皇帝の寝所に召される貴妃。市井で過ごした喜びの初夜の記憶は遠く 小説 後宮艶夜*ロマンス~皇帝の | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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 心が、悲鳴を上げている。私たちが過ごしたあの蜜月は何だったの? 二人だけの結婚式、粗末な家で営んだ甘い蜜月の日々。私はずっと、あなたに騙されていたのね。
 私はあなたと偶然めぐり逢い、心から愛した男だと思っていたのに、現実は違った。あなたは皇帝で、元から私の決められた相手だった。場所は宮殿の後宮と市井のあばら屋で全然違っていたけれど、違っていたのは場所だけで、私は父の決めた男と決められた道を歩んでいるだけだった。 
 だから、父も凜鈴も芳華の懐妊について特に愕きもしなかったのだ。父はずっと皇帝の外戚になりたがっていた。娘を後宮に入れ、娘の産んだ王子が次の皇帝になるのを切望していたのだ。自分が権力を握るために。
 すべては父の思い描いたとおりになった、馬鹿な自分は後宮をまんまと抜け出して広い世界で新しい人生を生きていると思っていたのに、現実は皇帝の慰み者になり、父の望みどおり、皇帝の御子をその身に宿した。
「酷い。皆で私を騙して」
 いちばん辛いのは法明が私を騙したこと。心から愛する男だと信じていたのに、そんな彼が皇帝だった。なのに、私はまだ彼を嫌いになれない。なんて、馬鹿な私。
 意識が遠ざかってゆく。涙を流しながら、芳華は意識を手放した。それはまるで、白い花が心ない風に散らされてゆくようだった。懐妊してから食も細くなっていた芳華は一回り痩せている。
 その儚い身体が床に崩れ落ちる寸前、逞しい腕が芳華のか細い身体を抱き止めた。
「芳華、済まぬ、許してくれ。どうやったら、私はそなたの哀しみを癒してやれるのだろう。教えてくれ」
 泣いているのか、声がわずかに震えている。あの声は法明、それとも、皇帝陛下なの―。
 芳華の意識は大好きな声を聞きながら、急速に闇に飲み込まれていった。

 後宮に戻って三日後、芳華に皇帝から寝所に伺候するようにとの沙汰があった。深紅の薔薇の花びらを浮かべた浴槽に身を沈め、芳華は眼を瞑った。そうでもしないと、涙が溢れてきそうだったから。
 今まで法明は彼女の大好きな男で、良人だった。だが、芳華の愛した男はもういない。どこにも。この世のどこを探しても文法明という男はいないのだ。自分がこれから抱かれようとしている男はこの世で最高の権力を持つ男、皇帝であった。
 凜鈴に身体を磨かれた後は、やはり薔薇の香油をふんだんに膚にすり込まれる。その上から白い夜着を着せかけられ、同色の帯は前で結んで長く垂らす。洗い上げたばかりの長い黒髪は結わずに横に流して一つに纏めた。
 夜伽なので、化粧はあまり濃くせずに、淡く仕上げ、紅だけは椿のような鮮烈な紅を乗せる。全体的におとなしめの装いで唇だけが鮮やかに染まっている様は何かかえって淫猥に見え、芳華は鏡に映る自分の姿から顔を背けた。
 支度が終わると、女官や宮女たちに囲まれて、寝所までの長い廊下を辿る。庭に面した廊は吹き抜けになっており、凍てついた真冬の夜気が容赦なく襲ってくる。薄い夜着一枚だけの芳華はかすかに身を震わせた。
 寒い、身体だけでなく、心が寒い。宮女が雪洞で足許を照らし先導する。この先に皇帝が後宮を訪れたときの寝所があるのだ。廊から見上げた広大な庭は宵闇の底に沈んでいたが、紫紺の空には寒々とした眉月が危うげに浮かんでいた。
 青褪めた月は随分と近く見える。細い頼りなげな月が泣いているように見えたのは、芳華の心のせいだったのかもしれない。吹き抜けの回廊が終わると、いよいよ皇帝の寝所になる。宮女が重厚な両開きの扉の前でとまり、今宵、初めて皇帝に召される貴妃に対して恭しく頭を下げた。
