父の約束を待て | めぐみキリスト教会

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人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つのことばによる。
               新約聖書マタイの福音書4章4節

 今日は、使徒行伝1章1節~11節までのところから「父の約束を待て」と言う題で、みことばから恵みを頂きたいと思います。

 

 教会の暦では、5月9日がイエス様が天の昇られた昇天記念日です。イエス様は、十字架で死なれ墓に葬られ三日目に蘇られました。そして、40日間弟子たちと過ごされ神の国について教えられ、そして天に昇って行かれたわけです。

 

 弟子たちの気持ちとしては、イエス様とずっと一緒にいたかったのではないかと思いますが、イエス様が天に昇られたと言うことは、とても大きま恵みなのです。それは、全世界にキリストの福音が拡がっていくために不可欠な準備だからです。

 

 今日は、使徒1章4節5節を中心に、イエス様が天に昇られる前、弟子たちに「父の約束を待ちなさい」と言われた、聖霊降臨に注目したいと思います。

 

 基本的なことですが、私たちクリスチャンが信じている神様は、三位一体なる神で、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神の三つにして一つの神であります。これは、神が三つに分かれて分業しているというのではなくて、三つにして一つなるお方だということです。この三位一体の教理は人間の知性では理解することは不可能ですので、信仰によって受け入れることが大切です。

 

 3節~4節をご覧下さい。ここを見ると、イエス様は復活されてから数えて、40日目に天に昇って行かれたということが分かります。

 

 では、聖霊降臨はいつ起こったのかと言うと、五旬節の日であったと聖書にあります(2:1)。五旬節と言うのは50日目と言う意味で、キリストの復活から数えて50日目に聖霊が弟子たちに注がれたのです。この出来事によって、歴史的に目に見える形で教会が誕生したのです。

 

 その後、聖霊なる神はお役目御免と言うことで、いなくなられたのかと言うと、そうではありません。目には見えませんが、今も教会を通して、キリスト者を通して生きて御業を現されているというのが、聖書理解です。

 

 それでは、どうしてイエス様は天に昇られる前に、弟子たちに聖霊を待ち望みなさいと言われたのかと言うと、それには理由があるのです。それは、使徒として遣わすための準備をするためです。そしてそこに、二つの側面があります。

 

 一つは、「信仰の確信」です(5節)。ここには、水のバプテスマと聖霊のバプテスマと言う言葉があります。バプテスマとは洗礼のことです。「洗礼」とは「浸す」という意味です。バプテスマのヨハネが授けていた洗礼は、水に浸す事で、神に立ち返るための洗礼です(ルカ3:16)。

 

 しかし、聖霊のバプテスマとは、キリストを証しするための力、キリストの姿に変えられていくために必要な力と言っていいと思います。そのことについては、キリストの弟子たちを見ればよく分かります。彼らが、聖霊を受ける前と受けた後では、その生き方や信仰のあり方が全く変わっています。

 

 例えばペテロです。キリストの十字架を前に、私はキリストは知らないといいました。しかし、聖霊を受けた後のペテロは、ユダヤ人を前に、キリストこそが真の神であると証ししました(使徒2:14~)。ですから、イエス様は父の約束を待ちなさい言ったのは、キリストの証人として遣わすために必要な準備だからです。

 

 最後に、どうして私たちは聖霊に満たされなければならないのか、その満たされる最大の目的は何かというと、神の栄光を表すためです。マタイ5章16節