時代小説 絶唱~身代わり姫の恋~この娘は俺の婚約者だ、俺の女に出せば一生、後悔することになるぞ? | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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時代小説 絶唱~身代わり姫の恋~

 源鞠子ー通称「竹御所」は鎌倉幕府二代将軍頼家の息女である。

 16歳年下の四代将軍頼経と結婚した。

 親子ほどの年の差夫婦ながら、竹御所と頼経の夫婦仲は極めて良好で、鞠子はやがて16歳年下の夫の子を懐妊する。当時、妻の鞠子は32歳、夫頼経は16歳。若い夫は妻の妊娠を殊の外歓んだといわれている。しかし、初産・高齢出産に加え、蒲柳の質で身体の弱かった鞠子は難産に耐えられなかった。鎌倉御家人たちに惜しまれながら亡くなった鞠子は、また頼朝の血を引く最後の源氏であった。

 

 本作は、激動の時代、源氏一族最後の人として生きた源鞠子の数奇な生涯を私なりに描いたものになります。

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「綺麗だわ。本当に頂いて、よろしいのですか?」
 商人は満面の笑みで頷く。
「もちろんですよ」
「ありがとうございます」
 千種が笑顔で礼を言うのを何故か、傍らで若者は面白くなさそうに眺めている。
 と、商人が思い出したように言った。
「失礼ながら、お名前とお住まいをお訊ねしても?」
「え―」
 その問いには千種も返答に窮した。
 そこに割り入ったのは例の若者だった。
「そなた、無礼であろう。この娘は私の許婚者である。他人の女に手を出すとは許せぬ」
「さ、さようでございましたか」
 商人は仰天し、若者に頭を下げた。
「そのような間柄とは知らず、とんだご無礼を致しました。されど、是非、一度、店の方にもお運び下さいませ」
 最後は千種に愛想よく声をかけ、丁寧にお辞儀をして去っていった。
「面白うないのう」
 若者は呟くと、ぶっきらぼうに言った。
「そなたに見せたいものがある。ついて参れ」
「でも」
 逡巡を見せた千種に、彼は不機嫌そうに言った。
「私は先刻の不埒者とは違う。真っ昼間から無抵抗な女を手籠めにしたりはせぬ」
 いささか乱暴に手を掴まれ、引っ張られる。千種は仕方なしに、彼についていった。どう見ても、この若い男が千種に危害を加えたり乱暴な真似をするとは思えない。先刻、助けてくれたばかりではないか。それどころか、財布まで取り返してくれた。
 男は早足で歩くので、小柄な千種は付いてゆくのに精一杯だ。ややあって、小さな声で言ってみた。
「あの」
「何だ?」
「もう少し、ゆるりと歩いては頂けませんか? それに、手が痛いのです」
「そうか?」
 男は愕いた表情で、慌てて千種の手を放す。掴まれた手首には、くっきりと紅い跡が残っていた。
「済まない。それほどきつく握りしめたつもりはなかったのだが、これでは痛かったであろうな。許せ」
 物言いはどことなし居丈高だが、素直な性分であろうことはすぐ判った。恐らく、大切に育てられた御曹司なのだろう。先ほど、どれほど身をやつしても正体は内側から滲み出ているもので判ると彼自身が言ったように、この男もまた生まれ持った気品というのは隠し切れていない。
 幼い頃から武芸はみっちりと仕込まれたが、苦労知らずの坊ちゃんといったタイプだ。
 男がおずおずと手を出してきた。
「今度は強く掴まないから、もう一度」
 手を出せということなのだろう。御曹司の若さまだから、他人に命令ではなく願い事をするということに慣れていないのだ。むろん、見も知らぬ出逢ったばかりの男と人前で手を繋ぐという親密な行為をすることに抵抗がないわけではなかった。
 が、普段、命令することしか知らない男が懇願するような必死さで頼んでいるのにも心動かされた。何より、千種自身が彼ともう少し手を繋いでいたいという想いを振り払えなかった。
 そこまで考えて、千種は真っ赤になった。
 私ってば、何をはしたないことを考えているの!
 形ばかりとはいえ、自分には頼経という良人がいる身ではないか。なのに、見も知らぬ男に出逢ってすぐに胸をときめかせるなんて、恥知らずも良いところだ。
 それでも、二人は手を繋ぎ、今度は彼も千種の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれた。時折、振り返り、千種の様子を確かめることも忘れない。気遣いのできる優しいひとでもあるのだろう。
 男がポツリと言った。
「先ほどは失礼した。あの商人に、そなたを許婚と言ってしまった」
「はい、いいえ」
 どう応えるべきなのか判らない。許婚だときっぱりと宣言され、どこかでもくすぐったいような嬉しいような気持ちもあったからだ。だが、良人のある身で所詮、それは許されぬことでもある。千種は、とんちんかんな返答をし、男が笑った。
「どうしてかな、あの小間物屋がそなたに色目を使うのを見るのが腹立たしくてならなかったのだ」
 千種は眼を丸くした。
「色目ですか? まさか、あの方はそんなおつもりはなかったと思いますけど」
 男はあからさまに落胆の貌で千種を見た。
「そなたは臈長けた見かけの割には、何も判っておらぬ。私もまだ到底、男女のことには疎いし経験も浅いが、男があのような熱い眼で女を見るときは、大抵は下心を抱いているときだ」
「下心―、では、あの方も無頼者のようなことを考えていたと?」
 男が笑って首を振る。
「それは判らぬ。眼の前の女に下心を抱いているからと申して、すべての男が女をいきなり押し倒すわけでもなかろう。では、もう少し判りやすく言い換えよう、下心ではなく興味だ。もちろん、興味の中には下心も含まれていようが、この際、大雑把に興味と言い換える」
 大真面目に講釈を始める男を、千種は笑顔で見つめた。
「随分と確信を持った言い様をなさいますのね」
 しばらく沈黙があった。何か機嫌を損ねることを言ってしまったのかと千種が不安になり始めた頃、男が呟いた。
「私自身がそうだからだ」
「え―」
 思いもかけぬ話の展開に、千種はついてゆけない。
「それは、どういうことなのでしょうか?」
 これ以上、鈍い女だと思われたくはないけれど、本当に科白の意味が判らないのだから仕方ない。
 男が焦れったそうに千種を見た。
「ああ、本当に鈍い女だな。男がこれだけ言えば、判りそうなものを」
 彼の千種の手を掴む力がまた強くなった。グイグイと引っ張られるように歩く。どれほど歩いたのか、気が付いたときには町を抜け、眼前に海がひろがっていた。
「由比ヶ浜」
 吐息のようにかすかに零れ落ちた呟きは、絶え間なく続く海鳴りに忽ちにしてかき消された。