時代小説 さようならも言わずに~おしろい花~俺は彼女を永遠に失ったーあなたと出会えて、幸せでした | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

若き旗本石澤嘉門は日々、母から一日も早く妻を娶れとせっつかれている。
その憂さを町の道場に通って晴らしていた。
そんなある日、嘉門は絵蝋燭屋の娘お津弥と巡り逢う。
オシロイバナが取り持った二人の縁は永遠に続くかに思えたが、突如としてお津弥は嘉門の前から姿を消した。
―自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして。
 たった一言と数え切れないほどの想い出を残していなくなった少女の真実とは? 
脚が不自由だという過酷な運命を背負いながらも、懸命に生きようとしていた娘と心に鬱屈を抱えて生きる武士のつかの間の心の交流を描く。

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 到底、俄には信じがたい事実だった。
 と、嘉門の眼の前に何かが差し出された。
 絶望の底に真っ逆さまに突き落とされた嘉門が虚ろな視線を動かす。
 眼前には、仏具屋の内儀の先刻までとは違った真剣な顔があった。
「これを花やのおかみさんから預かってるんですよ。ううん、もっと正しく言えば、おかみさんからじゃなくて、お都弥ちゃんからの預かり物ってことになるんでしょうがね」
 嘉門は震える手でその小さな包みを受け取った。
 黄色い布で丁寧にくるまれた包みを解くと、中から現れたのは、一本の絵蝋燭だった。
 白粉花が繊細な筆致で描かれている。間違いなくお都弥の手になるものだ。
「これを、どうして」
 嘉門が物問いたげな眼を向けると、内儀は眼をわずかにしばたたいた。
「お都弥ちゃん、もう長くはなかったんですよ。石澤さまと親しくなった時、医者から長くても半年、下手をすれば二、三ヵ月のものだって余命まで宣告されてたんです」
「そんなッ。俺は、俺は何も聞いてはおらぬ!」
 噛みつくように言うと、内儀は眼を伏せた。
「言えるわけにないでしょ。石澤さま、お都弥ちゃんは本気で石澤さまに惚れてたんですよ? 惚れた男にそんな野暮なことは女なら、言えっこありませんよ。お都弥ちゃんの気持ちを察してやって下さいな。あの娘は最後まで、石澤さまに愛されたままで、幸せな女のままで逝きたかったんですよ。だから、言えなかった。自分の生命が残り少ないなんてことを言っちまって、折角築いてきた二人の世界や絆がこれまでと違ったものになるのが厭だったんですよ。だって、そうでしょ。お都弥ちゃんのその秘密を知って、石澤さまがこれまでと全く同じ平静でいられますか? あの娘はただ、惚れたお人と最後の瞬間までごく普通の恋人同士でいたかったんだと思いますけどね、私は」
「何の病だったのだ―?」
 嘉門が力なく問うと、内儀は眼を開いて緩く首を振った。
「知りません。花やさんところが何もおっしゃらなかったから。無理に訊くようなことでもありませんでしたしね。でも、お都弥ちゃん自身が言ってました。何でも内臓が腫れて、腐ってゆく厄介な病だって。ここに来てから一年ほどして、判ったみたいですよ。あんな良い娘に、仏さまも酷いことをなさるもんですね。清平衛さんとおきよさんは店を畳んで、上方の方に行くって、三日前に出ていきました。端から、お都弥ちゃんにもしものことがあったときには、ここを引き払うつもりでいたようですよ。あの二人はお都弥ちゃんを本当の娘のように可愛がってましたからねえ、あの娘の想い出のつまった家にこれから先もずっと住み続けるのは辛くって仕様がないって、おきよさんが零してました」
「それで、花やのおきよがこれを俺に?」
 嘉門の問いに、内儀は頷いた。
「お都弥ちゃんが亡くなる前まで力を振り絞って描いた絵蝋燭。石澤のお殿さまにきっと、きっと渡して欲しいって言い残して息を引き取ったそうです」
―今度、逢うときまでには描いて貰えるか。
―そう―ですね。今度、お逢いするときまでに。
―約束だ、きっとだぞ。
――はい、きっと。
 何故、どうして、気付いてやれなかったのだろう。あのときのお都弥は確かにいつもとは違っていた。何かに耐えるような、痛みを堪(こら)えるような表情で嘉門を見つめていた。
 俺は、馬鹿だ、大馬鹿だ。惚れた女の心の叫びや痛みにすら、気付いてやれなかった。
 嘉門は我と我が身を責めた。
 大声で喚きながら、何もかもをぶち壊してしまいたい。お都弥のいないこの世界になんて、何の意味がある? 
