お前を好きなのは俺だけ、お前は俺を好きではない―妻に恋情を告白した源一郎 小説 霞み桜~妻の秘密 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 霞み桜    最終話  妻の秘密

~俺が恋したのは妻だった~。渋々おもむいた見合いの席て「ひとめ惚れ」した源一郎。急に決まった結婚、急速に「妻」に惹かれてゆく彼とは裏腹に、妻はいっかな心を開いてくれない。「源さん」の新婚生活はいかに?

 

女の一挙手一投足にいちいちこうまで反応しているとは男として情けないことだと、我が身の現金さに辟易する。だが、現実として、源一郎は妻に弱いし、彼の泣き所は佳純であることは間違いなさそうだ。
源一郎の視線を感じたのか、佳純が恥じらうように頬を紅くした。本当に可愛い。源一郎は思わず頬が緩んでしまう。
「少し、はしゃぎすぎました。まるで嫁入り前の娘のよう」
両手で頬を挟む佳純はそれこそまだ十八歳の少女にすぎなかった。
だから、源一郎は余計に佳純のためになることをしたいと思っただけだった。彼は軒下に行くと、伸び上がるようにして風鈴を外した。
刹那、背後で悲鳴のような声が響いた。源一郎はギョッとして振り向いた。
「何だ?」
佳純がまろぶように走ってきた。
「何故、そのようなことをなさるのですか?」
「見てのとおりだ。風鈴を外している。これはやはり大切にしまっておこう」
「どうして―」
佳純が消え入るような声で問いかけた。源一郎は風鈴を手にしたまま妻を見た。
「そなたにとっては、あまり見て気分の良いものではあるまい」
佳純は厭々をするように首を振った。
「そんなことはありません。結衣さまの形見の風鈴、私はそんな風に思ったことは一度もありません。むしろ、見ているとホッとするくらいで」
源一郎は静かな声音で言った。
「だが、俺ならば嫌だ」
「―」
佳純が眼を見開いた。源一郎はゆっくりと続けた。
「俺がもし佳純の立場だったら、昔の女の形見を後生大事に飾るような亭主は嫌だ。止めて欲しいと言う。佳純は違うのか?」
「私は」
佳純の可憐な唇が戦慄いた。
源一郎は淡々と言った。
「それは、そなたが俺を好いてはおらぬからであろう」
佳純が小さく息を呑む。
「仮に佳純が伊三郎との想い出の品を大切にしていたとしたら、俺は嫌だ。それはあやつが人間の屑だからという次元の話ではない。あやつがどんな聖人君子であったとしても、俺は伊三郎が佳純の昔の男であったというだけで嫌だと思う」
源一郎は淋しげな瞳で佳純を見た。
「最初からいきなり好きになってくれなんて、虫の良いことは考えてはなかった。けれど、夫婦として一緒に暮らしてゆけば、いつかは佳純が心を開いてくれるのではないかと信じていた。さりながら、そなたは一向に俺に靡いてはこぬ」
「違うのです」
佳純が聞き取れないくらいの声で言った。
源一郎がいつになく烈しい声で言った。
「何が違う? 事実は一つ、はっきりしているではないか。俺はそなたを好きで、そなたは俺を好いてはおらぬ。そういうことだ」
彼は投げ出すようにして言う。佳純はうつむき、小さな声で続けた。
「結衣さまの形見のことです。あれを見る度に、私は考えておりました。何故、源一郎さまに必要な方が亡くなられて、不必要な私のような女が残るのかと。いっそのこと、私が結衣さまの代わりに死んでいれば良かった。そうすれば、源一郎さまをこんなに苦しめることもなかったのに」
源一郎が怒鳴った。
「俺の心が何故、そなたに判る! 自分が役立たずだと? 俺にはそなたが必要ないと、何故、言い切れるのだ」
彼が佳純を切なげな眼で見つめた。
「頼むから、死ねば良かったなどと言うな。結衣は亡くなった。そして、佳純は生きている。失った人も時間もけして取り戻すことはできない。俺にとって今、最も大切なのは佳純、そなただ」
それでも、彼は佳純からの返事を待った。しかし、妻は何も応えてはくれない。重たすぎる沈黙に押し潰されそうになる前に、源一郎は佳純に背を向けた。
「少し出かけてくる。遅くなると思うゆえ、先に寝んでいてくれ」

