韓流時代小説 復讐から始まる恋は哀しく
~謎めいた王と憂いの妃~
☆ 最初から最後まで、私には復讐しかなかった。あなたに出会うまではー「廃妃ユン氏」と呼ばれた少女の生涯☆
ー運命に導かれるようにして出逢った二人。
二人は互いの身分を知らずに、烈しい恋に落ちる。
ソファの運命を激変させた一夜ー、そのために彼女はすべてを失った。優しい両親、可愛い弟。
その夜、国王の唯一の忠臣といわれるユン・ソユンの屋敷に義禁府の兵が押し入り、ソユンとその妻、更には使用人すべてが問答無用で誅殺された。
後にソファが知った父の罪は「大逆罪」。謀反を企んだ罪により、父は王命で生命を奪われたのだ。
そのときから、ソファの復讐が始まった。*************************************************************************
だからこそ、風燈祭の夜、駄目元で口にした求婚をソファが承諾してくれたときは、恥ずかしい話だが、舞い上がらんばかりになった。あれは、まったく計算違いではあったが、嬉しい悲鳴だった。
何とかしてやりたい。あの娘が本来持つのびやかさ、屈託ない明るさを取り戻すには、どうすれば良いのだろうか。
けれど、実のところ、自分には何もできないのだ。彼が踏み込もうとすれば、ソファはその分だけ逃げていってしまう。あまりに近づきすぎてしまえば、彼女は囚われた小鳥のように、彼の掌からするりと身をかわし、飛び立ってしまうかもしれない。
そうなったら、自分は二度と立ち直れないだろう。情けない話だが、彼にはもうソファがいない日々は考えられないのだ。
こんな時、つくづく自分の無力さを噛みしめる。〝王〟としても、一人の男としても何の力もない自分。生涯で初めて好きになった女一人さえ、守れぬ自分の不甲斐なさに声を上げて泣きたい衝動に駆られる。
ソファ、教えてくれ。そなたは一体、何故、その小さな胸をそんなにも痛めているのだ?
そなたに笑顔を取り戻させてやるには、俺は何をすれば良い?
何度目かの嵐が二人の上を通り去った後、ソファはやはり王の腕に抱かれ、ぼんやりと寝台の天蓋を見つめていた。純白の地に煌めく小粒の水晶が星座の形を模して精緻に縫い付けられている。
王もまたソファの裸の肩に片腕を回し、視線を上向けている。二人の間に会話らしい会話はなかったが、沈黙は気詰まりなものではなく、むしろ心地良いものだった。
俗な言い方かもしれないけれど、肌を合わせたことで、黙っていても自ずと通じ合うものが生まれたような気がする。
果てのない沈黙を破ったのは、王の方だった。
「ソファ」
「はい」
ソファは天蓋を見つめたまま応える。
「何を考えている?」
「綺麗だなと思って」
「綺麗?」
王が訝しげに眉根を寄せる。ソファは淡く微笑んだ。
「天蓋の刺繍は星座を象っていると聞きました」
「ああ、俺はもう見慣れているがな」
王も笑う。ソファは身を更に彼に寄り添わせ、頭を男の裸の胸にコツンと預けた。
「そなたは後悔していないか?」
唐突な問いに、ソファは眼を見開いた。王の腕から離れ、上半身を起こす。ソファが横たわる王を見下ろす格好になった。
「私が何を後悔するというのですか? 殿下」
王とソファの視線が淡い闇の中で交わった。燭台の蝋燭はとうに消えている。
「今夜、俺に抱かれたことを」
直截に言われ、ソファはなおも王を見つめた。
「ーいいえ」
応えるまでに間があったのは、迷ったからだ。けれど、彼女が戸惑ったのは自身の気持ちだった。問われた瞬間、迷いなく浮かんだのは、抱かれたのを後悔していないという応えだったのだ。
彼とこうなったことに一切の悔いはないと。だが、彼は、親の仇かもしれない男である。咄嗟に後悔はないと思ってしまった自分の心のありようが怖ろしかった。
