韓流時代小説 月の姫【後編】～王を導く娘～
(第六話)
本作は、「復讐から始まる恋は哀しく」の姉妹編。
前作で淑媛ユン氏を一途に慕った幼い王子燕海君が見目麗しい美青年に成長して再登場します。
今回は、この燕海君が主人公です。
廃妃ユン氏の悲劇から14年後、新たな復讐劇の幕が上がるー。
哀しみの王宮に、再び血の嵐が吹き荒れるのか？
登場人物 崔明華（貞哲王后）
（恒娥）チェ・ミョンファ。またの名をハンア。町の観相師、18歳。あらゆる相談に乗る
が恋愛相談だけは大の苦手なので、断っている。理由は、まだ自分自身が恋をしたことも
なく、奥手だから。
燕海君 24歳の国王。後宮女官たちの憧れの的だが、既に16人もの妃がいる。
前王成祖の甥（異母妹の息子）。廃妃ユン氏（ユン・ソファ）を幼時から一途に慕い、大王大
妃（前作では大妃）を憎んでいる。臣下たちからは「女好きの馬鹿王」とひそかに呼ばれる。
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☆本作には観相が登場しますが、すべてはフィクションであり、観相学とは関係のないものです。本当の観相学とはすべて無関係ですので、ご理解お願いします。
前回までのお話はコチラからどうぞ
ホ・イムは多額の報奨金どころか内医院の医官への仕官ですら、辞退した。
ー市井で民のために町医者として力を尽くす人生をまっとうしたい。
というのが理由だった。
ホ・イムが帰った後も、ヨンの身柄はなおも兵曹参判の屋敷に留め置かれた。容態が安定するまでーせめて一日は様子を見た方が良いというホ・イムの意見に従ったのだ。
麻酔もなしの数時間に渡る外科的治療は、ヨンに相当の苦痛を強いた。それでも、彼は持ち前の強い精神力をもって乗り越えたのだ。
施術中、ヨンはあまりの激痛に気を失った。次に意識を回復したのは、昼前である。
施術後、ホ・イムの指示で、明華は彼が処方した薬をヨンに飲ませた。気を失っているため、木匙で少しずつ様子を見ながら飲ませるのだ。
途中で一度噎せたものの、彼は何とか薬をすべて飲み終えた。ホ・イムの説明によれば、薬は多量の出血により失った体力気力を回復するために滋養をつけるもの、傷の化膿を防ぐためのものを調合しているらしかった。
薬を飲んだ後、ヨンは昏々と眠り続け、昼前に一度、眼を開けたのだ。
明華は涙ぐんでヨンを見つめた。
「気がつかれたのですね」
ヨンの蒼白い顔にほのかな微笑が浮かんだ。
「どうやら、私はまだ生きているみたいだね」
冗談めかした物言いは、いかにもヨンらしい。明華は泣きながら少し拗ねたように言った。
「また、そんなことを言って」
「私は死なない。やっとそなたを得ることができたというのに、みすみす残して逝けるものか」
笑おうとして、ヨンがツと呻いた。綺麗な顔を思い切りしかめている。
「痛みますか？」
明華が気遣わしげに訊ねると、ヨンはまた笑みを浮かべた。
「少しね」
少しのはずがない。明華を心配させまいと無理をしているのは丸分かりだ。
ヨンが掠れた声で言った。
「何だか話をしただけで疲れてしまった。少しー眠らせてくれ」
明華はハッとした。大怪我をしたヨンに話をさせて疲れてさせてしまったー反省するよりは、ふいに大きな恐怖に襲われたのだ。
どう見ても、ヨンの調子は良さそうには見えなかった。
ホ・イムは手術は成功したけれど、ヨンが助かる可能性については依然として厳しいと断言した。手術前は二分三分と言っていた助かる確率は、手術の成功により五分五分になったということだった。
ー 一番危険なのは、感染症です。何しろ傷が大きく深いので、化膿したり、傷口から細菌感染する心配が大きい。感染さえしなければ、若いお身体は日にち薬で回復される期待が持てるでしょう。
ホ・イムは帰り際、語っていた。
明華は涙混じりの声で言った。
「いや、いやよ、お願いだから、死なないで。私を置いて死なないで。私のお腹にはあなたの赤ちゃんがいるのよ」
その時、実のところ、ヨンは眼を瞑っていたが、ちゃんとまだ意識は覚醒していた。
ただ酷く疲れて身体が鉛のように重だるく、瞼を意思の力で持ち上げようとしてもできなかった。
明華を哀しませたくない一心で眼を開けようとするのものの、身体は微動だにしない。
ー子ども、子ども。そう、私たちには子どもができた。最愛の明華が妊った。
彼は深い眠りの淵にいざなわれながらも、明華の声はしっかりと聞いていた。
私もこれでやっと人の子の親になれるのだ。
ヨンの心に歓びという名の希望が点る。自分は両親と生後すぐに引き離された。
物心ついた頃から、どれだけ家庭というものに憧れたことだろう。両親がいて、子どもがいる。そんなごく普通の幸せを渇望するほど夢見ていた。
せめて我が子は手許で慈しんで育てたい。
明華と二人で我が子の成長を見守ってゆけたら、他に望むものはない。
愛する〝家族〟のためにも、死ぬわけにはゆかない。自分にはもう、かけがえのない家族ができたのだから。
そこで、ヨンの意識は完全に闇に飲み込まれた。
「殿下、殿下ッ」
明華が懸命に呼んでいるのが聞こえたけれど、もうヨンは眼を開けることはなかった。
眼の前のヨンは固く眼を瞑り、また眠ってしまった。辛うじて胸は上下しているから、息をしているのは判る。それでも、明華は不安でならず、狂ったように呼び続けた。
ただならない様子に、廊下で待機していた内官長が入ってきた。直ちにホ・イムが呼ばれたが、ヨンを診察した医者は狼狽えもせずに言った。
「大事ありません。殿下はお眠りになっただけです」
彼は明華を労るような眼で見た。
「あれだけの傷を負われたのです、しかも、出血も尋常ではなかった。こんなことを言うとまた心配させてしまうかもしれないが、あんな大怪我をしてまだ生きておられる方が不思議なほどですよ。これからも当分は眠っておられる時間が多いでしょうが、あまり心配はせずに、処方した薬を日に三度、きちんと飲ませて差し上げて下さい」
また、新たに出血したり、高熱が出るようであれば、すぐに呼んで欲しいと言い残し、医者は戻っていった。
結局、内官長と共に駆けつけた宮廷医は出番もなく、まだ夜明け前に引き返すことになった。
その日の夕刻、ヨンを乗せた馬車は宮殿に向かって出発した。ホ・イムも同乗しての帰還である。彼は国王の容態が安定するまで、宮中に臨時医官として詰めることになった。
明華もまた女輿で王と一緒に宮殿に赴いた。ホ・イムと共に王の看護に当たるためだ。
既に明華の懐妊を知った内官長は、真摯な顔で言った。
「くれぐれも身体を大切にするのだ。このようなことを申し上げるのは不敬の極みだとは判っているが、殿下の玉体に万が一のことがありし時、そなたに宿った御子が次の国王殿下にならるる可能性もある」
内官長は明華の体調にも気を遣い、王の看護中も必ず食事と睡眠は取れるように計らった。