ライラックの花に寄せて | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

皆様、こんにちは。

 小説を書いていると、自分が見たこともないものを描いたりすることがあります。

 花とか宝石とか。

 判りやすくいうと、まだ独身の頃、子どもを持たなかったときに〝母親〟の心情を

 描いたりしました。

 その場合、調べたりして自分が実際に見たような気持ちになって描きます。

 比較的簡単に手に入るモノは取り寄せて実際に見て触れたりすることもある。

 そのような実際に見たこともないもので描いた中に、ライラックの花があります。

 北海道の花として知られる別名リラの花。
 
 このブログの紹介にもトップに記しているように、現代女子高生と朝鮮王朝時代の

 国王との時を越えた切ない恋物語りです。

 まだ韓流にハマったばかりの頃の初期に書いた懐かしい作品です。

 そのタイトルが約束~リラの花の咲く頃に~

 実は私、リラことライラックの花を見たことがないのです。

 それでも、どうしてもこの花が描きたくて、写真とかもたくさん見て調べて頑張りました。

 ブログお友達のぴよしろうさんのお宅のお庭にライラックの花があるとお聞きして以来、

 そろそろライラックの花が咲きましたか? とお訊ねすることがあるくらい、

 興味のある大好きな花です。

 若い頃、まだ二十代の投稿生活を過ごしていた時代、

 いつかもお話したように〝公募カレンダー〟というものを作り、

 壁に貼っていました。

 ○○文学賞締め切り日○月○日

 ○○文庫大賞締め切り○月○日

 てなものがズラリと並び、投稿完了で傍線を引いて消していく。
 
 下手な鉄砲も数打ちゃ式で、たまに良い結果に恵まれたときもありました。

 まあ、独身で若かったから、できたことですね。

 そういう公募の賞のなかにライラック文学賞というものがありました。

 当時の私のバイブルは公募ガイド。

 大学時代の友人が紹介してくれてからというもの、毎号は流石に買わなかったけど、

 数ヶ月に一度は購入-というのも、数ヶ月間は大体、内容がアレは同じです。

 賞の募集期間は大体かなりの猶予期間がありますので、

 数ヶ月単位で締め切りが終わり、次の別の賞が紹介されます。

 なので、もし私ができるアドバイスがあるとすれば、小説関連の公募に

 関しては数ヶ月に一度買うので十分だと思います。

 ただ公募ガイドは小説だけではなくて、芸能界とか、音楽、絵画などのアートなど
 
 非常に多方面のジャンルの公募が掲載されているので、

 他のジャンルは判りません。
 
 見たことがないので-笑。

 流石に幾ら身の程知らずでも、芸能界にも音楽、絵画にも応募しようと思ったことは

 ない。

 ただ、若い方でいずれはと夢と野心を持つ方には必携のガイドブックでもあります。

 18年、在会したコスモス文学も実はここでめぐりあいました。

 コスモスが大きな母体で全国公募の賞を募集していたので、掲載されていたのです。

 初期の東めぐみにとって、公募ガイドは欠かせないパートナーでした。
 
 今でも書棚にその頃購入した公募ガイドがあるはず。

 話がそれましたが、ライラック文学賞もそこにのっていた賞でした。

 北海道新聞社が募集していて、応募者は女性限定、

 応募料が1000円。

 応募資格は北海道在住か、作品の舞台が北海道でるあること。

 ちょっと普通の賞とは違っていましたが、興味が有ったので応募してみたことが
 
 あります。

 もちろん北海道に移住するわけにはいかなくて、北海道を舞台にした作品

 で応募しました。

 バカみたいな話ですが、自分が北海道に行けない代わりに

 自分の作品が海を渡り北海道へライラックの美しく咲く北の国に行くのだと

 考えただけで、何ともいえない気持ちになりました。

 しかし、応募料1000円はバカにはならない。

 なので、応募したのは一、二度です。

 それから今の主人と出会い、再婚。

 私の6年間続いた独身時代と投稿時代は終わりを告げました。
 
 翌々年にはウチの娘が生まれ、私は出産後、しばらく創作から離れました。

 出産後初めて筆をとったのは娘が生後半年のことです。

 初めての育児にかかりきりで、到底、小説を書くということなど思いもつかなかった

 のですが、ある朝、突然に書きたくなって夢中で書き始めました。

 コスモスに掲載する中編の現代物を一つ書きました。

 それからまた空白があき、娘が一歳を迎える頃から

 執筆活動を再開。書いた作品は歴史文学賞に応募した平安時代の

 藤原道長の娘を主人公にした作品。

 これは幸いなことに予選の上の方までいきました。

 話がまたまた逸れてしまって、ごめんなさい。

 以後、私は同人誌を中心に活動することになりますが、時々は思い出したように

 公募の賞に応募しています。

 本を出させていただいた郁朋社さんの賞もここで知りました。

 そうして、八年の間に妊娠と出産を繰り返しましたが、その間は

 必然的にあまり書かなくなり、出産してしばらくしたら書き始めるというのが

 パターンとなっていました。

 そして在会して18年めの春、同人誌が終刊となりました。

 今では、ライラック文学賞が存在しているのかも判りませんので、

 この情報はあくまでも大昔のことです。

 そういう投稿時代は今の私をあらゆる意味で作ってくれました。

 打たれ強い-、以前、若いタレントが話していましたが、次々にいろんなオーデイション

 を受けるそうです。

 そして、今日はこの映画、明日はあのドラマのオーディョンというように片っ端から

 受けるので、いちいち落ち込んでいられないんだと笑って話していたのが印象的

 でした。

 そういう感じに近いものです。

 一つ一つの結果を気にしていては前には進めない。

 これが駄目なら今度あれ。気持ちの切り替えが必然的に速くなりました。

 あの頃から修業時代でしたが、私はいまだに修業時代。

 きっと、これからもずっと修業は続くでしょう。

 でも、それで良いのだとも思います。

 書くことを楽しみながら、向上心とささやかな誇り、作品に対する愛着をを忘れずに。

 それが私は書くことで一番大切な基本だと思っています。

 年数だけ積み重ねてきて偉そうに語る何ほどのものも持たない築けていない

 私ですが、これまでの自分の歩いてきた道、これから歩いていく道に

 後悔はありません。 
 
 ライラックが何故、こんな話になったのか?

 いつもの脱線ですね。

 ですが、いつかはリラの花の咲く頃、憧れの北海道を訪れてみたいと思います。
 
 それが今の私のささやかな夢かな