抱かれるまでは、身を任せることで王の身辺について更に探りやすくするためだと自分に言い訳していた。彼とこうしてより親密な時間を分かち合った後では、そんな言い訳などしても最早、何の意味もないと思ってしまう。
王が言葉を発するまでにも、幾ばくかの刻を要した。
「なら、良かった」
王は言葉少なに言い、また押し黙った。
また少しの時間が流れ、王が口を開いた。
「そなたに話しておかねばならないことがある」
王も寝台に身を起こし、二人は間近で見つめ合った。互いの呼吸さえ聞こえてきそうなほどの距離だ。つい今し方、見つめ合うどころか、この男の腕の中で女としての高みを味わい、幾度も花びらを散らした。なのに、見つめ合うだけで鼓動が速くなり頬が赤らむのは、自分でもおかしなことだと思った。
いかほど情熱的な刻を分かち合ったからといえども、一糸纏わぬ姿をさらし続けるのには抵抗がある。せめてもと、ソファは傍らに散らばる夜着を拾い、素肌に羽織る。彼女の恥じらいに気づいたのか、王がほのかに笑んだ。その訳知り顔は、ソファの羞恥を更に増しただけだ。
王の冬の透明な陽を彷彿とさせる瞳が眩しくて、まともに見られない。思わずうつむくと、彼特有の少し低い野太い声が聞こえた。
男性にしても、彼の声は普通より低い方だと思うが、ソファはこの声を聞いていると何故か親鳥の翼に包まれる雛のように安らげる。大好きな声だった。
「恐らく、これからそう刻を経ずして、【王】はそなたをまた寝所に呼ぶだろう。そのときは、俺の言う通りにするんだ」
ソファは顔を上げ、小首を傾げた。彼の言うことは判るようで、判らない。
「殿下、それは一体どういうー」
「良いから! 俺の話を最後まで聞いてくれ」
彼らしくない切羽詰まった様子で言われ、ソファは素直に頷いた。
王の表情にはどこか余裕がない。彼は性急に言った。
「次に【王】に寝所に召されたら、素直に受けて寝所に伺候しても、気分が悪いとでも言って夜伽は辞退するのだ」
何故、とは訊かなかった。彼の顔色を見れば、訊ねない方が良いのは判ったし、何より彼は必要もないことをわざわざ口にするようなひとではない。
「判ったか?」
幼子に言い聞かせるように確認され、ソファは頷く。王の漆黒の瞳がソファを見つめた。
その瞳の奥底に閃く切ないまでの光に、ソファは王を安心させるように微笑み言った。
「大丈夫です。仰せの通りに致します」
王が次にソファを抱こうとしても、抱かれてはならない。要はそういうことなのだが、今宵、むさぼり合うように身体を重ねた当の男本人が口にするには、極めて不自然な科白だ。
まともに考えたら、王の頭がおかしくなったかと思うところだろう。けれど、そのときの王のまなざしはどこまでも冷静そのもので、狂っているようには見えなかった。ただ、常になく追い詰められたような様子なのが気になった。
ソファがきっぱりと応え、王は漸く少し安心したように息をついた。次の瞬間、ソファは彼に烈しい力で抱きしめられていた。
「良いか、次にここで逢うときは絶対に【王】に気を許してはならぬ」
何か、ある。ソファは悟った。次にここに呼ばれた夜には、何かしらの異変があると王は告げているのだ。
果たして何が起こるのかは判らないが、王の尋常でない様子から、自分にとってけして良いものではないのは知れた。
だが、次にここで逢うのは、今、自分を抱きしめているこの男のはずだ。なのに、何故、彼は彼自身に抱かれてはならない、気を許すなと訳の分からないことを口にするのか。
ソファは自らも細い腕を王の逞しい背中に回しながら、優しい声で言った。
「ご安心下さい。ソファはお約束を守りますゆえ」
ソファの背に回った王の手に力がこもった。ソファは彼の力に負けないようにと、自分も同じくらい力を込めて男の身体を抱きしめ返した。