小説 姫はひそやかに咲き乱れる~戦国恋華~ 私が本当に好きなのは夫、それとも彼の義弟? | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

小説 姫はひそやかに咲き乱れる

  ~戦国恋華(せんごくれんか)~

 私が本当に好きなのは夫、それとも彼の義弟? 嫁いだばかりの若妻の心が揺れる。

 

☆ 夫×私×義弟 本当に私が愛しているのは誰なのか-? ☆

時は群雄割拠していた戦国乱世の時代。
政略結婚で宿敵の武将に嫁がねばならなくなった徳(あや)姫。
夫となるのは無類の戦上手ではあるが、冷酷無比な情け知らずとしても知られる
武将だった。
徳姫は気が進まないまま、父の言うがままに嫁ぐが、―。

**************************************************************

 始まりはいつも雨

 

 徳(あや)姫が物心ついてからというもの、何か大切な出来事があるときには必ずと言って良いほど雨が降っていたように思う。
 言うなれば、徳姫の想い出を語るには雨は外せない。嬉しいときも哀しいときも、彼女の背後にはいつも煙るように降りそぼる雨があった。
 大好きだった祖母が病で亡くなったのは、しっとりとした春の雨が降る弥生の終わりであったし、ふとした風邪をこじらせた父が危篤にまで陥りながらも持ち前の強靱な体力で危機を乗り越えた夏の朝にも、静かな雨が夜明け前の庭を濡らしていた。
 今、また、人生の中でもとりわけ大きな一つの転機を迎えようとしているこの瞬間にも、雨はひそやかに降っている。これまでの幾多もの想い出に比べたら、今回はけして心躍るものではなく、むしろその逆であろうことは容易に想像がつく。
 徳姫が十数人の伴の者たちと共に故郷の月山(つきやま)城(じよう)を後にしたのは今から八日ほど前のこと。産声を上げたそのときからずっと傍にいてまめやかに仕えてきてくれた乳人葛木(かつらぎ)を初め腹心の侍女茜以下、いずれも心から信頼できる者たちばかりだ。
 徳姫は月山城城主一(いつ)色嘉政(しきよしまさ)の息女である。母は正室楓(かえで)の方。楓の方は、京の都は権中納言三条卿の庶子に当たり、楓の方の異母姉登美子は畏れ多くも宮中で典侍(ないしのすけ)を務めているときに時の帝の寵幸を得て内親王の生母となった。
 登美子は三条卿の北ノ方(正室)腹の姫であり、その美貌と利発さゆえに、父に将来を早くから嘱望され、十二歳で帝のご生母宜陽門院の女童として大宮御所に上がった。宜陽門院の許に行幸になった帝が既に一人前の女房となっていた登美子に眼を止められたのが、登美子十七歳のときである。その直後、帝の強い意向で典侍に抜擢され、禁中に移り住んだ。
 現在は尊(たつと)んで〝三条の御息所〟と呼ばれている。たとえ顔を見たこともなくとも、三条の御息所は徳姫の伯母に当たる女性だ。が、帝の寵幸厚い妃が己れの伯母に当たるといわれても、徳姫には今一つ実感が湧かない。
 徳姫は今年、二十歳になる。十五、六、早い者であれば十二、三で嫁に行き人の妻となり母となることが当たり前であった当時、徳姫の年齢は既に嫁き遅れの感が否めなかった。
 では、何故、徳姫がこの年になるまでどこにも嫁がなかったのか―、それには相応の理由があった。
 第一に徳姫は器量が良くない。贔屓目に見ても、世間で言う並よりも下だろう。醜女というほどではないけれど、年頃の若い男が好んで妻に迎えたがるような類の容貌ではなかった。
 そして、外見の他にもう一つ、彼女には誰にも嫁せなかった真の理由があった。徳姫は十代の頃から薬師に〝生涯、子には恵まれないだろう〟とひそかに宣告されていたのだ。
 月のものがないというわけではなかった。だが、初潮を迎えたのも十八歳と他の少女たちよりははるかに遅れていたし、それ以後も月事があるのはせいぜい一年に二、三度程度で、ひどいときには半年以上も間遠なことがあった。
 思春期を過ぎて、成熟期ともいえる時期を迎えても、そんな不安定な状態が続いたため、娘の身を案じた楓の方がわざわざ京から高名な薬師を招き寄せたのである。
