韓流時代小説 寵愛~隻眼の王の華嫁~側にいる幸せを知った今、彼と離れて暮らす寂しさが身に滲みる- | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

韓流時代小説 寵愛【承恩】

~隻眼の王の華嫁は二度、恋をする~

 

「そう、今だけは、王と町娘ではなく、ただの男と女でいたい。せめて今だけは、ただのセリョンとムミョンでいられるこの大切な時間に浸りたい」
~遊廓の女将の娘が王様を好きになっても良いの?~

とある国王の御世、都漢陽では旅の一座が上演する仮面劇「王宮の陰謀」が大流行。
翠翠楼の一人娘、セリョンは念願叶って「王宮の陰謀」を見た帰り道、大怪我をして行き倒れていた美しい青年を助けるが-。

人物紹介  
チョン・セリョン(鄭世鈴)-後の貞慧王后
妓房(遊廓)の看板娘。まだ幼い頃からセリョンを水揚げさせて欲しいと願う客が殺到するほどの美少女。外見を裏切るお転婆娘。明るく、落ち込んでも立ち直りの早い憎めない性格。 

ムミョン(無名)-王世子(世弟)・後の国王英宗
自らを「無名」(名無し)と名乗る謎の男。雪の降る冬の夜、深手を負っていた彼をセリョンが助ける陰のある美男なところから、翠翠楼の妓生(遊女)たちに絶大な人気を集める。隻眼ということになっているも、実は碧眼と黒目のふた色の瞳を持つ。

☆貞順大王大妃(シン・チェスン)-韓流時代小説「後宮秘帖~逃げた花嫁と王執着愛」主人公。
三代前の国王知宗の正室。王室の最長老であり、後宮の最高権力

者。


********************************************************************

さて、舞台は都の外れ、色町の遊廓が軒を連ねる一角に見世を構える翠翠楼に戻る。
 その日、セリョンは自室で一人、ぼんやりと物想いに耽っていた。ここのところ、美貌で知られた翠翠楼の看板娘は、いつもこの有り様で、拭き掃除をしては水の入った盥をひっくり返し、料理をしていては砂糖と塩を間違えてしまうといった案配である。
 いつぞやは真っ逆さまになった盥の水が階段を昇ってくる客にかかった。頭からまともに水を被った客はいたく立腹して、女将自らが平身低頭で詫び、台無しにしてしまった衣装代はむろん、その日の揚げ代までを廓が肩代わりするということで、何とか許して貰った。
 酷くまずい味の料理を出してしまった日も、揚げ代は取らないのを条件にやっと表沙汰にはならずに済んだのだ。そんなことが続き、流石の女将もセリョンに数日の休みを与えた。このまま仕事をさせていても、しくじるばかりだと諦めたのだ。
―まったく、あたしの反対を振り切って王宮にふた月半も行っちまった挙げ句、無しのつぶてで、帰ってきたと思ったら、心ここにあらずの体たらくなんだから。
 女将はぶつくさ言い、原因がそも誰にあるのかはちゃんと察していた。
―あの男が拘わると、ろくなことがないったら、ありゃしない。桜が咲く頃にも、お前はあいつが宮殿に戻っちまって、まるで腑抜けのようになっただろう。王さまだか何だか知らないが、うちの見世にとっては疫病神でしかないね、あの男は。
 英宗が即位直ちに行ったのは、前王の治世下に虐げられた民衆の負担を軽減することだった。まずは不当に重く課せられていた年貢米、貢納品の徴収を減らせるだけ減らすことから始めた。これには朝廷の廷臣たちからの不満と反対が強かった。他の政策については古参の老臣の意見を立ててきた王は、年貢の取り立てにおいてのみは一歩も譲らなかった。
