美少年を助けようとした香花が今度は男に眼をつけられて? 慌てる光王 小説 月下にひらく華 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第三話 名もなき花


 サヒョン親方が恵京に耳打ちした。
「俺だって、何も好きであの助平両班の許に昌福を行かせたいわけじゃねえや。恵京、お前の親心は判らんわけじゃねえが、生憎とあの旦那は大人には興味がないらしい。両刀遣いではあるらしいが、とにかくまだ開かない蕾のような年頃が良いんだと。全く、どういう趣味をしてるんだか、気持ちの悪い野郎だぜ」
 むろん、少し離れた場所にいる香花には、声を低めたそのやりとりまでは届いてこない。
 両班の従者が親方を急かしている。うなだれた昌福が従者に伴われ、輿の上でにやついている男の方に歩いていこうとするまさにそのときであった。
「待って」
 香花が叫ぶと、予期せぬ出来事を眺めていた人々がギョッとして振り返った。
 大勢の視線を集めても、香花はいっかな怯まない。
「あの馬鹿、また余計なことを」
 傍らの光王が歯噛みした。止めようとするより先に、香花はもう歩き出している。
 香花は人だかりから少し離れている両班のところまで行った。
「旦那(ダーリー)さま、誇り高き両班のお方がこのような町中でまだ幼き子どもに無体を強いるとは到底、考えられないことです。どうか、両班の誇りを自らお捨てになるような大人げないふるまいはお慎みあそばされますように」
 つつと進み出た香花が凛然として言うのに、周囲の見物人たちが同調する。
「そうだそうだ、俺たち賤しい者の手本になるのが両班だろう? その誇り高きお偉いさんが呆れるね、男色趣味で、しかも相手はまだ十にも満たない子どもだとよ」
 誰かが言い、皆がどっと笑った。
「ええい、娘。言わせておけば、言いたい放題申しおって」
 赤ら顔をますます朱に染めて怒り狂う男がふと香花に眼を止めた。
「ホホウ、しかながら、そう申すそなたもなかなか可愛い娘ではないか。ムキになって儂に食ってかかるその様がまた何ともたまらんわい」
 男の興味はどうやら、昌福から香花に向いたらしい。いかにも愉快そうに香花を眺めるその眼は、まるでご馳走を前にした犬のように嬉々としている。
「娘、昌福とやらの代わりに、そなたが今宵、儂を慰めてくれると申すのなら、今日のところは考えてやっても良い」
 その舌なめずりしそうな表情は、いかにも好き者らしく、淫らがましい。衝動的に飛び出してしまった香花ですら、背筋が冷たくなるように淫猥で下卑ている。
「どうだ、このまま儂の屋敷に参らぬか? そなたであれば、一夜と申さず、十日、いや、ひと月でも、儂が飽きるまでは可愛がってやるぞ?」
 男が陰にこもった笑い声を響かせた時、香花を下卑た視線から守るようにスと前に立ち塞がった影があった。
「黙って聞いてりゃ、男の癖に、よくもまあ、ぺらぺらと喋る奴だな。おっさん、見たところ、俺らより十年以上は長く生きてそうだが、一体、何を学んできたんだ? 両班ってものは偉そうに威張るだけで、実のところ、頭の方は空なのか?」
 いかにも相手を挑発する物言いは、普段は感情を人前で露わにすることは滅多とない光王には珍しい。よほど腹に据えかねているようだ。
「な、何だ、お前は」
 男が突き出た腹を揺すり、怒りに身を震わせた。
「大切な妹を人前で辱められて、兄としては黙って見てはいられないんでね」
 光王が余裕たっぷりに腕組みして言う。上背のある光王からは、輿に乗った小柄な両班を丁度見下ろす格好になるのだ。
「き、貴様、旦那さまに向かって何と言う無礼な」
 控えていた従者が肩をそびやかして怒鳴った。まだ二十代らしい若者だが、身なりからして下男ではなく、執事かそれに準ずるような高位の奉公人らしい。
 主人が主人なら、奉公人もしかりで、身長はそこそこはあっても、まるで肥え太った主人の代わりに痩せているのではと思うほど痩せこけて貧相な男だ。主人の威を傘に着て偉ぶっているが、彼自身は極めて影の薄い、人混みに紛れてしまえば、見つけるのが難しいような存在感のない男である。
 光王の拳がその男に炸裂したのは、その直後だった。
「無礼なんて難しすぎる言葉は、生憎と賤しい身分の俺は知らないんでね。旦那、俺の妹に次にちょっかいを出したら、今度はあんたを殴りますよ」
 痩せた従者はみっともなくも勢いで後方へ吹っ飛び、大の字に伸びている。光王に言い返す元気さえないようだ。
「憶えておれ。この私に、宋与徹に公衆の面前でここまで恥をかかせてくれるとは、許してはおけぬ」
 威張り返った両班―宋与徹(ソンヨチヨル)が茹でた蛸のように紅くなって震えている傍らで、従者はまだ立ち上がることもできない。
 光王は怒り狂う与徹を残し、〝行くぞ〟とひと声残し、踵を返す。
「待ってよ、光王」
 香花は慌てて光王の背中を追いかける。
 居合わせた人々が互いに顔を見合わせ、光王の方をしきりにちらちらと見ていた。
 光王は香花が幾ら呼びかけても、振り向きもせず一人でどんどん先に歩いてゆく。
「ねえ、光王。待ってよ」
 何度目かに、漸く光王が立ち止まった。既に町の外れを過ぎ、村へと至る一本道まで来ている。
「全く、お前は阿呆か」
 光王がくるり、と振り向く。
「何よ、いきなり人を阿呆呼ばわりして」
