時代小説 波の下の都へ~久遠の帝~頼朝が死んだー。鎌倉殿の死は平家の仕業だと私は知っているのに | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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時代小説 波の下の都へ~久遠の帝~

~その男、敵か味方か?~
 激動の歴史に翻弄される恋の辿り付く先は―。
 そして、やがて解き明かされる頼朝の死の真相。

 〝私は、あなたの胸の中にはいられない。
  誰より大好きなあなたの傍にはもう、いられない。
  何故なら、私は源氏の女
       あなたは平家の男だから〟 

 鎌倉御家人の河越三郎恒正の一人娘楓は父から、北条時政の息子時晴に嫁ぐように
 言い渡されている。
 とかく悪評のある時晴を嫌い、邸を飛び出した楓はある日、由比ヶ浜で時繁と名乗る
 不思議な漁師の若者に巡り会う。
 やがて、楓が知った時繁の重大な秘密とは。

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 安徳天皇は平清盛の娘徳子の生み奉った御子である。父は高倉天皇。第八十一代の帝ととして、わずかに御年一歳(数えは三歳)で即位した。平氏が外戚として繁栄する礎を築くための傀儡の帝ではあったが、清盛に溺愛され、源平の戦いでも終始、平家軍と行動を共にした。
 最期の戦いとなった壇ノ浦合戦ではいよいよおしまいと悟った平家方が帝のおわす御座船に集まり、源平双方が見守る中、祖母の二位の尼平時子に抱かれて三種の神器の中の二つと共に海中に身を投じられた。
 崩御されたときは六歳。その亡骸は後に漁師の網に引き上げられ、丁重に弔われた。安徳帝はそのため水神として祀られている。
 結局、安徳帝とともに海中に沈んだ神器二つの中の一つ、草薙の剣は見つからなかった。どれだけ探索の手を尽くしても発見できず、安徳帝が平家に報じられて西海に逃れてから、都では新帝が立った。それが頼朝の次女が女御として入内する予定の後鳥羽天皇、崩御した安徳天皇とは腹違いの弟であり、二つ下になる。
 つまり、後鳥羽天皇は神器なしで即位したということになる。その後も折に触れては神器の探索は行われたものの、ついに草薙剣はないまま、新しい剣が造られ内裏に納められたといわれている。
 頼朝の落馬は〝安徳幼帝の祟り、平家の呪い〟と巷で囁かれた。幕府は事実無根の噂を無責任に流す輩を取り締まったが、 
―鎌倉どのが平家の亡霊に呪われた。
 という噂は野火が枯れ野にひろがるごとく鎌倉ばかりでなく都にもひろがった。噂好きの都人は寄ると触ると、そのことで持ちきりになった。
 そんな中、一進一退を繰り返していた頼朝の病状が急激に悪化の兆しを見せ、翌一月十三日、ついに薨去、五十二年の波乱に満ちた生涯を閉じた。
 頼朝の死から一夜明けたその朝、父恒正は憔悴しきった顔で帰邸した。頼朝が十代の頃より兄弟のようにして育ち、主従を超えた絆で繋がっていた主君の死に、恒正は悲嘆を隠せない様子だった。
 それもそのはず、頼朝が御所で寝ついてからというもの、その枕頭を一刻たりとも離れなかったのが恒正と御台所政子であった。頼朝の死を看取った恒正は疲れ果てて戻ってくるや、倒れるようにして深い眠りに落ちた。
 楓は頼朝の訃報を耳にした刹那、御所の方角を合掌して伏し拝んだ。
―御所さま、御台さま、不忠者の私をどうかお許し下さいませ。
 幼い頃には頼朝に抱き上げて貰ったこともある楓だ。神経質な面もあるにせよ、長く続いた公家社会から新たな武士の世へと大きく時代を切り開いた偉大な武将であった。
 結局、楓は主君への忠孝よりは男への愛を選んでしまったのだ―。
 仮に楓がすぐに頼朝や政子に、いや恒正にでも良いから事の次第を告げていれば、頼朝の落馬は未然に防げたはずだった。今や楓は時繁が頼朝の死の真相に深く関わっていると信じて疑っていない。
 恐らくは平清盛の遺した忍び集団〝落ち椿〟の末裔である、あの鈴音という男(女)が御所の台盤所に忍び込み、ひそかに睡眠薬を頼朝の朝の御膳に混入させた。あの者はひと月以上も前に婢女(はしため)として河越家に潜入していたのだ。
 自在に姿を変える術を持つ鈴音であれば、面体を変えて御所の厨房に入り込むことなど朝飯前であろう。また、普段は極めて大人しい頼朝の愛馬が俄に異変を起こしたのも解せぬ話であった。頼朝その人だけでなく、馬にも鞍に微小な針でも仕込んでいたか、もしくは薬を食(は)ませていたのかもしれない。大方、それも鈴音の仕業に相違なかった。それが時ならずして興奮した理由ではないか。
 楓はそのように今回の事件を見ていた。
 
 頼朝の死から二日経った。幕府内では現在、頼朝の葬儀のことで御台所政子の指揮の下、北条時政や河越恒正ら重臣たちが談合を重ねているという。初代将軍の格式をもって行われるため、準備にも入念に入念を重ねねばならない。
 父は丸一日在宅しただけで、またその日の夕刻には慌ただしく御所に向かった。以来、一度も帰ってきていない。時繁は頼朝の家臣とはいえ、あくまでも恒正の配下のため、いつものように夕刻には帰宅していた。
 頼朝の死が公表されてからというもの、夫婦の間に、殆ど会話らしい会話はなくなっていた。
 三日めの深夜のこと、楓は咽の渇きを憶えて眼を覚ました。ふと傍らを見ると、良人が眠っているはずの夜具はもぬけの殻だ。慌て夜具に触れてみれば、すでにしんと冷たい。真冬の夜であることを差し引いても、この分では既にかなり前に出て行ったものと思われた。
 楓は狼狽え、まろぶように部屋から転がり出た。
 蒼褪めた満月が煌々と怖いほどに美しく間近に迫って見えた。月の面にくっきりと刻まれた模様まで見えるほど近い。かつてこれほどまでに凄艶な美しさを際立たせた月を見たことがなかった。
 若夫婦の寝所前、小さな庭には今を盛りと紅椿が咲き誇っていた。突如として、手前の紅い花がポトリと落ちた。椿ほど色のないとかく沈みがちにな冬景色を艶やかに彩る花を知らないが、花冠ごとすっぽりと落花するその様が〝首が落ちる〟に通じ不吉だと見なされることも多いのだ。
 何かしら厭な予感がし、楓は何気なく空を仰ぎ、慄然とした。先ほどまで蒼く神秘的な光を放っていた月が深紅に染まっていた。紅い月、まさにそんな呼び名がふさわしい。
―まるで死人の血のような。
 楓は慌てて眼をこすった。もしや紅い椿を見ていたゆえ、その鮮やかすぎる色が残像となって紅い月などという幻覚を見せたのかもしれない。儚い期待を抱いたのである。
 が、ふっくらとした月はやはりゾッとするほど妖しく美しく紅かった。時繁が出ていったその夜、このような月を見ることになるとは―。
 薄い夜着一枚きりでは、一月の夜は寒すぎる。しんしんとした冷気が足許から這い上ってきて、楓の身体はすぐに冷え切った。
 それでも、楓は頓着せず、唇を噛みしめ、ただ紅い月を食い入るように見上げていた。