そろそろ寒い、十勝平野



恐れとは恐ろしいものです


幼少より恐れにとらわれるタイプでしたので

若いうちから

恐れの対策は身につけておりました


10代の頃の対策は

どの道、起きることは起きる

なら今それを考えるのは時間がもったいない

まだ起きてないのだから

それは起きないこととして日々を過ごそう

先の不安より今この瞬間の幸せを感じよう

というものです


そして、30代の頃は

今とても苦しいが、問題解決していけば

必ず終わる時が来て

なあんだ

こんなことなら心配する必要はなかった

と必ず思うであろうことは

明白である、と


さらに進んで60代

結局、心配したことは何一つ起きなかった

やっぱり恐れなど全く必要なかった

ただ、突然とんでもないことは起きた

災害とか怪我とか

でもこれは想定すらしなかったこと

つまり恐れもしなかったこと

だから起きる時は

想定すらしないことがおきるのだ


結局、心配したことの9割は起きない


なので恐ることは何もない


が、ここまでの体験です



それでもあれこれ心配するタイプの私は

想定される心配事には徹底的に備える

ことにしています


これで、その事が起きた時には

十分に準備されているので

問題なく解決し

恐れなど不要、ということになります


恐れは、恐れるほど

それを呼び込んでしまいますので

それは捨ててしまいましょう




 臆病な人は、何かが自分の身に起ころうとしているのではと恐れます。そういう人に理由を尋ねてみると、たいてい、恐れから自分自身を解放する能力に自信がないことがわかるものです。恐れがその人の考える力を支配してしまっているのです。だからその人は臆病なのです。恐れは人を奴隷としてこき使う恐るべき存在です。思いの一つ一つが歪んでいて、否定的な結果を導き出してしまうからです。そうした思いのパターンは、さらなる恐れを招く現実を導き出すだけで、人は、思いを導き出すことで望んでいたものを手に入れます。恐れに満ちた人は、恐れに満ちた思いを抱き、恐れに満ちた現実を手にしてしまうのです。

『思いが人生をつくる』より