韓流時代小説 月の姫【後編】～王を導く娘～
(第六話)
本作は、「復讐から始まる恋は哀しく」の姉妹編。
前作で淑媛ユン氏を一途に慕った幼い王子燕海君が見目麗しい美青年に成長して再登場します。
今回は、この燕海君が主人公です。
廃妃ユン氏の悲劇から14年後、新たな復讐劇の幕が上がるー。
哀しみの王宮に、再び血の嵐が吹き荒れるのか？
登場人物 崔明華（貞哲王后）
（恒娥）チェ・ミョンファ。またの名をハンア。町の観相師、18歳。あらゆる相談に乗る
が恋愛相談だけは大の苦手なので、断っている。理由は、まだ自分自身が恋をしたことも
なく、奥手だから。
燕海君 24歳の国王。後宮女官たちの憧れの的だが、既に16人もの妃がいる。
前王成祖の甥（異母妹の息子）。廃妃ユン氏（ユン・ソファ）を幼時から一途に慕い、大王大
妃（前作では大妃）を憎んでいる。臣下たちからは「女好きの馬鹿王」とひそかに呼ばれる。
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☆本作には観相が登場しますが、すべてはフィクションであり、観相学とは関係のないものです。本当の観相学とはすべて無関係ですので、ご理解お願いします。
前回までのお話はコチラからどうぞ
ヨンが慌てた。
「いや違う、そうではない。誤解しないでくれ。私はそのー」
ヨンはもどかしげに唸った。
「むしろ、嬉しいんだ！」
「嬉しい？」
明華が大きな眼を見開くのに、ヨンは頷いた。
「私の腕の中で、そなたの別人のような顔を見られたのが嬉しかった」
明華は眉を下げた。
「殿下、正直に申し上げても？」
「ああ、何でも言ってくれ」
ヨンが頷くと、明華はありのままの気持ちを告げた。
「殿下のおっしゃる〝良くなかったか〟というご質問には、お応えできません。私、何がどういう風に良かったのか、殿下が何を私にお訊ねになりたいのか今ひとつ理解できないので」
ヨンがいきなりブッと吹きだした。
「やはり明華は明華だ」
と、またも同じことを言い。
王さまは明華の艶やかな黒髪をくしゃくしゃと撫でた。
「きっと明華は幾度閨に招いても、今と変わらないのかもしれないな」
「それも褒められているわけではないですよね？」
じっとりと見上げれば、ヨンは肩をすくめた。
「もちろん、これも褒めているんだよ。普段の無垢な天真爛漫さと夜の妖艶な奔放さ、この別人級の差がまた堪らん」
と、彼はまたにやけた顔で明華には意味不明のことを呟いた。
いつまでも、悠長にこんな掛け合いを続けているべきではない。明華は気を引き締め、真顔で彼を見た。
「殿下は、いずれ中殿さまをお迎えになるはずです。その方との間に世子さまを儲けられねばなりません。私の存在がその時、中殿さまの目障りになるのではと心配です」
だから、と、彼女は震える声で続けた。
「私は殿下のお側にはいられません」
ヨンがハッとしたように明華を見る。
「そなたはこの期に及んでも、まだ私の前から去るというのか！」
「いいえ、いいえ」
明華は首を振った。
「私は二度といなくなったりはしません。それは既に何度も申し上げたはずです」
初めて結ばれた夜にも誓った。誓いを破るつもりはない。
「お側にいられないというのは、王宮でーお側近くでお仕えすることはできないという意味です」
自分で言いながら、哀しくなる。知らず涙が溢れた。
ヨンは想像もしていなかったことを言われ、当惑しているようだ。
「今も私の妻になる気はないのか」
明華は無言で頷く。
「怖いのです」
ヨンが優しげな声で問う。
「何が怖いんだ？ そなたが中殿になれば、王妃という立場がそなた自身を守るであろうし、私も全力でそなたを守るつもりだ」
明華はかすかに身を震わせた。
「王宮は、途方もなく怖い場所です」
本来は心優しい少女も権力欲に取り付かれた悪鬼となり果てる。伏魔殿の水に浸かれば、人は根底から変わる。
大王大妃だけでなく、他ならぬ我が身だって、それは同じだろう。
明華は考えつつ言った。
「王妃としての責務も含めて、王宮で暮らすことのすべてが私は怖ろしい。もし、あの夜と同じことをこれからも続けてゆけば、私はいつか妊(みごも)るかもしれません。でも、王宮で子を産み育てたくはありません」
ー自分が殺(や)らねば殺られる。
大王大妃の言葉がまた、まざまざと蘇った。
ヨンが深い息を吐き出した。
「確かに、あの夜、そなたが言う〝子を作らないようにする手段〟を私は用いなかった。そなたを抱くときは、今後も使うつもりはない」
少しく後、ヨンが静かな声音で言った。
「そなたがいずれ私の子の母となれば、私は嬉しい。そなたも子も共にこの生命を賭けて守り抜くと約束しても駄目か？ 王宮で、私と共に生きてはくれないのか？」
明華は消え入るような声で応えた。
「申し訳ありません」
ヨンの顔にあからさまな落胆が走った。
「それでも、私の側にはいてくれるか。もう、二度と私の前から姿を消したりはしないな」
子どもが親にせがむような必死さのこもった声だ。明華はかすかに頷いた。
ヨンが明華をそっと引き寄せ、明華は彼の胸に顔を埋(うず)める。
「そなたを抱いたことで、私は最愛の女に辛い道を歩ませることになったのだな」
「構いません。私なら大丈夫です。これも私自身が選んだ道です。私は下町で観相をしながら、時々、殿下が私のことを思い出して訪ねてきて下されば、十分幸せです」
涙を宿した瞳が冴え冴えと輝く。その時、王が愛おしさのあまり、明華をこのまま後宮に攫って閉じ込めてしまいたいと思ったことなど、明華が知る由もなかった。
泣くまいと懸命に堪えて微笑み、自分は大丈夫だと言う明華がいじらしく、恋慕の想いはますます募った。
だが、現状、明華が中殿となる気持ちがないというなら、やはりヨンは、どうしようもないのだ。中途半端な関係で彼女の純潔を奪った上、なりゆきで側室とするなんて、ヨンにはどうしてもできなかった。また、明華自身も絶対に側妃になることは望むまい。