こんにちは。
めぐこです。
オープンカウンセリング
こちらの開催後、
しばらくお休みします
ぜひ今回どうぞ
↓
さて
今日も必要な人へのメッセージです。
人間関係で
苦しくなるとき
モヤモヤしたり
イライラしたり
ガッカリしたりするとき
そういうときって
【相手と自分の「境界線」をあいまいにしてる】
そういうことがあるんだよね。
たとえば
自分が何か言いたいことがあったとき。
「わたしは、これはこうで、こう思う。」
ということを
伝えたとするね。
それを
「すごくよく分かる!」
って、すぐ言ってくれる人もいる。
でも
「全然分からない~!」
って言う人もいる。
後から
「最初は分からなかったけど
しばらくしたら分かるようになった」
ということもある。
本当に伝えたい人には全然伝わらないのに
そうでもない人がすごく分かってくれてたり
がんばってがんばって
言い方とか状況とかすご~~~く考えて
練って練って
精一杯、気を使いつつ伝えたことが・・・・
ぜんぜ~~~ん伝わらなかったり(残念w
逆に
適当につぶやいたこと
感情に任せたこと
自分でも「支離滅裂だな・・・」と思うほど
言葉がめちゃくちゃなの説明なのに
「いまので、よく分かったよ。。。」
としみじみ言われたり。
ね
いろんなパターン
あるよね(笑)
つまり
自分が
どんなつもりであろうと
相手は
分かるときには分かるし
分からないときには分からない
そこは
「自分の範囲」ではない。
自分がどうこうできる範囲、ではない。
相手がどんな気持ちになるか、も、そう。
わたしと接して
あるいは
わたしと同じものを見て
うれしくなるのか
イヤになるのか
楽しいのか
つまらないのか
それは
「わたしの範囲」
ではなくて
「相手の範囲」。
わたしには
どうすることもできないんだよね。
わたしが
自由に感じたいのと同じで
向こうだって
自由に感じたい。
相手の理解度合いや
気持ちに対して
「こうであってください」
と
わたしが
指定することはできないんだ。
こう言われたら
そんなの当たり前だ~
と思うかもしれないね。
でも
わたしたち
モヤモヤするときって
「どうして、分かってくれないのだろう」
「どうして、一緒に喜んでくれないのだろう」
「どうして、一緒に悲しんでくれないのだろう」
って
【相手と自分の「境界線」をあいまいにしてる】
ことが引き金だったり
するのよね。
親しくなると
特にそう。
相手に
親近感を覚えると
特にそうなるよね。
相手の理解度合い
相手の気持ちに
「こうであっておくれよ」
っておもっちゃう(笑)
ま
そう思う自分も
人間らしいのだけど(笑)
思っちゃってもいいけど
ただ、そこに振り回されて
苦しい・・・というときは
ちょっと思い出してみて欲しい。
人がどう思うのか、どう受け取るのか、は「その人の範囲」。
わたしがどう思うのか、どう受け取ってるのか、が「わたしの範囲」。
わたしができることは
「わたしはわたしの気持ち、言いたいことを言えてるのかな?」
そこだけ。
言ってないとしても
「わたしはわたしの気持ちを、感じられているのかな?」
そこだけ。
行動としては
「わたしは、わたしに誠実であったかな?」
「わたしは、わたしの中の善意に誠実であったかな?」
そこだけ。
わたしができること
わたしがすべきことって
その「自分の範囲」を大事にして
集中して
そこの精度を高めていくって言うのかな。
相手と自分の境界線があいまいになると、
相手への勝手な期待が増えるし、
相手から感じる勝手な負担も増える。
つまり
「相手の範囲」にずかずかと踏み込んでいるということであったり
あるいは
「自分の範囲」に他人を自分から入れておいて
左右に揺れたりする。
(「だれそれに何とかって言われたー!」って翻弄されるとかっていうのがソレ)
わたしたちは、そういう本来悩まなくていいことで悩んでいたりするのね
さあ。
この文章も
伝わった人もいるだろうし
「???」な人もきっといるね(笑)
よいよい(笑)
わたしの範囲は
わたしが言いたいことを
発信してみるところまで。
あなたの感じ方も
自由だよ
相手の行動や気持ちにも
踏み込みすぎなときがあるんだよね。
「自分の範囲を越えちゃう」=「境界線」の話で言えば
助けてあげなくちゃ
なんとかしてあげなくちゃ
きっと寂しいに違いない
きっと困ってるに違いない
ってね。
相手の課題に
自分が踏み込みすぎてしまうとき。
人のことで心が振り回されてる、
と感じたら
相手と自分との間にある「境界線」をまたいでないかな?
「相手の範囲」にまで、自分が入ろうとしてないかな?
って考えてみてね。