【完結】小説 鈴~宿命の剣士と男装美少女~私たちは出会い別れる運命だったーお亀は藩主の子を妊娠 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

時代小説 鈴~Rei~☆ 男は女を愛し、
 女は男に対して姉のような情を抱いた。
 宿命に引き寄せられるようにして出逢った男と女の想いがすれ違った時、
男の烈しい嫉妬の焔が燃え上がる。 ☆

生まれて初めて心から女を愛した男が愛を返して貰えないがゆえに、鬼になってゆく。。。

 江戸時代、木檜(こぐれ)藩の藩主木檜嘉利(よしとし)は領民から〝畜生公〟と恐れられていた。
 美しい娘を見かければ、有無をいわさず攫ってきて思いのままに陵辱する。相手が人妻であろうが、全く頓着しない。移り気な嘉瑛は女を一夜限り弄んだ後は、見向きもしなかった。

 側仕えの小姓が些細な過ちをすれば、激高して斬り殺す。そのあまりに情け容赦ないふるまいが〝畜生公〟と呼ばれるゆえんだ。

 そんなある日、ひとりの下級藩士の若妻が散策中、藩主の目にとまった。いつものように、抵抗する若妻を供の者と二人がかりで乱暴してしまう。
 後に、その若妻はそれを苦にして自害、彼女の親友お亀は亡き友の仇を討つため、男装して藩主の御前で行われる武芸大会に出場する。
 懐には亡き親友の形見となった鈴を忍ばせて―

