千種の眼尻に堪った涙をぬぐった。
「泣くな、私はそなたの泣いた顔は見たくない。そなたには、いつも笑顔で居て欲しいのだ」
 話している中に、いつしか二人は件(くだん)の小屋の前で来ていた。それは家というよりは、かつては家だったのであろうという方がふさわしかった。朽ち果てた小屋がぽつねんと浜辺に取り残されたように建っている。
「もう一度訊くが、私が何か粗相をしたのなら、教えてくれ」
 千種は潤んだ瞳で首を振る。男が参ったというように天を仰ぐ仕種をした。
「ああ、その顔はいかん。そんな眼をして男を見ては、男の下心もとい興味はますます募るばかりだ」
 千種はまたしても意味不明の言葉を呟く男に微笑みかけた。
「違います。私があなたさまに嫌われたのだと思って―」
 と、男は愕いたように仰け反った。どうも見かけによらず、剽軽な男のようである。いちいち仕種が大仰すぎる。
「私はそなたを嫌ってなどおらぬ。むしろ、その逆だ!」
 言ってから、慌てて口を押さえた。わざとらしい咳払いをして、彼は更に続けた。
「泣いたのが私のせいでなければ良いのだ。おお、そうであった、先刻の話の続きであったな。私がそなたと同じだと申したのは、ほれ、息が詰まりそうになると、こうして屋敷を抜け出して外に出ることだ」
 あ、と、千種は声を上げた。その表情に、男はニッと笑う。
「であろう?」
 屈託なく笑うと、大人の仮面が外れ、無防備で無邪気な素顔が現れる。この笑顔で、千種は男が二十歳よりはかなり若いのであろうことを再確認した。
「私もそなたも屋敷暮らしが窮屈になれば、人知れず抜け出して町に出る。似た者同士だ」
「そうですね」
 今度は意味が理解できたので、千種も素直に頷いた。
 男はうーんと気持ち良さげに両手を伸ばし、のびをする。天を仰ぎながら、彼は言った。
「今日も鎌倉の空は蒼く、海も空に負けないほどに蒼い。私は元々、鎌倉の生まれではない。京の都で生まれて、まだ赤児の時分に鎌倉の地に来た。鎌倉の者ではないが、暮らした年月はここが長いのだ」
「鎌倉はお好きですか?」
「ああ」
 彼は依然として空を仰ぎ見ている。千種もつられるようにして空を仰いだ。抜けるような空はそっくりそのまま鎌倉の海を写し取ったようだ。どこまでが空で、どこまでが海なのか判別がつかない。
 どこまでも蒼い大海原のような空に、白い絵の具をそこだけ落としたようにカモメが浮かんでいた。
「鎌倉は良きところだ。様々に美しきところがある」
 つと振り向き、彼は笑顔になった。整った面に悪戯っぽい微笑が浮かぶ。
「私がそなたに見せたかったというのは、この海、私の大好きな鎌倉の美しき海だったのだよ」
 刹那、胸に湧き上がった想いをどのように形容すれば良いのだろう。このひとが私に自分の好きな海を見せたいと言ってくれた。歓びが千種の胸を軽やかに駆け抜けた。
「空気も新鮮だし、都と異なり、海も近い。そなたのような美女もいる。―好きだ」
 最後は真正面から見つめられて言われ、千種は紅くなった。
―馬鹿みたい。この方は鎌倉が好きだとおっしゃっただけなのに、まるで自分が告白されたみたいに頬を熱くするなんて。
 慌てて自分を戒めてみたけれど、一度高鳴った胸の鼓動はなかなかおさまってくれなかった。
 男は視線を千種から荒れた小屋に移した。
「誰が住んでいたのであろうな」
 その言葉に、千種も朽ちた家の残骸を見る。かつてその家に人が暮らし、笑い声が響き、人の営みがあったはるか昔を偲ぶかのような想いで見つめる。よもや、そのうち捨てられた小屋が貌も見たことのない大叔父の娘、楓とその良人時繁の暮らしていたものだとは知る由もなかった。