若いころの私は、
他人の価値観で動いていました。
流行の服、音楽、ブランド品。
「今これが流行ってる」と言われれば、
それが自分の正解のように思えたのです。
けれど流行はすぐに変わります。
昨日の憧れが、今日はもう“ダサい”になる。
テレビに映る芸能人を好きだと言っていたのに
ある日から批判したり、
話題のものに飛びついては飽きてしまう。
部活も、資格も、途中で熱が冷めて続かない。
結局のところ、
私が追いかけていたのは
“他人の目にどう映るか”
という幻だったのだと思います。
そんな私が仏教に出会って三年。
誰に勧められたわけでもありません。
ただ気づけば、この道を深めてみたいと
心から思い続けていました。
毎朝晩、いただいた御札の前で手を合わせ、
仏壇はないけれど玄関には白檀のお香を焚く。
おばあちゃんの家のように
心が落ち着く空間をつくりたくなったのです。
テレビをなくして
静けさの中に身を置く時間を手に入れました。
気づけば私の家は、
“好きなもので溢れている”場所になっていました。
派手ではなくても
心が安らぐものや空間。
あの頃のように
流行や一時の気の迷いで買っては満足し、
放置して後悔することもなくなりました。
昔の飽き性の私はよく思いました。
「なぜこんなものにお金と時間を費やしたのか」と。
それは、自分の“心”ではなく
“他人の価値観”を頼りに選んでいたからです。
だから心が続かない。
他人の価値観は、他人のもの。
自分の根から湧き出た願いではないから
時間が経てば心から離れていくのも当然でした。
仏教を通して学んだのは
「外に答えを求めるのではなく
自分の心を見つめること」
他人の評価に左右されず
静かに自分の中に光を見つけること。
外ばかり見て比べ
気にしていた昔の私は、
なぜ飽きっぽいのかにも気づいていませんでした。
それでいいとさえ思っていた時期もあります。
しかし、何をしても虚しい──。
仏教の教えに触れ
毎日少しずつ心を整えるようになってから
少しずつ変化がありました。
ラジオ体操が続いている。
一定の生活リズムも続いている。
仏教の勉強も続いている。
傍から見ると
昔と大きく変わっていませんが
続けていくことで、
いつしか自信につながっていきました。
飽きっぽさは
一朝一夕で消えるものではありません。
だから、目立つことや大きなことから
手をつける必要はないのです。
自分の手が届く範囲から整えていく。
部屋を片づける、香を焚く、
静かな時間を持つ──
そんな小さな積み重ねの先に
気づけば“飽き性の私”がいなくなっていました。
他人に合わせて生きていた頃の私は
流行の風に吹かれる落ち葉のようでした。
けれど今は
静かに根を張る木のように
心の深いところで穏やかに立っています。