韓流時代小説 復讐から始まる恋は哀しく
～謎めいた王と憂いの妃～
☆ 最初から最後まで、私には復讐しかなかった。あなたに出会うまではー「廃妃ユン氏」と呼ばれた少女の生涯☆
ー運命に導かれるようにして出逢った二人。
二人は互いの身分を知らずに、烈しい恋に落ちる。
ソファの運命を激変させた一夜ー、そのために彼女はすべてを失った。優しい両親、可愛い弟。
その夜、国王の唯一の忠臣といわれるユン・ソユンの屋敷に義禁府の兵が押し入り、ソユンとその妻、更には使用人すべてが問答無用で誅殺された。
後にソファが知った父の罪は「大逆罪」。謀反を企んだ罪により、父は王命で生命を奪われたのだ。
そのときから、ソファの復讐が始まった。*************************************************************************
一方で、やはり、この男が次々に見せる一面は、ソファに新鮮な愕きと感動をもたらすのだった。
王に告げた言葉は嘘ではない。聡明な人は、元から賢い人だけに限らない。最初は無知であったとしても、誰かに教えられた時、反発したりせず素直に受け入れられる柔軟さを持つ人もまた聡明なのだ。
確かに王はソファに出逢うまでは、民の現実を見ていなかったのかもしれない。でも、ソファに指摘され、民たちの窮状に眼を向け想いを致すことができた。それは即ち、立派な王としての資質だと思うのだ。
昼時も回り、陽が翳ったのか、俄に暗くなってきた。王の秀麗な顔も先ほどまでとは別人のように固い。
「さりながら、ソファ、俺には力がない」
唐突な言葉に、ソファは眼を瞠る。
「殿下は、この国では至高の方であらせられるのに？」
王がソファを切なげな眼差しで見た。
「民たちの現実を知り、何とかしたいと願っても、俺には力がないから何もできないんだ」
どういう意味だろうか。廷臣たちが王を差し置いて、勝手に政治を行っているということなのか？ だが、今の領議政を初め、朝廷の重鎮たちは忠臣でもない代わりに、特に政治を私して専横を極めているとは聞かない。
むしろ国王の方が病弱なのを理由に、政治から遠ざかっているという噂だ。病弱な国王が政に関心を示さなくても、重臣たちが政治をそつなく行っているお陰で、何とか国政が回っていっているのだとー。
だが、確かに違和感を憶える。
ー国王が病弱？
眼の前の王を見て、脆弱だと言う人はおるまい。むしろ、二十七歳という男盛りらしく、精悍な面には覇気が溢れ、長身の体躯は武芸でもたしなむのか、程よく筋肉がついている。
やはり、この王には何か複雑な事情がありそうだ。
期待して待ってみても、王はもう口をつぐんで何も言わなかった。何か王がもっと手がかりになりそうなことを話すのかと思っていただけに、いささか拍子抜けだ。
王が空を仰ぎ、呟いた。
「山の天気は変わりやすい。ここも山というほどではないが、かなり標高が高いから」
ソファに向けた双眸は、既にいつもの冬の穏やかな陽差しのように静まっていた。
「暗くなってきた。この分では、ひと雨来そうだ」
王はソファが包み直した重箱を風呂敷ごと白馬に積んだ。
「急ごう」
ソファを馬上に乗せてから、自分が雪白に跨がる。掛け声と共に鐙を蹴ると、雪白はまた勢いよく走り出した。
ソファは走りながら、一度だけ背後を振り返らずにはいられなかった。
彼の実母という女(ひと)が眠る花畑、一体、その女性にどんな過去があり、王の出生にはどんな秘密が隠されているのか。
何があっても、突き止めて見せるつもりだ。恐らく、その秘密こそがソファの疑念を晴らす鍵になるのも間違いないだろうから。ソファには予感があった。
次に王から逢引に誘われたのは、また十日後だった。その日は、都で風燈祭が行われるのだ。