 その結果、徳姫の生涯に拭い去ることのできぬ不吉な影を落とす予言がなされたのであった。
―真に申し上げにくいことながら、姫君さまのお身体は女性として十分に機能しているとは申し上げられませぬ。
 老いた薬師は気の毒げに告げた。
 あまりにも衝撃を与える言葉に、楓の方は声もなく、ただただ茫然としていた。
 その傍らで、当人の徳姫は毅然とした面持ちで端座しており、一言一句たりとも老薬師の言葉を聞き洩らすまいとするかのように見えた。
 彼が気の毒ではあるが、御子をお望みになられるのは諦めた方が良いと控えめではあるけれど、きっぱりと告げると、楓の方は〝ひっ〟と小さな声を上げ、それきり扇で顔を覆い隠してしまった。肩を震わせて泣いている母の傍らで、十九歳の娘は泣き叫ぶどころか眉一つ動かすことはなかった。
 しかし、その白い面がかすかに蒼褪めているのを見ても、心では相当の打撃を受けているのは明白だった。それも無理からぬことと、老いた薬師はひそかに同情の念を禁じを得なかった。
 女人にとって嫁いで人の妻となり、新たな生命をその胎内で育み、愛する男の子を生み落とすことは一つの定められた宿命(さだめ)のようなものだ。宿命であると共に人生の大きな歓びでもあるその母となることを端から諦めよ―、そう告げられたのだから、まだ年若い姫が落胆するのは当然ともいえた。
 彼は、健気にも取り乱すまいとする姫に言い添えずにはいられなかったのだ。
―とは申せ、姫さまはまだおん年十九のお若さ。月のしるしをご覧になったのも十八歳と世の女人よりも多少遅かったゆえ、まだまだこれよりお身体が女性として成熟なさることも十分考えられまする。お子を授かる望みが全く消えたというわけではござりませぬゆえ、あまりご落胆なされませぬように。
 殆ど気休めでしかないことは判っていたが、己れに課せられた宿業を従容として受け容れようとする姫を前に、薬師は万に一つの可能性を口にしてしまった。
 老薬師が都に帰ってからひと月後、永尾城の城主長尾邦昭から徳姫に縁組の申込みがもたらされた。
 長尾邦昭といえば、ここ数年の中(うち)で俄に名を知られてきた武将である。〝その戦う姿、鬼神のごとし〟と謳われるほどの猛者として名高く、また、ひとたび敵となった者、裏切った者にはどこまでも容赦なくふるまうその冷酷非道さでも知られている。
 実の父を誅して家督を乗っ取ったと囁かれており、野心や目的を遂げるためには手段を選ばぬ男と諸将からも怖れられていた。果たして、邦昭が実の父を殺したのかどうか、その真偽は定かではないが、現実として彼はこの十年足らずの間に国境(くにざかい)を接する四方の国々を次々と平定して、自らの属国としてきた。
 これらの国々との戦でも邦昭の鬼神のごとき凄まじい戦いぶりは発揮され、今日に至るまで半ば伝説のように語られている。〝ひと太刀で、十人の将の首を薙ぎ払った〟とか、嘘かどうかは知らねど、彼の戦場での苛烈さを物語る逸話であることに間違いはない。
 更に、邦昭の特性が大いに発揮されたのは何もその勇猛さだけではなかった。邦昭はあろうことか敵方の大将はむろんのこと、罪もない女子どもに至るまで一人残らず、火刑、或いは串刺しの刑に処してのけたのである。
 たとい幼くとも、敵将の男児であれば後々の禍根を絶つために生命を奪うのも止むを得ぬ仕儀とされたが、婦女子の生命までことごとく取るというのは前代未聞であった。あまりの残虐さから、邦昭は〝あ奴は真の鬼ではなかろうか〟と陰で噂される有様である。
 鬼と畏怖される男からの突然の求婚に、徳姫の父一色嘉政は困惑した。月山の国は小国であり、山地が多い上に、土地も肥えてはいない。
 従って、田畑を作ろうにも耕す土地がなく、けして豊かな国とはいえない。そのような貧しい小国の姫を何ゆえ、わざわざ妻に迎えようなどという気紛れを起こしたのか、その意図を計りかねたのであった。
 だが、ほどなく、邦昭の目論みは知れるところとなる。楓の方の異母姉三条の御息所の生み奉った姫宮は名を殊(こと)子(こ)と申し上げ、おん年二十五歳になられる。
 この殊子内親王が時の将軍家足利氏家に嫁いで御台所となっており、どうやら、策略家の邦昭は、殊子内親王には従妹に当たる徳姫を妻として迎えようという魂胆らしい。