朝鮮を揺るがす謀反!私はきっとやり遂げる。愛する彼と晴れて夫婦になるために 小説氷華~恋は駆け落 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 氷華~恋は駆け落ちから始まって~

 

あの男と結婚したくないのでしょう?耳元で囁かれ、私は呆然とした。そう、私はまだこのとき、知らなかった。優しげに見えた彼が心底出考えていた怖ろしくて淫らな企みを。

 

  

 

 運命を賭ける瞬間(とき)

 

 山上に着いたときは、既に明け方近くなっていた。我が家は、薄蒼い朝の空気の中にひっそりと建っていた。たった一日離れていただけなのに、十年も離れていたような気がする。サヨンにとっては、もうこの家こそが我が家であった。
 扉を静かに開けると、夜具に胡座をかいていたトンジュが素早く立ち上がった。
「サヨン、一体、どこで何をしていたんだ!」
 サヨンは微笑んだ。
「ごめんなさい、心配をかけてしまったわ」
「俺は、俺は―」
 トンジュが口を開きかけ、込み上げてくる感情を飲み込むようにつぐんだ。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ。途中で何か怖ろしいことに巻き込まれたのか、それとも、また俺がいやになって逃げ出したのかと、あれこれ気を揉んだんだぞ?」
「私はもう逃げないわ。第一、逃げる気なら、森だって今は抜けられるのだから、とっくに逃げていたわよ」
「そうだな」
 トンジュが溜息をつき、頷いた。夜中眠れなかったのだろう、顔色が悪かった。
「まだ怪我が癒えたばかりなんだもの。眠らないと、身体に悪いわよ」
「だが、帰ってこないお前のことを考えると―」
 ふいに、サヨンはトンジュに抱きついた。トンジュが愕いて眼を丸くする。
「おい、何なんだ。いきなり」
「トンジュ、はっきりと言うわ。私が帰る場所はこの世に、もう一つしかない。それは、あなたの側だけよ」
「サヨン」
 トンジュの声がかすかに揺れた。
「あなたのいる場所が私の家になるの。愛しているわ、あなたが私を求めてくれるのに負けないくらいに私もあなたを必要としている」
「信じても良いのか?」
「当たり前よ。私が今まで、あなたに嘘をついたことがある?」
 トンジュがサヨンを痛いくらいに抱きしめ、豊かな黒髪に顎を押し当てた。しばらくサヨンは愛しい男の腕に身を委ねていたが、やがて、そっと離れた。
「トンジュ、大切な話があるの、聞いて」
 サヨンはそれから攫われて監禁された沈家の屋敷で聞いた例の密談について話した。
「そいつはまた穏やかではないな。つまり、義承大君が田舎住まいをしたがったのは風流とやらのためではなく、王さまの眼をごまかすためだったんだな」
 サヨン同様、トンジュもすぐに事の全容を理解した。
「確かに物騒な話だわ。実の弟がお兄さんである国王さまを討つというのだから」
「そして、王さまは王さまで血を分けた弟を疑っていた。やりきれない話よね。でも、話はここで終わりではないの。私たちに関係があるのはこれからよ」
 サヨンは息を吸い込むと、更に話を続けた。決起が予定より三ヶ月も早まったため、兵士たちの草鞋が足りなくて大君たちが困っていること。そこに眼をつけたサヨンが町の履き物屋と交渉して店の倉庫にある草鞋すべてを出すと約束してくれたことまで打ち明けた。
 トンジュは腕組みをして考え込んだ。
「だが、たかだか小さな店一つの在庫だけで間に合うのか? 向こうはできるだけ多くの草鞋が欲しいんだろう?」
 サヨンは小さく笑った。
「その点は心配ないわ。昼間、その店の前を通りかかった時、そこの主人が隣の筆屋のおかみさんと話してたのよ」
―大きな声じゃ言えねえけどよ、うちには朝鮮中とは少し大袈裟かもしれないが、都中の人間が履くくらいの草鞋があるぞ。
 この地方は寒冷な気候のため、春先までしばしば大雪に見舞われる。そのときに履き替え用の草鞋が飛ぶように売れるため、吝嗇な主人は、草鞋が倉庫にあるにも拘わらず普段は店に出さずに、悪天候の日に出すのだ。
「もちろん漢陽中の人の数というのは信じられないけど、あそこまで豪語するからには期待できると思う」
 更にサヨンの話は続いた。履き物屋の主人と筆屋の女房の立ち話で、主人の老いた母親が長患いをしていることを知り、主人に草鞋を売って得た金の三分の一と老母の病を治してやることを約束したと話した。
「お前な、もし俺が治せなかったらとか考えなかったのか?」
 半ば呆れ顔のトンジュに、サヨンは笑った。
「トンジュは朝鮮一の名医だもの。それでね、これがご主人から聞いてきたお婆さんの症状」
 サヨンが差し出した小さな紙片には几帳面な字で、老母の症状や生活状態が書き込まれていた。
「これをお前が書いたの?」
「そうよ、実際に診て処方するにしても、まずは詳しい容態を知っておいた方があなたが診断しやすいと思ったの」
 トンジュは溜息混じりに首を振った。
「いやはや、サヨンには参ったよ。もしかしたら、俺は大変な嫁さんを貰ったのかもしれない」
「何よ、それ。相変わらず全然褒められている気がしないんだけど?」
 サヨンが頬を膨らませ、トンジュがそれを指でつつく。二人は顔を見合わせて微笑み合う。
「それにしても、沈勇民の野郎、今度、サヨンに手を出したら、ただでは済まないとあれだけ言っておいたのに」
 サヨンが勇民に攫われたと聞いたトンジュは、どうもそのことが頭から離れないようだ。
「今はあんな男のことなんて、どうでも良いわよ。それに、あの人のお陰で途方もない儲け話が転がってきたんだから」
 沈家の屋敷にいなければ、国王の弟が地方両班と結託して兄王に謀反を働く―などという怖ろしい謀などとは一生無縁だったはずだ。
「かなり危ない橋だと思うが、本当にうまくやれる自信はあるのか?」
 トンジュが頭の回転は良いが、いささか無謀すぎる妻に問うと、サヨンは艶やかに微笑んだ。
「お父さまがよく言っているの。商談を決めるときには、八割が誠意をもって引き受けた仕事を全うしようという真心と義務感―その中にはもちろん成功する目算も入っているけど、あとの二割は何とかなるさくらいの開き直りが必要だって」
「ふうん、大行首さまがそんなことを言っていたのか」
 トンジュはしきりに頷いている。
「やはり血は争えないな。サヨンの愕くほどの頭の回転の良さと大胆さは、大行首さまゆずりだったんだ」
「何か言った?」
「いや、このままでは気が済まないから、沈勇民の奴をやはり、漢江に投げ込んで鰐のえさにしてやろうと言ったのさ」
 トンジュは笑いながら応えた。


