私が家に連れ帰った若様を見て、「彼」は超不機嫌。義父の嫉妬が炸裂? 小説 密恋~お義父さんとは呼 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 密恋~お義父さんとは呼べなくて~

  第二話 むせび泣く月  【王宮編】

「わ、若さま。おいらのせいで、若さまがこんな目に」
まだ十二、三の子どもは薄汚れた木綿の上下に身を包み、涙を流していた。しかし、若者は満身創痍ながらも微笑み、優しく応えている。
「私のことならば心配するには及ばぬ。そなたの方こそ、何もなくて良かった」
〝おいで〟と声をかけ、若者は子どもを手招きする。子どもが恐る恐る近寄ってくると、若者は袖から小さな巾着を取り出した。薄桃色の巾着は財布らしく、膨らんでいる。やはり、かなりの金持ちの息子なのだろう。
「そなたが盗みまでして欲しかったのは、これなんだろう? だが、もう二度と他人の物を盗もうなどと考えてはいけない」
若者は巾着を子どもに握らせた。
「さあ、もう行きなさい。あの大男もそなたが盗みなどしなければ、向こうから手を出してきたりはしないだろうから、怖がることはない」
「あ、ありがとうございます」
子どもは声を震わせ、巾着を握りしめると逃げるように人混みに紛れた。
「お優しいんですね」
キョンシルに言われ、若者は白い頬をうっすらと上気させた。
「人として当然の行いだ。そなたの方こそ、か弱い女人の身であのような蛸入道の前に飛び出るのだから、たいしたものだよ」
「蛸入道―」
あまりにも言い得て妙な言い方に、思わず吹き出してしまう。火龍のソマニというのは、身の丈も横幅も尋常でなく大きいが、この辺りでは結構知られている。芸人一座に属して、口から火を噴く芸を最も得意とするため、その二つ名で呼ばれていた。確かに、若者の言うとおり、つるっとした禿頭は蛸入道といえないこともない。
「ソマニが聞いたら、また怒り出しそうね」
キョンシルは笑い、手を差し出した。
「私も若さまと同じですよ。若さまの言い分の方が正しいのに、一方的にソマニにやられているのを見たら、何というか、血が騒いで収まりがつかなくなって。気がついたら、夢中で飛び出してました」
「血が騒ぐか―。あのソマニという男の言い分ではないが、確かに面白い女だな、そなたは」
若者は声を立てて笑い、その拍子にツとまた右肩を押さえた。
「やっぱり、骨がどうかなっているのかもしれませんね。とりあえず、応急手当でもしましょう。良かったら、私の家に来て下さい」
「いや、それには及ばない。助けて貰った上に、そこまでの迷惑はかけられない」
キョンシルの差し出した手に掴まって立ち上がり、若者は何故かまた頬を赤らめた。
「私はもう行くよ。本当にありがとう」
明らかに上流両班が常民(サンミン)のキョンシルに丁重に頭を下げた。その身分で人を区別しない自然な態度にも若者の人柄が窺える。
―この(朝)国(鮮)もまだまだ棄てたものではないわね。
キョンシルは無意識の中に微笑んでいた。いずれは、あの人がこの国の中枢―朝廷の官僚になり、この国の政治に関わるようになる。たとえ一人でもああいう両班という身分を笠に着ない人がいれば、身を挺してでも常民の幼い子どもを庇うような人がいれば、朝鮮の未来にもまだ救いがあるというものだ。
そのときだった。またしても前方から怒号と悲鳴が聞こえてきて、キョンシルは眼を見開いた。
―今度は何?
慌てて騒ぎの方に駆けてゆくと、今度は鏡売りの前でひと悶着が起きている。見れば、店の前で先刻の折り目正しい若者が店主に押さえつけられ、もがいていた。
「一体、どうしたんですか?」
キョンシルの問いに、三十そこそこの店主が顔色を変えて言った。
「どうしたもこうしたもねえよ。こいつ、見かけは金持ちの坊ちゃんの癖に、うちの品物に手を出そうとしたんだよ」
つい先刻、幼い子どもに他人の物を盗んではいけないと諭し、自分の財布ごと有り金残らず与えた男が盗みを―? 俄には信じがたい話である。キョンシルは訝しみながらも、若者に問うた。
「若さま、本当に鏡を盗もうとしたのですか?」
「違う、私は盗んでなどいない。ただ、あの鏡をそなたに与えてやりたくて」
「若さまは、今し方、財布をあの子にあげてしまったでしょう? お金も持っていないのに、鏡を買えるわけがないではありませんか。それとも、まだ別の財布を持っているんですか?」
「財布? 財布とこの鏡に何の関係があるというのだ?」
「―」
キョンシルは絶句した。もしかしてと思いながらも、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。それでも、念のために訊ねてみた。
「もしかして、若さまは財布の―いえ、お金の使い方を知らないの?」
案の定、若者は思い切り不審な顔でキョンシルを見つめ返している。
「お金? 金は確かにあの巾着の中に入っているとは聞いていたが」
「じゃあ、何で若さまはあの子に巾着を上げたの? あの子がお金がなくて困っているから、上げたのではないのですか?」
若者は困ったように首を傾げた。
