一生奉公の大奥女中には芝居見物も衣装選びも唯一の楽しみ。訴えられた美空は 小説 激愛~彼の瞳に | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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 ちなみに、右京局は側室に迎えられた一年後、男児を一人あげたものの、その若君は生後一ヶ月で早世した。宮家から降嫁した御台所も一人の御子もなさず、今一人、絶世の佳人と讃えられた大和中納言大和(やまと)親(ちか)通(みち)卿の姫君を迎え、左京局と称したが、こちらもついに御子には恵まれなかった。やはり、京の公卿の姫は深窓の育ちで、蒲柳の質であったのか、家友公の子女を生んだのは右京局を除けば皆、江戸で生まれ育った側室たちであった。
「御台さま、お言葉にはございますが、我等の心が御台さまにご理解頂けますでしょうか」
 光る桜に視線を向けていた美空の耳を、予期せぬ永瀬の声が打った。
「それは、いかなる
意味か、永瀬」
 問えば、永瀬はうっすらと微笑む。
「私にせよ、先代の総取締滝川さまにせよ、皆おしなべて大奥にご奉公するお女中衆というものは一生奉公にござります。その言葉が何を意味するか、御台さまは、そも、ご存じにござりますか」
「それは、永瀬さま、言わずと知れたことにございましょう。一生奉公とは即ち、親兄弟に何か変事ありしとき以外はけして大奥の外へも出ず、女の一生をこの場所で終えるということに他なりませぬ」
 美空に代わり、傍らに控える智島が応える。
 その返答に、永瀬は今度は智島の方に向き直った。
「さよう、智島どのの仰せのとおりにございます。一生奉公と申すのは、それほどの覚悟を持ちて望むものにございます。嫁入り前の娘が花嫁修業のために奉公に上がるのとは、ちと異なりまする。さればでございまする」
 永瀬はそこで再び美空の方に直り、わずかに膝をいざり進めた。
「御台さま、我等はそこまでの覚悟を秘めたる身にて、公方さま、御台さまただお二方をおん大切にと一途にお仕え参らせております。その我等の愉しみと申せば、せめて衣装選びや芝居見物に見い出すしかございませぬ」
 大奥女中のもう一つの愉しみ―、それは家俊がまた最も嫌う芝居見物でもあった。いや何も芝居見物が問題なのではなく、その裏に潜む役者遊びが諸悪の根源なのである。家俊ばかりではない、老中たちもまた大奥の女たちが〝代参〟と称して城外に出ては、ひそかに歌舞伎見物などをするのを常日頃から苦々しく思っている。先刻、永瀬が老中から受けた奢侈禁止令の中にはむろん、この芝居見物を今後は慎むようにとの条項も含まれている。
 また現実として、御台所が芝の増上寺や上野の寛永寺に詣でる代わりに、高位の奥女中―例えば御年寄などが詣でる〝代参〟は、奥女中たちにとっての格好の息抜きでもあった。彼女たちは江戸の町に出たついでに、歌舞伎芝居を見たりした。
 もっとも、最初は老中たちも〝日々のお勤めに励むお女中衆に多少の息抜きは無理からぬこと〟と大目に見ていたのだ。つまり、見て見ぬふりをしていたということである。
 だが、更にそのついでに、中には料理茶屋などでひそかに贔屓の役者と逢い引きするというけしからぬ者もいて―、そのような女中のせいで〝代参のついでの役者遊びが大奥の風紀を乱す元となる〟と表の役人たちから厳しい非難を受けることにあいなったのだ。
「ご老中方は、芝居見物をあたかも穢らわしきもの、由々しきもののように仰せにござりますが、元々、役者遊びをするような不届き者は、先代さまの御世にはいざ知らず、現在、ご当代さまの御世になってからというものは一人たりともおりませぬ。それなのに、いつまでも昔のことを持ち出して、数少ない愉しみを奪われるのは、我等にとっても我慢がなりませぬ」
 永瀬は更に続けた。
「それに、御台さま。この際はきと申し上げれば、役者遊びをするまでゆかずとも、気に入りの役者に熱を上げ、錦絵を後生大事に隠し持つ程度のことまで、何ゆえ、ならぬと仰せなのでございましょうや。一生奉公といえば、生涯殿方にも嫁がず、女の歓びも幸せも一切知らずに終わるものにござります。好いた惚れたの心も何たるかを知らず、ただ公方さまを第一に忠勤を励んで一生を終わる―、もとより、それは自らの選びし道なれば、いささかの悔いもござりませぬが、さりとて、何の歓びも愉しみも知らずでは、あまりに哀れ。大奥の女たちが衣装や芝居に現を抜かすのにも、また、それなりの理由というものがあるのでございます。どうか、御台さま、我等のその心根も幾ばくかはご理解戴きとうございます」
 有り体にいえば、永瀬は男も知らずに未婚のまま生涯を終える女の身にもなって欲しい、彼女たちにも多少の愉しみが許されても良いのではないかと訴えているのである。
 もちろん、一生奉公とはいっても、皆が皆、すべて大奥を終(つい)の住み処とするわけではない。最下級のお末と呼ばれる下女や中堅どころの奥女中の中にも良縁を得て嫁ぐ者はいる。が、高位の役職に就く者であればあるほど、文字どおり一生を大奥勤めに捧げる傾向があり、永瀬はいわば、多くの奥女中たちの代弁をしたわけでもあった。
 しかし、御台所付きの智島にとっては、永瀬の訴えは不快なものに思えたらしい。