 


それから源一郎は屋敷を出た。特にどこといって行く当てはなく、ふらふらとさ迷う中に、町人町まで来ていた。ここからなら、あの店が近い。それは睦月の末、捕り物で訪れた縄のれんだった。刃傷沙汰が起きているからと番所まで通報があったため、俣八と共に出向いたあの店である。
その後のことも気掛かりだし、丁度良い機会だと源一郎はその店を訪れることにした。
閉(た)てつきの悪い障子戸を開けると、〝いらっしゃい〟と店の親父の愛想の良い声が飛んでくる。
もう時間も時間とあってか、店内にいる客はまばらだった。せいぜいが五、六人といったところだ。
「親父、その後の商いはどうだ?」
源一郎を認めると、四十過ぎの店主が飛び出してきた。
「これはお役人さま、その節は大変お世話になりまして、ありがとうございます」
店主は頭をかきながら言った。
「あの野郎が置いていった金が結構あったもので、この際、店も少し手直ししました」
源一郎は店内を見回した。なるほど、一部を改修したらしく、木の香も新しい部分もあり、机も新しくなっている。腰掛け代わりだった空樽も本物の椅子になっていた。
「そいつは重畳だ」
源一郎は真新しい椅子を引き寄せて座り、親父に笑いかけた。
「伊三郎が真っ当な人間なら、とんだ災難だと同情してえところだが、あんな屑野郎はちったア、身に滲みた方が本人のためになるだろう」
と、有り金すべてを置いていった伊三郎のことを言い、亭主とひとしきり世間話をした。
「ところで、その後、あの何てったかな、叉、そう叉次郎だ。その叉さんはどうしてる?」
話題を変えたところで、親父が奥まった机を指した。
「叉さんなら、あそこに来てますよ」
源一郎は新しい銚子を持って叉次郎の傍に行った。
「叉次郎、達者でやっているか?」
一人で手酌で飲んでいた叉次郎が顔を上げた。空になった銚子が二本ほど転がり、つまみの小皿には蓮根の梅酢和えが載っている。
「ああ、旦那でやすか」
叉次郎が丸い顔に人懐っこい笑みを見せた。
「お陰様で、何とかこの通りでさ」
「俺もそなたのことが気になっていたのだが、色々とあってな。女房とはその後、どうなった? その様子では悪いようにはなっちゃいねえみたいだな」
今日の叉次郎は顔色も良く、以前の気落ちした切羽詰まったような雰囲気はない。だが、彼は源一郎が思いも掛けぬことを言った。
「そいつはどうですかね。嬶ァとは結局、別れましたから」
「そうなのか?」
源一郎は叉次郎の杯に酒を注いでやった。叉次郎は杯を押し頂き、ひと息に煽った。元気なようでも、やはり酒の力を借りなければ話せないようなことなのだろう。
「女房が流産したんですよ。騒動の最中のことでねぇ、マ、産婆の診立てじゃ、心労とかそういうのが原因ではないっていうのがせめてもの慰めでした。そうなりゃア、もう心はお互いに完全に冷めてちまってますからね。赤ン坊でもいれば、俺も仕方ねえかな。赤の他人の種でも乗りかけた船だ、てて親になっても良いかなと考えたときもあったんですが―」
つまりは身重の女を叩き出すのも気が引けたが、女の方が身軽になったからには清々と別れられるということだったのだろう。口には出さずとも、叉次郎の言い分はよく理解できた。
叉次郎が呟くともなしに独りごちた。
「悪ィのは大人であって、生まれてくる赤児に罪はありやせんからね。それに、どうせ子ができない宿命なら、これも縁だと他人の子でも親子のえにしを結ぶのも良いかなと」
それから、彼は苦笑いした。
「俺のお袋なんぞは〝お前は馬鹿か、どこまでお人好しなんだ〟って怒りまくってましたっけ」
「そなたは馬鹿ではない。なかなか決断できないことだ。同じ男として立派だと感じ入った」
源一郎はまた叉次郎の盃に注いでやった。
「そなたも色々と難儀なことが続いたな」
叉次郎は苦笑した。