韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁~国王のただ一人の御子、紅順公主の母として時めく王妃 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】
~100日間の花嫁~
 第二部  第三話 冬の足音 
 
前作「炎月」から6年が流れた。
国王英宗のただ一人の御子、紅順公主の母、殿としてときめくセリョン。
国王の寵愛を一身に集める中殿キム氏に周囲から世子誕生の期待がかかる。その重圧に耐えかねるセリョンだったが―。
ある日、「王妃の父」だと名乗る両班が現れた。
そんな中、英宗が溺愛する一粒種の王女が誘拐される。
―私はどうなっても良いの、あの子を無事に返して。
果たして、セリョンの涙の願いは届くのか?
陰謀渦巻く伏魔殿「王宮」で、新たな謀の幕が開く―。
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   六年の後
 
 広い王宮内には壮麗な極彩色の殿舎が幾つも建っている。今、その一つの前、拓けた場所から無邪気な歓声が響き渡っていた。
「母上さま(オバママ)、あっちあっち」
 可愛らしい声が聞こえ、次いで澄んだ笑い声が響く。
 殿舎の前がちょっとした広場になり、そこでひと組の母子が蹴鞠(ジェギチヤギ)を愉しんでいるのだった。
「紅順(ホンスン)には負けたわ。動きが速くて付いてゆけない」
 セリョンは笑いながら言う。英宗の唯一無二の妻として幸せな日々を送っているかに見えるセリョンだったが、現実には王妃としての言い知れぬ労苦もあった。現王たる英宗の正妃は両班出身ではないどころか、色町の妓房の娘である。母ウォルヒャンは都でも名の知れた妓楼翠翠楼の元大行首であり、セリョンは妓生にこそならなかったけれど、遊廓で育った娘だ。
 そんなセリョンだからこそ、周囲に彼女を王妃として認めさせるために英宗は王妃選考試験を彼女に受けさせた。セリョンは公正な試験を勝ち抜き、見事に中殿の座を勝ち取ったのだ。にも拘わらず、セリョンをいまだ〝賤しい身分の女〟と陰で蔑む者がいるのは確かである。
 それは何も表の朝廷だけでなく、セリョンを長とする後宮においても同じだ。セリョンは王妃といっても偉ぶることなく、気さくに女官たちに接した。厳しくするべきところは厳しいけれど、彼女たちの働きはちゃんと見ていて褒めることも忘れない。特に年配の尚宮たちに対しては王妃でありながらも一歩引いていたため、概ね後宮の女たちの心を掌握しているといって良い。
 しかしながら、大半が〝お優しい中殿さま〟に心服する中で、わずかにセリョンの出自にいまだに拘り、
―所詮は遊廓上がりの身持ちの悪い女がお若い殿下を色香で誑かした。
 と、王妃を色眼鏡で見る者もいる。英宗の寵愛が厚いため、表立って王妃を蔑みはしないが、寄ると触ると冷たい視線が突き刺さってくるようであった。
 けれど、風当たりの強さなど、何ということはない。セリョンには今、守るべき存在がある。セリョンがひろげた両腕の中にポスンと小さな女の子が飛び込んできた。李紅順、当代国王英宗と中殿キム氏との間の第一子になる。今のところ、国王の直系の血を受け継ぐ御子はこの小さな王女だけである。
 紅順公主が生誕以来、五年が経過しており、王妃には今度こそ男子誕生の期待がかかっている。だが、セリョンには五年間、一度として懐妊の兆しはないまま日は過ぎた。
 それもまた、内外で王妃の評判を落としている原因であり、口さがない者たちがセリョンを悪し様に言う一助となっている。
―あまりに閨での行為が濃密だと、かえって子ができぬというではないか。
―中殿さまは妓生上がりの母親から教わった手練手管で夜毎国王殿下を骨抜きにしておいだ。それゆえ、殿下はご成婚後九年も経つというのに、いまだに中殿さまに夢中なのよ。
―なるほど、お褥で殿下が奮起されればされるほど御子はおできにならずというわけか。
 陰にこもった悪意ある笑い声が後宮のどここかで今日もひそやかに交わされているに違いない。
 が、当の英宗もセリョンも第二子については自然に任せていた。内医院の御医も
―畏れながら中殿さまは既に二度、ご出産されておられます。私の拝察する限り、至ってご健康であらせられますゆえ、いずれまた王子さまにも恵まれましょう。
 と、特に焦る必要はないと言っている。通常、懐妊を望む王の女たちは皆、薬を飲んだり針治療を受けるものだが、セリョンはそういった治療も一切受けていない。
 セリョンは腕に飛び込んできた幼い娘を抱きしめた。柔らかな温もりを胸に刻みつけ、改めて我が娘を守るためにはどんな辛い想いにも耐えて見せると誓った。