 女官の先導はここまでとなる。彼女たちは芳華一人を残し、去っていった。本来は何人かは扉の前で寝ずの番をするのが通例であるが、今宵は皇帝からの厳命で、宦官すら不寝番をしていない。
 特に妃が初めて皇帝の閨に侍る夜、つまり初夜の場合は女官長自らが不寝番を務めることになっている。それは妃が無事に初夜を済ませ皇帝の所有に帰したことを見届けるための後宮の習わしでもあった。
 だが、今夜は初夜といっても、既に郁貴妃に皇帝のお手が付いているのは周知の事実である。ゆえに、皇帝自らの強い意向もあり、初夜ではあるが例外的に不寝番は置かれなかった。
 複雑な文様が浮き彫りにされた扉が開き、芳華は皇帝の寝所に脚を踏み入れた。ここまで芳華を案内してきた女たちが深々と腰を折る。やがて扉はまた静かに閉まった。
 芳華は俄に心細くなり、固く閉まった扉を所在なげに見つめた。小さく首を振り、その場に拝跪して、皇帝に対する敬意を示す最高礼の形を取った。
 法明はまだ来てないのだろうか。そんなことを考えたまさにその時、頭上から懐かしい声が響く。
「私たちの間でそのような形式張った礼は要らない」
 大きな手が差し出され、芳華の小さな手を握った。芳華は皇帝に手を取られ、立ち上がる。しんと冷たい手の感触に、芳華は自分の身体まで冷えてゆくように思った。
 初めて芳華を抱いた夜、法明の手はあんなにも熱く、その熱は芳華ですらも飲み込んで燃え上がらせた。しかし、今、これが同じ男のものかとは信じられないほど、彼の手は冷え切っている。
 本当の意味での二人の初夜は市井のあの小さな家で迎えた。あの夜、法明は芳華を烈しく情熱的に求めた。あのときはあんなに熱かった男の手が今は別人のようだ。最早、彼の心はこの手のように冷え切ってしまったのか。
「騙すつもりはなかった」
 広い寝室はまるで深い水底(みなそこ)を漂っているかのような錯覚を与える。あの懐かしい二人の家よりも数倍は広い寝室には贅を凝らした黒檀の卓や飾り棚が配置され、奥に大人でもゆうに数人は眠れそうなほど大きくて豪奢な天蓋付きの寝台が置かれている。
 芳華がここに来たのはこれが初めてではない。婚礼を挙げたその夜、初夜を過ごすために一度来ているが、その夜、皇帝は婚礼にも寝所にもついに現れなかった。本来なら、二人の初夜はあのときになるはずだった。
 卓の上には唐草模様の青磁の壺が置いてあった。大ぶりの花は牡丹だろうか。宮殿の庭園には大きな温室もあり、常に四季折々の様々な花が咲き乱れている。毎朝、お花係と呼ばれる専任の宮女たちがその中から花を選び、皇帝や後宮の妃たちに配るのだ。
 まだ牡丹など咲いていないはずのこの季節に、皇帝の寝所には両手で持っても余るほどの緋牡丹が幾つも活けられ鮮やかな彩りを添えている。この国の皇帝がどれほどの力を持つかを誇示しているかのようだ。
 芳華が鮮やかな牡丹をぼんやりと眺めていると、間近で声がした。
「そなたは私の言うことを聞いているのか?」
 脚音もなく近づいてきた男を、芳華は虚ろなまなざしで見つめた。皇帝もはやり純白の夜着姿だ。法明はやはり、こんな姿でも美しい。いや、余計な飾りのない簡素な佇まいの方が彼本来の美貌を余計に際立たせる。
「郁宰相に私たちのことを知られているのをつい最近、知ったのだ。そなたがあの日、連行されたのは私の命ではない」
 〝あの日〟というのが数日前、町中で郁家の私兵に取り囲まれた出来事を指しているのは判る。恐らく、あれは皇帝自らの命ではなく、父文昭の一存だったに相違ない。
 皇帝はそれを言いたいのだろうが、この期に及んでは些末なことだ。皇帝が法明であるという事実、大好きな男に最初から騙されていたということそのものが最も彼女に打撃を与えたのだから。
 芳華は無言だった。皇帝は堪りかねたように彼女を見つめた。
「頼む、私の話だけでも聞いてくれ」
「―お聞きしております、陛下」
 法明の顔が絶望の色に染まった。