「いや、それは確かにそなたの言うとおり、あの子どもが生活に困っているからこそ盗みを働こうとしたのだと思った、それは事実だが―」
しどろもどろになり、口ごもった。
「そこまでお考えなのに、何故、若さまが今度は鏡を盗もうとするのですか?」
「鏡を盗む? 私は盗っ人ではないぞ」
そのときだけ、若者はきりりとした眉をわずかにつり上げた。その心外だという様子から、彼が盗みを心から働く気でなかったのは明白だ。
「おい、娘さんよ。どうやら、この若さまは頭が少しイカレちまってるようだぜ。綺麗な顔をしてるのに、可哀想にな」
店主が幸か不幸か、都合の良い勘違いをしてくれたので、キョンシルはこの場は退散することにした。
「えっ、ええ、本当に、お気の毒なことですわ」
とか何とか言い、急いで懐から銭を出した。
「若さま、さあ、行きましょう」
呆気に取られている店主に銭を渡し、引き替えに鏡を受け取ると若者の手を掴み、無理にそこから引っ張り出した。
「そなた、私は断じて狂人などではないぞ、無礼な」
流石に怒っているようだが、キョンシルは構わず彼の手を引いて進んだ。
「判ってますよ。若さまは、お金の使い方をご存じないんでしょ?」
キョンシルが小声で囁くと、若者は不思議そうに眼をまたたかせる。
「金の使い方? それは何の話だ?」
もう目眩がしてきた。キョンシルは額に手を当て、しばらく深呼吸して気を落ち着けた。正義感の強い優しい若さまだが、どうやら、とんでもない世間知らずであることは確かなようだ。ただ、一つだけ解せないことがあった。
「若さま、一つだけお訊きしますが、お金の使い方もご存じないのに、どうして、生活に困っているあの子どもにお金を上げたりしたんです?」
生活に困窮している―、即ち、金が必要だという思考回路は、金の使い方を知らない若さまにしては不自然に思えたのだ。
若者の声が小さくなった。それまでの堂々とした物言いが嘘のように、自信なさげに言う。
「それは内官(ネガン)、いや、爺やが言っていたのだ。町に出ることは認められないが、もし、どうしても一人で出かけたときには、困れば、あの巾着を使え。あれを見せれば、大概の者は便宜を図ってくれるだろうと。ゆえに、あの子どもが困っているようだから、巾着を渡した」
「爺や―さんが、ねえ」
やはり、相当の家の息子らしい。金の使い方、買い物の仕方一つ知らないのは、よほどの世間知らずか、鏡売りの言うように阿呆だろうが、この若者を見る限り、狂人には見えない。
「あなたのような世間知らずが実在するなんて、信じられない。よほど屋敷の奥深くで大切に育てられた坊ちゃんなのね」
呆れるよりは感心してしまう。
キョンシルから少し離れて、若者は歩いている。その中(うち)に、キョンシルがトスと暮らす町外れまで来た。
都に戻ってきてから既に半月、キョンシルとトスは以前、ミヨンとキョンシルが暮らしていた借家に落ち着いた。トスは元どおり、商家の用心棒として昼間はそちらに詰め、夕方に帰ってくる。
小さな家から明かりが洩れている。そろそろ秋の陽が傾き始める刻限になっていた。狭い道に夕陽が差し込み、光の渦ができている。どうやら、トスは既に帰宅しているようだ。キョンシルは背後の若者を振り返った。
「そなたには迷惑はかけぬと言っておきながら、真に言いにくいのだが、一晩だけ泊めて貰えぬだろうか?」
若者は羞恥心からか、白い頬をかすかに染めている。
「片隅でも、土間でも良い。夜露を凌ぐ場所さえあれば十分だ」
「そんなたいそうなことを言われるほどの家じゃないけど」
キョンシルは首をひねり、果たして、トスがどう言うだろうかと考えた。むろん、困っている者を放り出すような男ではないけれど、見ず知らずの若い男をいきなり連れ帰って、歓ぶとも思えない。
しかし、どうやら行き場がなさそうな―若者の言葉から想像するに、屋敷をこっそりと抜け出してきたらしい若さまをこのまま置き去りにするのも忍びない。
所在なげに佇んでいる世間知らずの若者をこのまま放り出すこともできず、結局は〝来て下さい〟と言うしかなかった。

 

 

先刻から何やら気まずい雰囲気が狭い室に漂っている。キョンシルはまず向かい側に座るトスを、更に傍らの若い男を掬い上げるような視線で窺う。トスは常にもましてむっつりと黙り込んでクッパ(雑炊)をかき込んでいるだけだし、若者はトスの不機嫌さなど素知らぬ風にもやしと青菜のおひたしをつついている。
キョンシルは小さな吐息を洩らした。トスは想像したとおり、若者を追い出せとは言わなかった。だが、キョンシルがいきなり見知らぬ若い男を連れ帰ったことは、トスにとってはかなりの衝撃であったようだ。
―そいつは一体、どこの何者なんだ?
と言ったきり、口を閉ざしてしまった。
「そ、そういえば、まだ、若さまの名前を聞いていなかったわね」
思い切って沈黙を破ると、眼前の男は、にこやかに笑んだ。
「ソン」
「ソン? そうなの、ソンさまっていうのね」
どうも、このソンという男、この場の空気が全く読めていないようである。憮然とするトスなど端(はな)から無視するかのように、にこにこと人の好さげな笑みを浮かべている。