町の目抜き通りの両脇には、ズラリと提灯がつるされる。夕刻、極彩色の華やかな提灯たちに火が点されると、あたかも昼間とは別世界のように、蒼白い灯りが宵闇に浮かび上がる。
人々はひとめ、現(うつつ)とは思えぬ美しい光景を見ようと次々に繰り出し、押すな押すなの人出で下町はごった返すのだ。
王と二人、宮殿を抜け出したソファは寄り添い合って下町の大通りを歩く。二人の両脇にも祭り見物に集まった人々が絶え間なく行き交い、祭りは今や最高潮に達しつつあった。
今日のソファは、十日前、王から下賜された晴れ着を纏っている。見るからに貴公子然とした王と並べば、似合いの一対だ。
陽が落ちる直前、既に通り沿いにつるされた提灯には灯りが入っている。
道の脇では商魂たくましく、提灯売りが提灯を売ろうと声を張り上げている。
「旦那さま、そこの美人のお嬢さんもお一つ、どうですかい」
めざとく引き留められ、王とソファは顔を見合わせた。
「旦那、もう提灯に願い事は書きなすったんですか」
「いや、残念ながら、まだ書いておらぬ」
王が正直に応えると、男はチッチッチと舌打ちした。
「そいつはいけねえな。真剣に願えば何でも願い事が叶うというこの日を無駄にしちゃいけませんぜ」
「そうなのか？」
買わせるための口上と知りつつ、王は笑いながら頷いている。
提灯売りの男はますます調子に乗った。
「あっしの見たところ、お二人は結婚を固く決意してなさるが、お嬢さまのお父上がとんだ石頭のコンコンチキで、なかなか許しが貰えねえ。理由は旦那の出世が見込めねえからだ！ どうだ、違いますか？」
王が吹き出した。
「そなたの想像力は脱帽ものだ。提灯を売るより、仮面芝居の脚本でも書いた方が儲かりそうだぞ」
男が得意そうに鼻の下をかいた。
「大当たりでやしょ？ 旦那、悪いことは言わねえ。提灯を買って、願い事を書きなせえ。出世でも、結婚でも、この際どっちでも良いですよ」
「判った判った。そなたの商売熱心には負けた」
王が笑いながら袖から銭入れを出し、二つ分の銭を払った。代わりに色鮮やかな提灯を受け取る。蒼と紅に塗り分けられた提灯だ。 それぞれ王とソファが手にすると、男が愛想良く笑い、欠けた前歯を見せた。
「幸せを祈ってますよ、ご両人！」
王が笑いをかみ殺して言う。
「良い加減なヤツめ、とんだ、ほら吹き男だ」
「でも、愉しい人でしたね」
ソファが取りなすと、王は頷いた。
「確かに。言うことはデタラメばかりだが、聞いていて面白い。ソファ、俺はどうやら出世が見込めなくて、そなたの父御に結婚を邪魔されているようだ」
笑いながら言われ、急にソファの心がしんと冷めた。やはり、王の口から父の話が出ると、それが自分の父ユン・ソユンのことではないと判っていても、身構えてしまう。
「さて、折角提灯を買ったのだ。俺たちも願い事を書くとするか」
王が明るい口調で言い、腰に下げた携帯用の筆と墨壺を持った。
「では、まず俺から書こう」
通行人の邪魔にならないよう、道の脇によって、さらさらと書き付ける。ほどなく、眼の前に筆が差し出された。
「今度は、そなたの番だ」
促されるままに、ソファも提灯に願い事を書いた。王が自分とソファの提灯を手近な紐に結びつける。
二人ともに自分たちの提灯を見上げた。
「そなたは何と書いた？」
王は興味津々といった表情である。ソファは悪戯っぽく笑った。
「内緒です」
「そうか、それは残念だな」
王の顔からニヤニヤ笑いが消えない。ソファも訊ねた。
「殿下はどんなお願いを書かれたのですか？」
「俺はだな」
王は腰をかがめると、ソファの耳許に唇を寄せた。
「そなたといつまでも添い遂げられますようにと書いた」
刹那、ソファの身体が熱風に包まれたのは、何も吐息混じりの声を耳朶に吹きかけられたからだけではない。