ラビ村家で【ニワトリを飼って】いた時代&放し飼いのニワトリに教室中が大騒ぎ~今日はニワトリの日~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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皆様、おはようございます。
 

 当地は昨夜から雨で、梅雨らしい涼しい気候です。
 
 雨が上がったら、かなり暑くなるみたいですね、、、
 
 
 勘弁して欲しいなぁ。
 
 さて、今日は「ニワトリの日」。ニワトリといえば、我が家の末っ子ちゃ
 
んは酉年。ニワトリです。確かによく喋る子だなぁ―笑
 
 私が小学生の頃、母校には鶏がいました。今はその頃の校舎は取り
 
壊して新しいのが建っていますが、当時は第一校舎と第二校舎が並ん
 
でいて、鶏小屋はその間、第二校舎の前にありました。
 
 第一校舎が校庭寄りで、一年、三年、五年の教室があり、第二校舎
 
が二年、四年、六年り教室でした。
 
 二年生の図画工作では写生があります。鶏を描きました。担任の先
 
生が鶏小屋から鶏を連れてきて、皆は机を円状に並べて真ん中の空
 
いたスペースに机の上に乗った鶏が鎮座しています―笑
 
 もちろん、どこかに繋いでいるわけではないので、途中でコッコーコッ
 
コと騒がしい泣き声を上げながら走り回ることもありました。皆、キャー
 
キャー言いながら逃げ回り、写生どころではなかったときもありました。
 
 いつ頃から鶏がいなくなったのか。ウチの娘が入学したときには既に
 
鶏はいなくなっていました。
 
 私が卒業してから24年の間に、鶏はいなくなってしまったのですね。
 
 
 ただ、鶏小屋はそのまま元の場所にあったそうです。
 
 それはウチの娘が卒業した二年後、末っ子が入学したときまで続き
 
ました。
 
 末っ子が入学したその年、私にとっては慣れ親しんだ本当の意味で
 
の「母校」の取り壊しが始まり、必然的に鶏小屋もなくなりました。
 
 
 つまり、鶏がいなくなっても、小屋だけは校舎が取り壊されるまで元
 
の場所にあったというわけですね。
 
 昔は家庭でも鶏を飼っていたところも結構あったのでしょうか。
 
 そう言う我が家も母が嫁いできた頃はまだ鶏がいたそうです!
 
 我が家にもかなり長い間、鶏小屋の残骸? はありました。
 
 私が記憶しているほどですから、かなり後まであったと思います。
 
 母の話によれば、鶏数匹を飼っていたそうですが、ある日、イタチに
 
殺されてしまったそうです。現場の凄惨な光景は今、思い出しても嫌な
 
ものだと母は言います。
 
 首だけ食べられて、胴体は血まみれで転がっていたといいます、生き
 
残った鶏は一匹もいませんでした。
 
 それからというもの、我が家では鶏を飼うのは止めたそうです。
 
 私が生まれる前の話です。
 
 私は学校で飼っていましたから、鶏を見た記憶はあります。でも、今
 
の子どもたちは鶏を間近で見たことはあるのかなと疑問に思います。
 
 時代の流れといってしまえばそれまでですが、ちょっと寂しいですね。