女狂いと評判の男に嫁がされる私。お父様は何故判ってくれないの? 小説 潮騒鳴り止まず~久遠の帝~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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 父と娘


 先刻から、その場の雰囲気はピリピリとして今にも割れそうなほどの危うさを孕んでいる。楓はむうと頬を膨らませて父を睨み上げていた。
 父恒正がこれ見よがしに盛大な溜息を洩らす。
「楓(かえで)、良い加減にせぬか」
 楓はそれでも花のような唇を引き結び、頑なに黙(だんま)りを決め込んでいる。恒正は呆れたように首を振った。
「これでは、この父が恥ずかしうて到底、北条どのにそなたを引き合わせることなどできぬわ」
 楓はこのときとばかりに叫んだ。
「それならば、いっそのこと、この縁組みを破談にしてしまえばよろしいではありませんか! 大体、私は最初から北条氏に縁づくつもりなどないと何度も申し上げております」
 恒正は不機嫌さを隠そうもしない。
「この縁組みはわしがそなたのためにと、わざわざ御所さまにお願いして北条どのに声をかけて頂いたのぞ? その御所さまお声がかりのありがたくも勿体ない縁談を何故、そなたは不意にするような愚かなことばかりするのだ?」
 楓はつんと顎を反らした。
「大体、私はその御所さまという呼び方も好きではありませぬ。源氏のおん大将はいわば武家の棟梁でいらっしゃるのに、何故、武士が御所さまなどという公家風の呼び方を好まれるか解せませぬ」
 途端に恒正が顔色を変えた。
「おい、楓。良い加減にせぬかッ。御所さまは今や飛ぶ鳥を落とす勢い、この鎌倉の地では比類なきお方ぞ。その鎌倉どのに向かってそのような恐れ知らずの無礼な口を利いて、何とする。そなた、そのまま首と胴体が真っ二つになりたいのか?」
 楓はプイと横を向いた。
「二つでも三つになっても構いません。私は思うたところを口にしたまで。父上はその御所さまのお声掛かりの縁談で、まさに天にも上る心地なのかもしれませんが、私には良い迷惑です。出世なさりたいのなら、娘を贄にせずとも、ご自分の裁量才覚でなさいませ。私はそのための捨て駒にされるのは金輪際ご免ですから」
 言うだけ言うと、楓は部屋から足早に出た。背後では父がまだ何やら喚いているが、そんなことには頓着しない。そのまま自分の居間に戻るやいなや、部屋に閉じこもった。
 床に突っ伏している中に、涙が溢れきた。楓は十六歳。この鎌倉で生まれ育った。父河越次郎恒正は〝鎌倉どの〟と呼ばれ崇められる征夷大将軍源頼朝の側近中の側近。頼朝の舅であり妻の政子の父である大物北条時政とも懇意にしている。
 その時政の庶子の中の一人、五男だか六男だかとの縁組みを恒正が持ち出してきたのは、そもそもみ月ほども前のことだった。最初は冗談か何かと思っていたのに、何と父は主君頼朝に頼み込んでまで、時政の倅との縁談を進めたかったらしい。
 初めて聞いたのは年末の何かと気ぜわしい時期で、恒正も多忙に取り紛れていたのか、以後は一切口にせず、楓はあの縁組みはもう立ち消えたのかと都合良く解釈していた。
 だが。年が改まってしばらくしてから、また北条氏との縁組みを蒸し返し始め、どうやら怖ろしいことに、この話は当人の楓の意思などおよそあずかり知らぬ場所で着々と進んでいるらしいのだ。
 最近はいよいよ件(くだん)の子息と楓の引き合わせをすると話も具体的になり、父は是が非でもこの縁談を纏めようと躍起になっている。必然的に父と娘も始終、諍いばかりしている有様だ。
 父の言っていることは嘘ではない。楓は生まれてほどなく生母を亡くし、父は再婚もせずに楓を愛し育ててくれた。乳母(めのと)がいるものの、父は仕事で多忙な最中でも、楓と過ごす時間を大切にしてきたのも判っている。父が言葉どおり、楓のために良かれと頼朝の外戚である北条氏との縁組みを進めているのも判っている。
