皆様、おはようございます。
流石に晩秋、冷え込みも厳しくなってきましたね。
でも、我が家はまだ暖房は使っていません。
つい最近、MP3で韓国ドラマの主題歌をピアノアレンジしたアルバムを購入しました。
その中には、私が見てない、知らなかったドラマや曲ももちろん多いのですが、
知っていたものもありました。
その中で懐かしかったのが「王と私」です。
かなり前の作品であり、私自身も視聴したのは韓流時代劇にハマってまもなくのことでした。
朝鮮王朝時代、成宗ソンジョン王とその妃ユン氏が幼馴染みとして出会い、
恋に落ちて、やがて結ばれるまでを史実を絡めながら描いた歴史大作です。
燕山ヨンサン君という暗君がいました。
☆ク・ヘソンさんが悲劇の廃妃を演じました。
歴史の中のユン氏は本当は、どんな女性だったのでしょうか、、、☆
その両親に当たるのが実は成宗とユン氏です。
そして、ユン氏は側室から中殿―つまり王妃にまで昇りつめながらも
その人柄が「嫉妬深く慎みがなく、浪費家」であるとされ、
夫である王自身から毒刑を命じられ毒を飲んで亡くなりました。
この哀しい最後は、更に時代は下りますが、粛宗の王妃となりつつ側室に降格され
最後は毒杯を賜ったチャン・ヒビンに少し似ています。
もっとも、私が知る限り、ユン氏がヒビンのように策略を巡らし他の王の妃たちを
呪ったり殺そうしたりという話は聞きません。
同じように嫉妬深くても、ヒビンの方が少し狡賢いというか頭の回る女性で、
政治的な野心があるのかなという気がします。
さて、話はユン氏に戻りますが、。ユン氏はこのように今でも鼻持ちならない女性であったと
いわれています。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。
「王と私」では、むしろユン氏は正義感の強い清廉な人柄として描かれています。
到底、「鼻持ちならない女性」のようには見えません。
このドラマでは、ユン氏が実は「陥れられて、歪めた事実として【悪女】に仕立て上げられた」
というように描かれていました。
本当は悪女ではないのに、悪女としてわざと虚像を作り、それが後世に伝わった
ということです。
そのために成宗から毒杯を与えられることになりました。
☆実家で静かに死を待っていたユン氏。
実母がずっと側にいて、毒杯が届いても「飲んではなりません」と
ユン氏に泣きすがっていたシーンには涙を誘われました☆
当時から、朝廷には様々な思惑や派閥が渦巻いていました。
ユン氏はそういった派閥争いに巻き込まれたのです。
そして、また陰でユン氏を陥れた首謀者は成宗の母インス大妃であったと
ドラマでは描かれていました。
このドラマが私の歴史観を変えてくれたのは確かです。
ユン氏が悪女だったというのはいわば歴史上の定説であり、陥れられて悪女にされた
たというのはあくまでも傍説にすぎませんでした。
しかし、このドラマは傍説を採用してドラマの主軸に据え
―実はユン氏は悪女ではなかった。
という主題で作られました。
こういう見方、描き方があるのだと眼からウロコだったように思います。
なお、このドラマで「王と私」という「私」は宦官のことです。
このドラマのもう一人の主役である実在した宦官キム・チョソンをオ・マンソクさんが
演じました。
チョソンもまた成宗やユン氏とは幼馴染みであり、ひそかにユン氏を恋い慕っていました。
しかし、成宗とユン氏が結婚したことより、チョソンの思いは報われませんでした。
彼は内官としてユン氏の側にいて、彼女を守ることになりました。
―内官は王の影。
それが、このドラマのもう一つの主題です。
いついかなるときも内官は王の影となり、けして自らを出しても求めてもならない。
そういう哀しい宿命を背負い、自ら男性機能を手放しす運命を選択する内官のありようを
また「王と私」は描いていました。
チョソンの上司である内官がチョソンに語ったひとことが印象的です。
―お妃さま(ユン氏)が悪女だったと後世の人は思うだろう。たが、同じ時代に生きた
私たちはお妃さまが悪女ではなく陥れられたと知っている。それで良いのだ、それが
「歴史」というものなんだ。
見事に「王と私」を貫く歴史観を体現しているセリフではないでしょうか。
この「王と私」、あの成宗王を虜にしたという妖婦「オウドン」をミスコリアのキム・サラン
さんが演じ、更にはチョン・ガンリョルさんがチョソンの義父役の宦官長を演じるなど
他にも同時代の興味深い歴史的エピソードが満載です。
☆オウドンは自分から意図的に王に近づき、誘惑しました。
彼女の意図どおり、成宗は美しいオウドンに夢中になりました。
http://www.dhcblog.com/megu1/archive/549
☆しかし、オウドンもまた「王族でありつつ、多くの男を惑わし都の風紀を乱した」
として処刑されのですが、彼女もまた実は「不運な結婚をさせられたために、自棄になった」
という、ある意味では「誤解されて悪女に仕立て上げられた」悲劇の女として
このドラマでは描かれています。☆
ある意味で、韓国時代劇を見始めてまもない時期に見たからこそ、
「王と私」はその後の私の書く時代小説に大きな影響を与えた作品といえます。
当時、購入した「王と私」のサントラを久々に聞いてみたいと思います。
何度も飽きるほど聞いたのも、今は懐かしい想い出です。
今に伝わる歴史は一つですが、光の当て方、見方によって
照らし出される「事実」は驚くほど変わってきます。
現代では「悪女」される女性が実は悪女てはなかった―。
そうも考えられる可能性があるところに、歴史の面白さがあるのかもしれませんね。