【完】略奪婚から幸せな結婚へ―私はこの先もずっと、あなたの側にいるわ。小説氷華~恋は駆け落ちから | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 氷華~恋は駆け落ちから始まって~

 

あの男と結婚したくないのでしょう?耳元で囁かれ、私は呆然とした。そう、私はまだこのとき、知らなかった。優しげに見えた彼が心底出考えていた怖ろしくて淫らな企みを。

 

 ヨンセは自らを落ち着かせるように眼を瞑り、ゆっくりと開いた。
「トンジュ、サヨンから話はすべて聞いた。必要としている人に大量の草鞋を売り、大儲けした話も、それがそなたの才覚で成し遂げられたこともな」
「大行首さま、そ、それはサヨンが―」
 トンジュが烈しく首を振った。
「良いから、黙って聞きなさい。先刻も申したであろう、真実や過程よりも、結果を重んじねばならないと。正直、サヨンとそなたがいなくなってから、私はそなたを憎んだ。折角上手くゆきかけていた李氏との縁組みや商売上の取引もすべてご破算になり、私は李スンチョンに多額の慰謝料を支払った。李氏との縁談が壊れたことで、私もコ商団も大変な損失を蒙ったのだ。それだけではない、世間的な信用も失墜した。そなたさえ、サヨンを連れて逃げなければ、このような多大な損害はなかった」
 ヨンセの声は厳しかった。
 トンジュの当初の目論見に反して、李スンチョンは黙って引き下がりはしなかったようだ。が、それも無理からぬことともいえる。今回の件で、スンチョンとその息子は大いに面目を失ったのだ。
 それでも、ヨンセが慰謝料を払っただけでスンチョンが引き下がったのは、不幸中の幸いであった。やはり、その点は、トンジュの指摘したように、必要以上に騒いで世間の注目を集めれば、恥の上塗りになると判断したのだろう。流石に、引き際を心得ていたのだ。
 トンジュはうなだれ、顔も上げられないようだ。
「申し訳ありません。幾ら謝っても、お詫びのしようもないほどです」
「だが、幾ら終わったことを嘆いてみても、前には進めない。失敗から学んで先に活かすのが商人の生き方だ。トンジュ、そなたが草鞋を売って得たという金を元手に商いを始めるのだ。しかし、言っておくが、私は援助はしない。ただ、そなたが忠言を必要とするときには、いつでも歓んで忠告はしよう。そなたがどれほどの器かを、自分の力で私に示してくれ」
 トンジュがハッと顔を上げた。
 ヨンセはトンジュに鷹揚に頷いて見せ、サヨンに安心させるように微笑みかけた。
 しばらく沈黙が流れた。
 ヨンセは大きく息を吸い、ふいに浮かんだ涙に眼を細めた。
「それで、祝言はいつにするつもりだ」
「お父さま」
 サヨンはかすかな期待を込めてヨンセの顔を見つめる。
 ヨンセは早口に言った。
「中途半端なままの関係では、世間に対する体裁も悪い。祝言も挙げていないのに、そなたとトンジュを一つ屋根の下に住まわせることはできないからな」
 怒ったような口調とは裏腹に、父の頬が嬉しげに緩んでいる。
「何代も続いてきたコ商団も私の代で終わりかと思っていたが、そなたが良い婿を連れてきたお陰で、思いがけず優れた後継者を得ることができた」
 ヨンセはトンジュに向かって言った。それは長年に渡って漢陽一の商人との評判を守り続けてきた大商人ならではの言葉であった。
「トンジュ、商いの道は机上の学問とは違って、現実的で厳しいぞ。だが、幼い頃に見せたそなたの頑張りをもってすれば、克服することは不可能ではない。心して学びなさい」
「はい」
 トンジュが畏まって頭を下げる。
「そなたの奴婢証文は処分する。これで、そなたは晴れて自由の身となった」
 傍らのトンジュが小さく息を呑み、眼を潤ませた。
「大行首さまのご恩は一生涯忘れません」
 ヨンセは大きく頷いた。
「その気持ちを忘れず、コ商団を盛り立てていってくれ」
 ややあって、ヨンセは小さな声で言った。
「娘を頼んだぞ」
「はいッ」
 先刻より更に威勢の良い返事が返ってきて、ヨンセは薄く微笑する。
 傍らで父と良人のやりとりを耳にしながら、サヨンの眼尻にかすかな涙が滲んだ。

 

 後年、トンジュは義父の跡を受け、コ商団の大行首となった。その傍ら、比類なき高度な薬学の知識を活かし、独自に薬屋を開いた。本来の商団の事業だけでなく、新しく開いた薬屋の方も順調に伸び、後には都中に数店の支店を出すほどにまでなった。
 むろん、出発点となった始まりの小さな店を出す資金となったのは、サヨン(世間的にはトンジュが得ことになっている)が草鞋を売って得た黄金である。
 時は更に流れ、トンジュとサヨンは息子が一人前になると、コ商団と薬屋を息子夫婦にゆずった。ちなみに、夫婦の間には二男一女が生まれている。トンジュたちは一番下の息子を連れて都から離れたあの懐かしい山上に戻った。やがて、その息子が山茶花村の娘を嫁に迎え、話を聞いた人々がはるばる山上に移り住んできて、いつしか村ができた。
 一時は滅びた幻の村が甦ったのだ。
 かつての古き良き時代のように、森の奥の小さな村では、駆け回る子どもたちの姿があちこちに見かけられ、女たちの笑い声や男たちが酒を飲んで陽気に歌う声が響くようになった。 
 ただ一つ違っていたのは、トンジュたちが森の禁忌を破り、森を抜けて麓と山上を行き来するすべを皆に教えたことであった。そのため、魔の森は恐怖や畏怖の対象ではなくなり、人々に恵みを与える祝福の森となった。
 今では誰もが山上と麓を自在に行き来できるし、麓の人がしょっちゅう山上の村を訪ねてきて、交流が盛んに行われている。
 義承大君の謀反は結局、失敗に終わった。あろうことか、大君が最も信頼していた沈清勇が大君を裏切り、直前に県監に密告していたのである。大君は兵を挙げることすらできず、囲まれた役所の兵たちに取り押さえられた。
 大君は謀反発覚後、半年で国王から毒杯を賜り、服毒死させられた。大君の訃報を聞いた時、サヨンは心が痛んだ。
 あの夜―無謀にも沈清勇の屋敷に乗り込んでいった日、大君がサヨンの話を聞いてくれなければ、その後のサヨンとトンジュはなかった。しかも、大君は約束したよりもはるかに多い黄金を褒賞として与えてくれさえしたのだ。
 国を揺るがした重罪人とはいえ、サヨンにとっては紛れもなく恩人と呼べる人であった。
                                  (了)