 けれど、その愛情ゆえの行為の中に、ひと欠片の野心もないかといえば、そうでもないだろう。何しろ北条時政といえば、頼朝の妻政子の実父であり、頼朝に最も近い人物といえる。少年時代から伊豆で流人暮らしの長かった頼朝は猜疑心が強く、滅多に他人を信用しない。その頼朝が唯一心を許すのが妻である政子とその父時政だといわれていた。
 この鎌倉で随一の権力者頼朝の懐刀、その時政の息子と己が娘を娶せるのは御家人であれば、誰もが夢見ることであったろう。北条家と縁続きになることで、父も権力の中枢へ近づき、鎌倉幕府の中でより強固な立場を築くことができるというものだ。
 何もこそまでしなくても、恒正は頼朝からの信頼も厚い。父は頼朝の流人時代から仕えているから、頼朝も実の同胞(はらから)に近い情を抱いているらしい。年齢も三つ下とほぼ同じで、長らくの苦楽を共にしてきた間柄だ。今更何も北条氏に媚を売ってまで、のし上がる必要もないのだ。
 政子は大変に好奇心と自立心に飛んだ女性で、御家人たちと頼朝が談合する場にも必ず同席する。むしろ政において発言権が強いのは時政より政子であり、その政子は頼朝との間に二男二女を儲けている。いずれはその息子が二代将軍となるのは必至で、北条氏の血を色濃く引いた将軍が誕生する。父ははるか未来に備えての布石を打っているらしいのだ。つまりは、そのための北条家との縁組みであった。
 楓とて、武家に生まれた宿命であれば、自分の気持ちのままに好いた男に嫁げるとは思ってはいない。時には家のため政略のために嫁ぐことも、物心ついたときから覚悟はしていた。なので、別に北条家に嫁ぐのがいやなのではない。
 肝心の相手―良人となる男がいやなのだ。時政の何番目かの息子に当たるその時晴という男、歳は二十二だというが、ろくな噂を聞かない。時政に甘やかされて育ったせいか、我が儘のし放題、町に出ては好みの娘どころか人妻にまで手を出し、まるで人さらいのように略奪して連れ帰るという。
 一晩、慰みものにして、さんざん辱めた挙げ句、翌朝にはまるでゴミを捨てるかのように門前にうち捨てる。よほどのことがない限り生命を取ることはないが、抵抗する女を怒りのために手打ちにしたとか、許婚のいる娘を手籠めにしたために、娘が事後に自害したとか、そんな聞くに耐えない噂まで流れていた。
 相手の男が凡庸であったとしても、まともな神経の持ち主であれば良かったが、そのように女好きの気狂いと囁かれていては、幾ら楓でも嫁ぐ気にもなれないのは致し方なかった。
―お父さまは何故、判ってくれないの?
 考えれば考えるほど、涙が溢れてきて止まらなかった。
 一刻後、楓の乳母、さつきは控えめに部屋の扉を叩いた。
「姫さま、姫さま」
 さつきは楓にとっては母代わりといって良い。代々、河越家に仕えてきた郎党の妻であり、さつき自身も二人の娘と一人の息子の母であった。既にその娘たちは他家に嫁ぎ、一人息子も一昨年結婚して、孫も生まれている。
「姫さまのお好きな砂糖湯をお持ち致しましたよ」
 幼いときから、むずかる楓に甘い砂糖湯を飲ませると、不思議に泣き止んだ。今でも優しい乳母はこうして砂糖湯を作ってくれる。
 しかし―。眠っているのかと遠慮がちに扉を開けたさつきは悲鳴を上げて、手にした盆を取り落とした。碗に入った砂糖湯がころがり落ちたが、さつきは手を口に当てたまま悲鳴を飲み込み、ゆっくりと首を振った。
 楓の部屋には誰もいなかった。続きの間になっている寝所も念のため覗いてみたけれど、もぬけの殻だった。
 これは殿にお知らせする前に、典正に申しつけて姫さまをお捜しせねば。さつきは頼もしい一人息子の顔を思い浮かべ、一人で頷いた。良人に先立たれて久しいが、恒正は近臣の嫡男である典正を息子のように可愛がり、元服のときは自らが冠親となって名も片諱(かたいみな)を与えて〝典正〟と付けてくれた。
 恒正に楓失踪を知らせれば、また父と娘の間に余計な波風を立てることになる。それは避けねばとさつきは小袖の裾を蹴立てるようにして息子を呼びにいった。