「ね、母上さまが一度で私が二度勝ちだから、今日も私の勝ちね?」
 蹴鞠は子どもの遊びだ。様々な美しい糸でかがられた小さな鞠を蹴るだけの簡単な遊戯ではあるが、鞠を落としてはならないという決まりがある。落とした方が即負けで、連続して鞠を蹴り続け、落とさずに蹴ることができた回数の多さで勝負が決まる。
 子どもの遊びとはいっても、大人もごく普通にやる、朝鮮ではよく知られた遊戯である。
 セリョンと紅順は二人だけで独自の遊び方も考えた。それは一対一で鞠を蹴った回数を競う本来の遊び方ではなく、二人で鞠を蹴り合い、どこまで落とさずに蹴り合えるかというものだ。ルールは、先に落とした方が負けである。
 紅順は女の子ながら、運動神経が良い。まだ五歳なのに、彼女が蹴る鞠は速度があり、セリョンはしばしば受け止め損ねた。〝お転婆〟を持って任じていたセリョンも最近は紅順に自信を打ち砕かれそうになっている。
 英宗は剣、弓、馬術と何をやっても武芸は内禁衛の精鋭武官に勝る腕前だから、紅順の運動神経の良さも父親譲りなのかもしれない。
 英宗はこの一人娘を眼に入れても痛くないほど可愛がっている。
「そうね。また私の負けだわ」
 確か昨日も紅順にせがまれて蹴鞠で遊んだものの、二対一でセリョンの負けだった。
 調子づいた紅順が言った。
「母上さま、もう一度やりましょう。もしかしたら、母上さまが今度は勝つかもしれないわ」
 セリョンはとんでもないと手をひらひらと振った。
「私はもう良いわ。流石に四試合も続けるのは無理よ」
 五歳の紅順は遊びたい盛りの元気一杯である。苦笑していると、紅順はとんでもないことを言い出した。
「母上さまが駄目なら、次の対戦相手は李尚宮よ」
 微笑ましい二人のやり取りを眺めていた尚宮は眼を瞠った。この李尚宮こそがセリョンが姉とも信頼するイ・ホンファである。ホンファはセリョンの見習い女官時代以来の親友でもあった。五年前、中宮殿の筆頭尚宮が長年の勤続の後、勇退した後を受けて、ホンファが筆頭尚宮に抜擢された。
 それからというもの、ホンファは以前にも増してセリョンにとって無くてはならない存在だ。陰ひなたになり王妃を支え、後宮運営にも尽力してくれた。
 ホンファが笑いながら言った。
「今度は私めですか?」
 紅順は澄ました顔で頷いた。
「今日は一度もまだ李尚宮とは対戦してないもの」
「ですから、王女さま、私はこのような遊戯は苦手ですと何度も申し上げて―」
 ホンファはどうやら運動の類は一切苦手らしい。いつも紅順にせがまれて蹴鞠の相手をさせられるのに閉口しているようだ。
 いつもは年下の女官たちから〝鬼の李尚宮〟と恐れられているホンファではあるが、この小さな王女にだけは滅法弱い。
―私は生涯どんな殿方であろうと嫁ぎませぬゆえ。
 見知らぬ男に妻として仕えるよりは、セリョンへの友情と忠誠心に生きたいのだとかつてホンファは語った。あの誓いを違えるつもりは寸分もないらしく、ホンファには現在も想いを寄せる男は現れていないようである。
 既に結婚はしないと決めているホンファにとって、紅順は主筋の王女とはいえ姪のような存在だ。紅順もホンファに殊の外懐いている。後輩たちには厳しいホンファも、紅順にだけは甘い。セリョンから言わせれば、甘すぎるほどだ。
 だから、紅順も心得たもので、セリョンに叱られそうになときは李尚宮の懐に飛び込めば良いと知っている。ホンファもまたそんなときは善悪も無視して紅順を一方的に庇うので、セリョンも苦笑するしかなかった。現王の一人娘には生誕時からついている保母尚宮が当然いるのに、紅順は保母尚宮やセリョンよりもホンファに懐いている。
 紅順ひと筋のホンファもやはり苦手の蹴鞠はできればご免被りたい様子である。セリョンは笑いを堪えつつ助け船を出した。
「紅順、ホンファを困らせては駄目でしょう」
「でもぉ」
 紅順が頬を膨らませかけたそのときだった。広場へと至る石畳の道を長身の人物が足早にやってくるのが見えた。
「父上さま(アバママ)」
 紅順が歓声を上げて走ってゆく。英宗は走ってきた娘を軽々と抱き上げた。
「紅順、元気にしていたか?」
「はい。蹴鞠をしていたの。私、母上に二度も勝ったのよ」
「そうなのか?」
 笑みを含んだ声音で問いかけられ、セリョンも笑顔で頷いた。
「公主(コンジュ)は殿下(チヨナー)に似て、こういったことが得意なようですわ」
 結婚して九年、英宗は今年三十歳になった。端正な面立ちは変わらず、左眼を覆う革の眼帯は彼の眩しいばかりの美貌をやや謎めいたものにしている。英宗の高祖母が異様人であり、彼の左眼がその影響で碧眼であることを知るのはセリョンだけだ。