 香花がむくれると、光王が人さし指でパチンと香花の額を弾いた。
「い、痛い、何するのよ?」
「お前がお転婆騒馬だというのは知っていたが、駄馬でももう少しは賢いじゃないのか? お前のその頭ン中は一体、何がつまってるんだ?」
「何ですって。駄馬よりも私が馬鹿だって、そう言うの、光王」
 香花が思いきり頬を膨らませると、光王は肩を軽くすくめる。彼特有の癖で、大抵、何かに苛立っているときに見せる仕種だ。
「俺があれほど人眼に立たないようにふるまえって日頃から言い聞かせてるのは、一体何のためか、お前は判ってるのか?」
 光王の声がいつになく大きい。
 香花も負けずに言い返す。
「それは―私だって判ってるわよ、いつどこで〝義賊光王〟とあなたを結びつける人がいないとも限らないから―」
 言いかけた香花に、光王はピシャリと決めつけた。
「やっぱり、お前は阿呆だ」
「何よ、人の話をろくに聞きもしないで」
 怒りまくる香花を見て、光王はわざとらしい大仰な溜息をつく。
「香花は自覚があまりにもなさすぎる」
 光王の手が伸びたかと思うと、香花の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「香花を見てたら、まともに怒る気も失せた」
 光王が苦笑いを浮かべる。自分を見つめるまなざしが凄く優しいのに気付き、香花は喧嘩の真っ最中だというのに思わず頬が赤らんだ。
―何、どうして、こんなときに頬が熱くなるのよ。
 自分で自分に突っ込んでみるけれど、光王の視線を意識すればするほど頬がカッと熱くなる。
「良いか、香花。お前は自分が世の男どもの眼にどう映るかをまるで自覚していない」
 いきなりなことを言われ、香花を眼を見開いた。
「それって、どういうこと―」
 光王がふとしゃがみ込み、道端の花を一輪、摘み取った。二人がひっそりと暮らす家の庭にも群れ咲く雑草だ。本当の名前があるにはあるのだろうが、生憎と香花は知らない。紫がかったピンク色の愛らしい可憐な花を咲かせる。
「例えば、だ。この花を見ると、俺は綺麗だと思う。綺麗だと思えば、誰しもその花を摘み取りたくなるものだ。判るか? お前はまさに、この花と同じなんだ。お前は自分が考えているよりもずっと美しい。最近はほんの少しだが、色気も出てきた。そんなお前を見たら、男は誰でも手折りたい、摘み取りたいと思わずにはいられなんだ。だからこそ、人眼につかないように―特にあんな助平男には近づくなと俺は声を大にして言いたい」
 大真面目に告げる光王の表情に、香花は思わず吹き出してしまう。
「何がおかしい」
 むろん光王は不機嫌だ。
「だって、私が綺麗だなんて、おまけに色気があるだなんて。それこそ光王、あなたの方こそ、頭がどうかしちゃったんじゃない。それとも、トシのせいで眼が見えなくなってきたのかしら。お兄ちゃん(オラボニ)」
「何だと、だ、誰がトシだって?」
 あまりにも想定外の科白に直面し、声が裏返っている。
―ふん、良い気味。先刻、私を阿呆呼ばわりしたお返しよ。
 香花は心の中で舌を出し、知らぬ貌でそっぽを向く。
「俺はだな、香花、お前のことを思って忠告してやっているんだぞ。それをトシだとは何だ」
「余計なお世話です。それよりも、お兄ちゃん、折角綺麗に咲いてるのに、摘んだりしちゃ駄目でしょ。私にちょうだい、持って帰って花瓶に挿しておくから」
 光王が差し出した花を香花は奪い取ると、また一人で歩き出す。
「おい、二人だけのときに、そのお兄ちゃんと呼ぶのは止めろと何度言えば―」
 光王は言いかけて、途中で口をつぐむ。
 既に香花の小柄な後ろ姿は随分と先になっていた。光王に追いつかれまいと、よほど大急ぎで歩いているのだろう。
「何というか、本当に強情な女だな」
 思わず苦笑が洩れ、光王は美麗な面に微笑を滲ませる。
 ちょっとからかえば、すぐに怒る。かと思えば、すぐに泣き出し、自分のことよりも他人ばかり心配して、人助けのためなら、どんな危険をも顧みず飛び込んでゆく。あの娘はそういう女だ。
 あの娘の判断基準というのは、多分、自分の身の安全とか幸せではなく、他人の幸せに違いない。
 だからこそ、香花から眼が離せない。少しでも油断していると、どこに飛んでいってしまうか判らない可愛い小鳥。本当はそう言ってやりたいが、香花の前に出ると〝騒馬〟だとか何とか、あの娘を怒らせるような言葉しか出てこない。我ながら自己嫌悪だ。
 数え切れないほどの女と身体を重ね、女心など、とっくに知り尽くしていると思っていたが、たかが十五歳の―自分よりも十一も年下の少女の心一つ掴めないとは。
 好きな女の子の前では恋心を出せず、喧嘩ぱかりしてしまう。これでは、まるで香花と同じ年どころか、年下の少年のようではないかと自分でも呆れて物が言えない。
 多分、香花は光王の想いなど露ほども知りはしない。
 そう考えると、もどかしいような気もするが、今はまだ良い。香花がやがて自ら光王の想いに気付き、自然に受け容れてくれるようになるまでは、今のまま〝お兄ちゃん〟でも構いはしない。顔を見れば、喧嘩ばかりして、でも、誰よりも互いを必要としている二人。香花の傍に居て、いつもあの眩しい笑顔を見ていられるなら、今はそれで十分だ。
 光王は、そんなことを考えながら、すっかり遠くなってしまった香花の後ろ姿を見つめた。