 重臣たちが揃って異を唱えた理由は、誰にでも判る。高官たちの贅をあかした暮らしも、すべては民の血税の上に成り立っている。彼等は年貢の軽減によって自分たちが不利益を被るのが我慢ならなかったのだ。しかし、英宗は強硬に政策を推し進め、全国各地に〝国に対して納める収穫米に対する割高を引き下げる〟旨の触れが出された。
 王命が朝鮮全土の各地の主立った町の高札に貼られたその日、民たちがその前に蟻のように群がった。
―なんて書いてあるんだ?
 読み書きのできない農民の若者が問えば、隣の老いた両班が代わりに読んでやった。
―この秋から年貢として納める米の石高が少なくなるそうだ。
―やったー。これで、少しは楽になるぞ。
 おおっと、群がった貧しい民たちから歓声が沸き起こり、中には宮殿に向かって涙を流しながら拝礼する年寄りもいた。
―新しく即位なさった王さまは、まだお若いというのに、何て情け深いお方だろうね。あたしらから搾り取ることしか考えてなかった前王さまの弟君とはいえ、えらい違いじゃないか。
 老婆につられるように、その場にいた者たちが次々に宮殿に向かって拝礼を始めた。
―国王殿下、万歳、万歳。
 英宗は早くも〝聖君〟と民から崇め慕われている英邁な君主だ。その王さまを幾ら何でも〝疫病神〟呼ばわりするのは朝鮮広しといえども、恐らくは翠翠楼の女将だけだろう。
 女将に言わせれば、
―可愛い娘を泣かせる薄情な男は聖君であろうとなかろうと、関係ないよ。あたしはセリョンには幸せになって欲しいんだ。
 と、けんもほほろである。
 セリョンはついに女将に〝出勤禁止令〟を出され、日がな居室に閉じこもる日々となった。朝から晩まで自室で文机に肘を突いて、溜息ばかりついている。机には既に何度も読んだ〝夜桜心中〟が乗っかっているが、殆ど触れてもいない。
 チ・チャヨンが心中と見せかけて殺害された事件は、セリョンの機転で無事解決した。セリョンは〝王命〟を無事遂行し、ひそかに後宮を出た。任務が終わった以上、もう彼女が後宮にいる意味はない。
 もちろん、セリョンも王宮でずっと暮らすつもりも、女官勤めをするつもりもなく、晴れて翠翠楼へと戻ってきた。
 ―のではあるが、二ヶ月半ぶりに帰った懐かしい我が家は、何故かこれまでと違っていた。というよりは、セリョンの心のあり様が違ってしまったのだ。
 王宮にいる間、見習い女官であるセリョンが国王(ムミョン)に逢えたのは数えるほどだった。けれども、広い宮殿とはいえ同じ屋根の下に愛する男が暮らしていると考えただけで、セリョンは幸せな気持ちになれたのだ。
 たとえ顔を見られなくても、彼の側にいられるという実感がして、満ち足りた想いがした。けれど、下町に戻ってきた今、ムミョンはまた遠い存在になった。
 桜の殿舎で、深夜に彼と親密な時間を過ごしたことが今では夢の中の出来事のような気さえする。
 今までは王宮と下町、遠く離れていても心は繋がっていると信じられた。しかし、一度、愛する男の側にいるという幸せを知ってしまい、離れていることの切なさが身に迫る。
―ムミョン、私、どんどん欲張りになっていくみたい。
 彼の側にいたい、声を聞きたい、逞しい腕に抱きしめられたい。
 王宮を出てまだ半月ほどだというのに、もう十年も逢っていないような気がする。
 一体、自分はどれだけ彼を好きになってしまったのだろう。セリョンは底なしに深まってゆくムミョンへの恋心が自分で怖かった。
 