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   終章
      ~悠遠(ゆうえん)~ 

 七月の森は、相変わらず鬱蒼と緑の葉を茂らせた樹々が林立していた。そのせいで、昼間とてなお、森の奥深くは薄暗い。
 木檜藩の城下町を抜けた先には、深い森が横たわっている。その森を抜けた先には小さな村があるが、森を抜けるには大の大人でも徒歩(かち)であれば、ゆうに丸一日近くかかった。
 その森の奥には、春になると、愛らしい実をつける野苺の茂みがある。その野苺の樹の前に、小さな丸い石がひっそりと安置され、傍らにはまだ真新しい白木の卒塔婆が建てられていた。
 〝定観院香泉妙代大姉〟と、白木の卒塔婆には墨跡も黒々と記されている。本当にささやかなもので、よくよく注意してみなければ、その小さな石が墓であるとは到底信じがたい。大抵の人は路傍の石と思い込んで、通り過ぎてしまうだろう。
 普段はひっそりと静まり返っているけれど、春には墓の周囲の野苺の樹が紅いつぶらな実をたわわに実らせ、春らしい彩りに囲まれ、賑やかになる。わずか十八歳の若さでひっそりと逝ったお香代が永遠(とわ)の眠りにつくにはふさわしい場所かもしれなかった。
 その小さな墓石の前に、二人の若夫婦が佇み、合掌していた。夫婦は良人の方が二十歳過ぎくらい、妻は十八ほどである。二人共に旅装束に身を包み、これから長い旅に出ようとしていることが判った。
「お香代ちゃん、どうか安らかに眠ってね」
 若い妻がその場にしゃがみ込み、そっと手を伸ばして墓石に触れる。墓の前には二人が供えたばかりの百合の花束が置かれ、線香が細い煙をたなびかせていた。
 背後に佇む良人が妻の肩に手のひらを乗せる。
「本当に良いのですか?」
 美しい妻が眼を閉じて合掌したまま言う。
 良人が屈託ない笑みを見せた。
「何度申したら、判るんだ? 私はもう決めたのだ。そなたの腹の子は、紛れもない私の子、私とそなたの子どもだ」
「―」
 妻は何も言わず、立ち上がる。
 そう、この二人こそが木檜城から姿を消した藩主木檜嘉利の側室藤乃の方ことお亀と、柳井道場の前道場主柳井小五郎であった。
 十日ほど前の夜、木檜城に再度忍び込んだ小五郎の手引きで今度こそお亀は城を逃れた。
 あの時、嘉利はお香代の幻影に悩まされ、精神的な恐慌状態に陥っていた。お亀は最後まで、頭を抱えて苦しむ嘉利の身を案じながら城を出たのだ。
 あれから嘉利がどうなったのか、共に逃げた小五郎には訊ねなかったが、ずっと気になっていた。辛くも城を無事脱出した二人は、とりあえず城下の小五郎の知人宅に匿われた。その屋敷は小五郎の兄相田久磨の妻寿恵の妹の嫁ぎ先であり、寿恵の妹光恵は既にお産で亡くなっていたが、良人永居源一郎は健在、快く二人の身柄を引き受けてくれた。
 実は、この永居の許に小五郎は道場を閉めて逐電してからというもの、ずっと世話になっていたのである。永居もまた軽輩ではあるが、木檜藩士の身であった。永居と小五郎は少年時代からの無二の親友でもある。二人して柳井道場の門弟として切磋琢磨して剣の腕を磨いた間柄であった。
 小五郎は城を出た後もそのことについては一切触れようとはしなかったけれど、数日後、永居源一郎を通じて、後の木檜城内のなりゆきについての情報が伝えられた。
 二人が城を出奔した夜、藩主嘉利は狂乱状態に陥った。その後も、そのような発作を繰り返し、虚空をにらみつけては〝鬼がいる、鬼が余を殺しに参る〟と口走って怯えていたという。
 嘉利は、ついに正気を取り戻すことはなかった。半月近くが経ち、家老矢並頼母他、重臣一同は合議の上、分家筋から前藩主嘉倫の異母弟倫(みち)為(なり)の子万菊丸を迎え、新しい藩主を立てることに決めた。万菊丸は漸く九歳の幼君ではあるが、早くから神童との誉れが高く、学問・武芸においても衆に抜きん出でいると聞く。万菊丸が藩主となった暁は、実父倫為がその後見となることになっている。
 お亀と小五郎は永居源一郎の屋敷にひと月近く身を潜めていた。その頃には、お亀は我が身の胎内に新しい生命が宿っていることを確信していた。―お亀は嘉利の子を懐妊していたのだ。
 懐妊をはっきりと自覚したその日、お亀は小五郎にそのことを伝えた。その上で、やはり、自分は小五郎の妻にはなれぬと告げたのである。
 だが、小五郎は頑として譲らなかった。
 他の男の―しかも、小五郎にとっては前妻お香代の敵である嘉利の子を宿していると知りながら、小五郎の傍にいるわけにはゆかない。
 お亀が自分の気持ちを話すと、小五郎はきっぱりと言い切った。
―良いのだ、私たちの子として育てよう。
 お亀が嘉利と過ごしたのはふた月にも満たない。しかし、その間に、お亀は殆ど毎夜のように嘉利に抱かれた。身ごもっていたとしても不思議もないが、たったそれだけの間で嘉利の子を宿すとは皮肉な話でもあった。
 思えば、嘉利とお亀は、つくづく数奇な縁(えにし)の糸で結ばれていたのだろうか。恐らく二人は出逢うべくして出逢い、そして別れた。
 お亀は嘉利の子をその身に宿すという宿命(さだめ)を最初からその身に負うていたのだろう。
 腹の子の存在は、嘉利から受けた辱めの記憶を呼び覚ますものでもある。が、お亀は最初からこの子を生むつもりであった。
 男に烈しく愛されながらも、ついにその男を愛することのできなかったお亀。それでも、嘉利に言ったように、嘉利がお亀にとって大切な人であったことは事実なのだ。
 大切な人の子であれば、お亀もまた大切に育てたい。嘉利を愛せなかった分まで、愛情を込めて嘉利の血を分けたこの子を育てたかった。
 実の父に伯父子と呼ばれ、冷たい眼で見られた嘉利は、長じて殺戮を好み畜生公と呼ばれる悪名高き藩主となった。
 そのような悲劇を、もう二度と繰り返さぬためにも。この子は両親の愛情を惜しみなく与えて、人の温もりの中で育てたい。この子の父のけして知り得なかった優しさや温もりを教えてやりたかった。
 今となっては、嘉利の子を授かったのもやはり運命なのだと思える。この子を立派な人間に育て、教え導くことこそが嘉利へのせめてもの詫び、いや、真心だろう。
 小五郎に胸の想いを話すと、小五郎は笑って頷いた。
―そうだな、愛され慈しまれ大切に育てられた子は、また、その中で自ずと人の愛や優しさを知るものだ。それゆえ、我らはこの子を大事に育てよう。この子もまた長じて、人を愛せる人となるように。
 そう力強く言ってくれた小五郎の言葉が今は何より頼もしい。
 お亀は、あの時、小五郎がくれた言葉を改めて思い出していた。
 愛され慈しまれ大切に育てられた子は、また、その中で自ずと人の愛や優しさを知るものだ。
 その言葉を頼りに、これからはこの男と歩いていってみようと決めた。やがて生まれくる子どもと三人で新しい家族を作るのだ。
 お亀は懐からお香代の形見の鈴を取り出す。木檜城でお亀が嘉利に首を絞められようとしていたその時、この鈴が突如鳴り出し、お亀の危機を救ってくれたのだ。
 あの時、この小さな鈴が起こしたのは、まさに奇蹟としか言いようがなかった。お亀には嘉利が視たというお香代は見えなかったけれど、最初は小さかったこの鈴の音がやがて幾千もの鈴が同時に鳴り響いているような大音響に変わったのは確かにこの耳で聞いた。
 もしかしたら、あの夜、この鈴を鳴らしたのは、お香代だったのだろうか。
―お香代ちゃん、私の生命を助けてくれて、ありがとう。
 お亀は心の中で亡き友に礼を言うと、紅い紐のついた鈴をそっと墓石の上に置いた。
 やはり、この鈴は、この場所に返すのが、お香代に返すのがふさわしいような気がする。
「そろそろ参ろうか」
 小五郎が言うと、お亀は頷いた。
 杖を持ったお亀の前に大きな手のひらが差し出される。お亀はその手を握った。
 もう二度と放さない。
 これから小五郎とお亀は、この国ではないどこか別の国で生きてゆかねばならない。
 多分、生まれ故郷のこの国に戻ってくることは二度とないだろう。
 それでも良い。心から愛した男と共にゆけるのなら、たとえどこにだってついて行く。
 二人はゆっくりと歩き出し、やがてその姿は森の奥へと吸い込まれ、見えなくなった。
 樹々の間を風が駆け抜けた。
 野苺の茂みが音を立てて揺れ、石の上の鈴が小さく震え、涼やかな音色を立てた。


 その後、木檜藩で柳井小五郎とお亀の姿を見た者はいない。二人の消息は杳として知れなかった。
 木檜藩主木檜嘉利は二十四歳の若さで隠居、かくして畜生公と領民からその冷酷さを怖れられた稀代の暴君・暗君は歴史から名を消した。蟄居した嘉利は幽閉生活を送り、その六年後、ついに狂ったまま病死した。一説には、暗殺されたとも云われている。   (完)