 智島は多少、声を高くした。
「永瀬さま、いかに大奥を束ねる総取締、御年寄でいらせられるとしても、今のおっしゃり様は御台さまに対して、ご無礼にござりましょう」
 智島の立腹に対し、永瀬はその場にひれ伏した。
「もとより、お叱りもお咎めも覚悟の上にございます。さりながら、御台さま、ご聡明なる御台さまでいらっしゃれば、必ずや我らの心もお汲み取りあそばして頂けるのではないかと、この永瀬は一縷の望みを託してご無礼も顧みず言上致しました。世間では御台さまの御事をあたかも夢物語の主人公のごとく申し上げる輩が多うございますが、ここまでおなりあそばされるまでには、相当のご苦労もおありであったと、拝察仕りまする。ゆえに、そのようなお方であれば、人の哀しみ、女の業のようなものも幾ばくかはご理解頂けるものと信じております」
「な、何と、無礼な。黙って聞いておれば、言いたい放題の数々ではございませぬか。永瀬さま、こちらにおわすのをどなたと心得られる、天下の将軍、公方さまのご正室でおわす御台所でいらせられますぞ」
 智島が柳眉を逆立てて怒鳴った。
 確かに、智島が怒るのも無理はない。永瀬は暗に、美空が市井の出ゆえ、これまでに〝成り上がり者〟と様々に蔑まれ、尾張藩内でもなかなかご簾中として認められなかった―そんなあれこれを指摘しているのだから。
 しかし、そんな苦労をし、他人には言えぬ葛藤を経た身であればこそ、女の悲哀にも共感できるのではないか―、その永瀬の言い分にも確かに一理はあった。
 現実として、生来、心優しい美空は小間物売りの女房から尾張藩主の妻、そして今また将軍の妻となるという運命の激変を経て、更に人間性を深めたともいえる。他者の痛みというものに対して、より鋭敏になることができた。
 が、立場が次々に変わりゆくに従い、美空はまた上に立つ者は時に非情にもならねばならぬことを知った。慈しみと情、更にそれらの感情と相反する非情さ冷酷さをも併せ持たなければならないということも学んだ。
 家俊は元々は優しい男だ。一度は尾張藩も何もかも捨て、ただの小間物売りとして市井に骨を埋めるつもりであった。そんな男がその肩に日本という国を、途方もなく重いものを背負わねばならなくなるとは、何という運命の皮肉であろうと思う。為政者に必要なのは情と非情、であってみれば、優しい家俊にとっては将軍という立場は苛酷なものになっているに相違ない。
 その良人がいちばんに着手したのが、乱れた風紀をただし、倹約を徹底させようとする政策であった。それが良人の意思だというのなら、美空は家俊の意思に従うのみ。
 永瀬の申し様には確かに耳を傾けるべきものはあるけれど、今ここで、それに対する明確な返答はできかねた。
 美空がそんな想いに耽っていると、永瀬が勢い込んで言う。
「それに、御台さま。今回のご老中からのお達しには、まだ我慢ならぬことがございます」
 まだあるのかと、智島が暗にそう言いたげな顔で美空を見る。
 美空は眼顔で智島を制すると、穏やかに問うた。
「はて、それは何事?」
「は、されば、質素倹約を致せと私たちだけに申すのであればともかく、老中の堀田どのは、畏れ多くも御台さまのご衣裳にまで口出しをなさったのでございます」
 駄目押しのようにそう言った永瀬が、ちらりと美空を一瞥した。
 案の定、智島がこれに反応する。
「何と、奥女中ばかりか御台さまのご衣裳にまで口出しを致すとは、何という身の程知らずな」
 とにかく御台さまひと筋の智島にとって、これほどの屈辱はない。形の良い唇を戦慄(わなな)かせる智島に、美空は宥めるような口調で言う。
「まあ、智島。そなたが怒らずとも良い。それに、私も別にとりたてて豪奢な打掛や小袖が着たいとは思わぬ。元々、私は町家の生まれ育ちゆえ、質素倹約には慣れておるでの。長屋で暮らしていた時分を思えば、今の暮らしは贅沢すぎて仏罰が当たろうというもの、表の老中たちがそのように申しているのであらば、それに従えば良い」
「御台さまッ」
 永瀬の前で悪びれる風もなく町家の出であることについて触れる美空に、智島が色を失って、たしなめる。
「良いではないか。智島、永瀬は私が元を正せば町人であることも存じておるし、ましてや、その出自ゆえに私を軽んじたりはせぬ。そなた、一年もこの大奥におりながら、一体何を見ておったのじゃ?」
 美空は事も無げに言う。
 永瀬は我が意を得たりとばかりに続けた。
「流石は御台さま、ありがたきご諚に、この永瀬、嬉しうござりまする。全く、あの堀田筑前守は、けしからぬ者にござります。私ども下々の者ばかりか、御台さまご衣裳にまでその懸かりを少なくせよとは何たる不心得、笑止千万」
 大奥に仕える女中たちにとって、御台所はいわば至上の存在であり、大奥の筆頭者である。その御台所を蔑ろにする者は結局のところ、大奥に仕える女中たちの敵でもある。
 幸いなことに、永瀬が睨みを利かせているせいもあってか、大奥では尾張藩の奥向きで美空が曝されたような、あからさまな敵意や蔑みの眼はなかった。大奥には下はお末から、御年寄の預かりとなっている部屋子、中堅どころのご中﨟と実に様々な立場の女中たちがひしめいている。将軍夫妻に拝謁を許されるお目見え以上の者、更に拝謁を許されぬお目見え以下の者を合わせれば千人以上にのぼる。