大変お待たせしている『神との交流』の日本語版ですが、現在、編集作業も大詰めを迎えている段階です。出版予定日が決まりましたら皆様にお知らせいたします。

 

今日は、8章の「スピリチュアルな教師」から、一部引用して共有させていただきます。

 

「スピリチュアルな教師に師事する重要性を示すために、ひとつ話をします。教師は人が聖なる存在との関係を築くうえで欠くことのできないパートナーです。肉体をもつスピリチュアルな教師が必要かどうかについては、さまざまな議論があります。今日の世界では、権威に対する不信がありますが、これは権威というものが自立した精神に反しているように思えるからです。その結果、多くの人が自分だけでスピリチュアルな梯子をよじのぼろうとしています。多くの異なる情報源から知識を集めて、独自のスピリチュアルな道を創り出そうとします。知識を集めることは素晴らしいことですが、教師の代わりにはなりません。実際のところ、人にはスピリチュアルな教師が必要なのです。神に不可能はないので、人が独力で目標を果たすのが不可能だとは言えませんが、よりゆっくりで難しいプロセスになるとは言えるでしょう。

 スピリチュアルな教師とは正確には何なのでしょう。スピリチュアルな知識や透視体験を分かち合える人はたくさんいますが、だからと言ってその人たちが本当の意味でのスピリチュアルな教師であるということにはなりません。〈神の光〉の教師とは、人が自分のスピリチュアルな可能性を最大限に開花させられるように力を貸せる人です。力を貸せるのは、教師である自分自身がそのような域に到達しているだけでなく、教師になるための訓練を長年にわたり受けているためです。本物の教師は、聖なる存在と直接つながるパイプになるための橋をすでに確立していて、生徒が自力で直接知を得られるまで、スピリチュアル・ヒエラルキーの特使として働くことができます。だからこそ、生徒がスピリチュアルな可能性を最大限に発揮できるよう助けることができるのです。スピリチュアルな教師は、生徒が直接スピリチュアル・ヒエラルキーとつながるためのリンクの役割を務めます。教師と生徒のこうした関係は、最も神聖な関係のひとつです。教師は生徒の代わりに成長することはできませんが、生徒を導き、スピリチュアルな梯子をのぼる力を与えることができます。」

 

この引用で語っているように、形而上学を学ぶ際に「生きた教師」がいるかどうかが非常に重要なポイントとなります。スピリチュアル・アーツ・インスティテュートには、バーバラ・Y・マーティンに加え、ディミトリ・モライティスが後継者としてスピリチュアルな教師の地位に到達しています。

 

スピリチュアルな教師は知識だけでなれるものではありません。スピリチュアルな梯子を上り、訓練と試練を経て、合格したものに、聖なる存在たちがその権威を与えます。

 

生きた教師がいるスピリチュアル・アーツ・インスティテュートで、皆さんもスピリチュアルな階段を上る旅を開始しませんか?現在春のオンラインクラスの受講生を受け付けています。詳細はこちらのページをご参照ください。