 セリョンが翠翠楼の自室で悶々としていた同じ頃、都の目抜き通りを一人の若者が歩いていた。縹色の上品なパジを粋に着こなし、鐔広の帽子を目深に被っている。顎から垂れている蒼玉(ブルーサファイア)だ。
 両班の若者がふと脚を止めた。道の脇に建つ露店から良い匂いが漂ってくる。見れば、そこは簡易な食堂になっている。汁飯の空きっ腹をくすぐる匂いが充満し、道脇に寄せた広い露台には客が満員だ。
 客たちはそれぞれ小卓を前に注文した料理を美味げに食べている。若者は優美な見かけとはおよそ不釣り合いな見世の露台に上がった。
 四十ほどの女将が気の毒げに言った。
「申し訳ありませんが、今は満員なんですよ」
 若者は鷹揚に頷き、身近にいた商人らしい二人組に声を掛けた。
「良かったら、私も入れて貰えるだろうか」
 身なりの良い両班にいきなり声をかけられ、二人は顔を見合わせたが、一人が笑顔で言った。    
「ああ、構いませんよ」
 若者は小卓を前に腰を下ろし、二人と向かい合った。卓の上には銚子が二本転がり、汁飯と青菜のお浸しが載っていた。
 銚子は既に空になっている。若者は注文を取りにきた女将に気さくに言った。
「酒の追加と鶏の蒸しものを。あと、汁飯も一つ頼む」
「はい、毎度」
 女将は愛想良く応え、引き返していった。
「随分と話が弾んでいたようだが、邪魔をしてしまったかな」
 若者が気軽に問えば、商人風の一人―最初に反応した方が如才なく応えた。
「そんなはことありませんよ。いえね」
 傍らのひょろ長い瓢箪のような顔の連れが続きを引き取った。
「新しい国王殿下のご時世になって、俺らの暮らしも随分と良くなったて話してたんでさ」
 若者はどう見ても二十歳そこそこで、彼等よりは十は若いが、身分制度の徹底しているこの国では、両班は別格である。はるかに年下の自分に丁重な物言いをされ、若者は居心地が悪そうだ。
「そんなにしゃちほこばらないでくれ。俺は堅苦しいのが苦手なのだ」
 言ってやると、二人組は嬉しそうに笑った。
「そうですか、では、遠慮なく」
 そこに女将が盆に載った銚子と汁飯、鶏の蒸し物を運んでくる。
「やあ、これは美味そうだ」
 若者は屈託ない声を上げ、湯気の立つ汁飯を食べ始める。
「まずは、一献」
 彼は男二人に次々に酌をしてやり、こちらも湯気を立てる鶏を指した。
「良かったら、食べてくれ。今日は全部、俺のおごりだ」
「本当かい、旦那」
 二人は眼を輝かせ、鶏の蒸し物を突き始める。ひょうたん顔の隣の丸顔が銚子を掲げ持った。
「旦那もどうぞ」
「いや、これは済まぬ」
 若者は杯に並々と注がれた酒を豪儀にあおった。
「良い呑みっぷりだねぇ、旦那」
「相当いけるクチだろ」
 二人も大分打ち解けてきた。若者がそれとはなしに言った。
「先刻の話、新しい王になって民の暮らしが少しは良くなったと話していたが」
 ひょうたん顔が笑った。
「ああ、俺らだけじゃない、今、都のどこでも、その話で持ちきりさ。新しい王さまは神さまのような方だと皆噂しているよ」
「けどなぁ」
 丸顔が浮かぬ顔で呟いたのを、若者は見逃さなかった。
「何か支障があるのか?」
 その質問に、男二人は顔を見合わせ、丸顔が息を吐いた。
「確かに年貢は軽減されたけども、豪商の中の蔵にはまだこれまで買い溜めた米が唸るほど眠ってるんだよ。その米が市場に出れば買値も下がるはずなんだが、強突張りの奴らは次に飢饉が来たときに法外な高値で売りさばこうと企んでやがる。俺たちゃア、米を作る暮らしではないし、米の値は相変わらず滅法高くて、農村では少しは良くなったのかもしれないが、実のところ、俺たちはそうそう変わらないんだよ」
「そうなのか?」
 若者は頷き、丸顔の盃にすかさず酒を注いでやった。
 三人はそれからも和気藹々と話し込み、四半刻後、若者は席を立った。
「済まぬが、これから野暮用があるので、俺は失礼する」
「お、野暮用とは聞き捨てならねえな」
「どこの美人が待ってるんだい? 旦那は男前だから、さぞかしモテるんだろうな」
 二人が口々に揶揄するのに、若者が小声で言った。
「翠翠楼だ」
 刹那、二人が眼をひきむいだ。
「翠翠楼っていやア、あの翠翠楼かい」
 丸顔が言えば、瓢箪が興奮して唾を飛ばす。
「えらい綺麗どころが揃ってるって話だろ」
「な?」
 二人は興奮した様子で頷き合った。
「馴染みの妓生としっぽりやりにいくのかい」
「いや、妓生ではない、許婚に逢いにゆくのだ」
「おう」
 丸顔が声を上げた。
「旦那の許婚となりゃ、さぞかし立派な両班のお嬢さんだろうに、妓房で昼日中から逢い引きとは、旦那、お相手の娘さんの親御さんに見つかったら、殺されるぜ」
 どうも、二人は勘違いをしているようだ。
 だが、若者は笑いながら言った。
「殺されるまではゆかないが、許婚の親御には早々と恨まれている。俺の顔を見ただけで、殴りかりたそうな表情をしているぞ」
 ひょうたん顔が破顔した。
「そいつは怖ぇな」
「けどよう、旦那、可愛い娘をかっさらってゆく男に対しては、どこの親もそんなもんですぜ。俺にも三つの娘がいるが、いずれ、どこの骨とも知れねえ男に娘を奪われるのかと想像しただけで、胸っ糞が悪くなるよ」
「その点、俺ンところは男ばかりガキ三人だから良いねぇ」
 瓢箪が笑い、若者は頷いた。
「二人とも良い子に恵まれて、先が楽しみだな」
「旦那も気を付けなせぇよ。あんまり頑張り過ぎると、祝言を挙げる前に赤ン坊ができて、それこそお嬢さんの親御さんに殺されちまいますぜ」
 勝手なことを言いながら、二人組は陽気に手を振っている。若者も手を振りながら、店を後にした。昼時を少し過ぎたせいか、露台には少し座るゆとりが出てきたようである。
 人の好い二人の男たちはまだ、何か喋っては愉しげに笑っている。
 若者は手を背後で組み、ゆったりと歩きながら都大路を行き交う人並みに紛れた。