 どうしてなんだ、お都弥。
 あれほど約束したじゃないか。
 何故、俺を一人にする。
 自分だけ、一人で俺の手の届かない世界に旅立ってしまうんだ。
 お前のいないこの世は、あまりにも淋しすぎる。侘びしすぎる。
 お前なしで、俺にどうやって生きてゆけと言うんだ、なあ、お都弥、教えてくれ。
「それでもね。石澤のお殿さま。お都弥ちゃんは幸せだったと思いますよ。明日をも知れぬ病気にかかって、憐れまれる病人なんかじゃなくて、元気なままで、石澤さまに愛されたまま、ただの女で逝きたい―、それはお都弥ちゃんなりの女の意地でもあったでしょうよ。その女の意地が貫き通せたんだから、あの娘(こ)はけして不幸じゃなかったと私は思いますがねえ」
 嘉門はゆるゆると立ち上がった。
 内儀が気遣わしげに見守る中、緩慢な動作で外へと歩き出す。
 そうだった、お都弥。お前は、心根の優しい女だった。
―自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして。
 最後に逢った日、お都弥が嘉門に言った言葉が今更ながらに甦る。
 本当にそうだったのだろう。お都弥は天がもたらした苛酷な運命を嘆くでもなく恨むでもなく、残された一日一日に感謝し、大切にして懸命に生きようとしていたはずだ。
 嘉門はそのいじらしい心根を最後まで理解してやれなかった。
 今になって、嘉門は、お都弥の膚の白さが常人よりも際立っていたことを思い出していた。あれは生まれつきの膚の白さもあったろうが、もしかしたら、病で血が薄くなっていたせいなのかもしれない。殊に最近は白いというのを通り越して、蒼白くさえ見えることもあった。
 あれも、すべては重い病のせいであったというのか。
 ―迂闊だった。嘉門は今ほど己れの鈍さを後悔したことはなかった。
 それでも、お都弥は最後まで誰を恨むこともなく、微笑んでいた。己れが背負い込んだ不幸を嘆くよりも、得た数少ない幸福に感謝しながら精一杯、残り少ない生命の焔を燃やし続けたのだ。
「俺もそうやって生きてみるとするか、なあ、お都弥よ」
 だが、お前を失って、何の良いことがあるものか。
―俺には、本当にお前がすべてだったんだ。
 はにかんだような笑顔、時折見せた淋しげな笑顔、お都弥の様々な顔が風車のように脳裡でぐるぐると回る。
 お前の言うように、一日一日大切に生きてゆけば、いつか本当に良いことが起こる―、そんなものなのか?
 嘉門は花やの前に佇み、固く閉ざされたままの板戸を眺めながら、心の中でお都弥に問いかける。
 茫然と立ち尽くす嘉門の傍らを、大八車を引いた男が勢いよく走りすぎてゆく。
 風呂敷包みを持った商家の内儀らしい女が嘉門をちらりと見て、通り過ぎていった。
 そんな通行人の視線さえ嘉門には眼に入らない。
―一日一日大切に生きてゆけば、いつか本当に良いことが起こると都弥は信じております。―嘉門さま、都弥も嘉門さまを心よりお慕いしておりました。どうか、私がこの世から消えても、嘉門さまは嘉門さまらしく、お強く凜として前だけを向いてお歩きになって下さいませ。都弥は嘉門さまにお逢いできて、最後に幸せな女の花を咲かせることができたのです。ですから、どうかお哀しみにならないで。
 女の想いが、魂の叫びが一本の蝋燭から伝わってくるようだ。
 嘉門はお都弥が最後の力を振り絞って描いた絵蝋燭を握りしめ、ゆっくりと歩き始めた。
 前だけを見つめて進む男の眼に光るものがあった。
 男の涙は、早春の風に儚く溶けて散った。
                  (了)