 沈清勇と義承大君が決起すると言っていた日まで、あと二日しかない。人任せにだけする気にはなれず、サヨンは自分も草鞋を編み始めた。懸命に草鞋を編み続けるサヨンを見て、トンジュも傍らに来て編み始める。
 まだ体調が十分ではないのだとからと止めても、トンジュは笑って首を振るだけだ。二人は並んで一日中、草鞋を編み続けた。
 ついに決行の日の前日になった。
 町には一人で行くと言うサヨンに、トンジュは絶対に駄目だと言い張る。サヨンはトンジュの身体をひたすら心配した。まだ傷口が漸く塞がったばかりなのだ。無理は禁物なのは判っていた。
 だが、サヨンに負けず劣らず、トンジュも頑固だ。
「どうしても一人で行くというのなら、俺はお前を町には行かせないぞ」
 トンジュは、肩を怒らせてサヨンの前に立ち塞がった。その決然とした表情からは、力ずくでも止めようという覚悟が表れている。ここまで言う男を止めることはできなかった。
 昼過ぎにサヨンはトンジュと共に山を下りた。町に入ったのは西の空が茜色に暮れなずむ頃である。目指すのは例の履き物屋であった。
 でっぷりと肥えた店の主人は、サヨンを待っていたように出迎えた。
「草鞋の方は用意してあるぞ」
 奥の倉庫に連れてゆかれた二人は、息を呑んだ。眼前には、草鞋の山が築かれている。何百足どころか、何千足とあるに違いない。
 この間の主人の〝漢陽中の人間が履けるくらいの数〟というのは満更、嘘ではなかったのだ。
「こんなに?」
 サヨンは草鞋の山に圧倒されながら言った。
 主人が誇らしげに応える。
「商人は嘘をつかないものだよ」
 そう言って腹を揺すって笑った後、こう付け加えた。
「お前さんが帰ってから、すぐに町中の履き物屋に連絡を取って、集められるだけの草鞋を集めたのさ。こう見えても、儂はこの辺りの履き物屋の中では顔が利くのさ。皆、代金は後払いで良いからと快く出してくれたよ」
 サヨンは主人の意図を計りかね、用心深く言った。
「これだけの草鞋をご用意して頂けるとは正直、考えていませんでした。でも、はっきり申し上げて、私たちに、これだけの草鞋に見合うだけのお金をご用意できるかどうかは判らないのです」