そういえば、若いお母さんが言ってた。
「震災直後、飲み水がなくて。自衛隊が持って来てくれた水を飲んだとき、水ってこんなに美味しいんだって思ったよ。」
福島では、いつも普通に吸っている空気を胸いっぱい吸えない。
ナウシカでクロトアが久々にマスクを外せたとき「空気ってやつはうまいな~」と言っていたのを思い出した。
普通に食べていた食事が、今は色々なものに汚染されている。放射能前からも、化学物質まみれ。
人間はなんて余計なものをたくさん作ってしまったのでしょう。



iPhoneからの投稿

朝、今日は一般ボランティアさんが炊き出しなので6時起床。やや寝坊。

ちなみに寝床は10畳くらいのスペースに8人くらいで寝てます。畳じゃない場所なので床にダンボールや毛布を引いて、あとは寝袋でどうにか。男女ごっちゃ。3月は13人くらいで寝てたそう。どうやって入ってたんだろ?あとトイレは水洗もありますが、ボランティアはボットンです。久々のボットン。おばあちゃん家思い出す。携帯とか落としたら終了なんでスリリング!


今日は神奈川からペインクリニックの開業医先生が診察。私は13時には出発するのでそれまで診察補助。針、つぼ押しができる先生。薬は処方せず漢方を使う。聞けば、「だって、西洋医学効かないんだもん」とのこと。つぼのことや東洋医学について学ばせて頂きラッキーな出会い。引き寄せたな。やっぱ運は人が運んでくるんだな。


被災者は、プライベートタイムがほとんどない。トイレでさえゆっくりできないし。息が抜けないし、体が無意識に緊張しているようだ。体の諸所に痛みを抱えている人が多く、ペインのニーズはある。ただ、東北の方の気質なのか、痛みの我慢が強い。けっこうひどくならないと来なかったりする。せめて、体の負担は減らしてあげたいけど。畳の生活だから、ひざや腰に結構負担がかかる。私もたった3日だが腰痛が悪化しているしひざも痛い。


あと3日通して栄養面の問題も体感。動物性たんぱく質の摂取が少ないのです。炊き出しではほとんど見なかったな。子供や、肉体労働している人なんかはまずいね。物資も偏っているみたい。過剰なものは過剰で、腐りかけのものもたまにあるみたい。日持ちするもの系(缶詰、カップめんなど)は皆食べ過ぎて飽きてる。ただ「贅沢は言えないから・・・」と要望を発していないだけ。そろそろ、生活の質の向上をしていく段階に来ていると感じた。


そうこうしている間にお迎えが。


屯所に戻り、お昼を食べてお別れ。

握手してくれたり「またウノしに来て下さい」と言って頂いて本当に泣きそうでした。何にもできなくて申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいです。私は宮城に来て一回も嫌な思いをしなかった。皆さん本当にあったかくて。もっともっと私に力があったらな。あったらな、で終わらせず、力をつけます。できることできる範囲で。


今回、行くか迷ったりもしたが、行動に起こしてよかったです。逆に宮城の方々から元気を頂いてしまったので今度は私が返せるように頑張りたい。


どんな形であれ、東北を応援し続けます。



しかし、仙台は外壁がちょっと落ちていたりするくらいで日常だった。車で3時間程度でこんなに世界が変わるのか。。。


お疲れ様でした。

4時半起床。酒残っている。


炊き出しお手伝い。見たことない大きく長いワカメを切りながら被災者のママと雑談。やっぱり話題は仮設住宅。「抽選外れたの。でも当たってもね、先立つお金がないからね。ここにいればご飯も出るし光熱費もかからないからいいけど、仮設住宅に入ると光熱費もかかるし、食事代もかかる。お金が入らないからどうしよもならないよね。」と。他の方々も、誰が避難所を出るとかそういう話題が多い。移るも不安。残るも不安。ただ残る人は本当に寂しそうな顔をする。つらいね。喪失体験が重なるよね。皆こんな経験をこの2ヶ月で何回も繰り返しているんだな。


朝ごはんの後は急いでDMAT会議へ。気仙沼で活動している医療団が一度に集まり、周知や会議をする。全国津々浦々から医師、看護師、薬剤師、栄養士が被災地入りし活動を行っている。これは石巻にも入っていたナースから聞いた話。「石巻は被害が甚大でライフラインもまだ整っていない。ただ医療は石巻赤十字が中心となり、医療ボランティアなどの調整も行っているから効率的。気仙沼はもともと基幹病院がないから気仙沼市が中心でやっている。だから組織的に動くのが効率がわるくなっている。」とのこと。

もともと東北は医療過疎だからな。多くの人が車を流されて移動手段がない。訪問診療などできめ細やかに医療を提供してく必要がある。そういうこと考えているのかしら?悶々としながら会議終了。


気仙沼港を視察。気仙沼は火事にもみまわれた。

行く途中、三陸鉄道が幾箇所にもわたって寸断されていた。鉄橋が崩れ、トンネルが崩壊し、線路が引きちぎられている。枕木も何もない。三陸鉄道は再建すると180億円かかるらしい。。。きっときれいな景色が見える電車だったんだろうな。三陸の海は本当にきれい。きれい過ぎて、でも起きてる現状が悲惨すぎて、泣ける。


気仙沼は造船場があったようで、大きな船がたくさん陸に打ち上げられていた。川を遡上して橋に引っかかっている船もあった。生鮮市場も栄えていたそう。今、そこにあった魚が腐ってしまい、悪臭がひどいらしい。この日は雨で気温が低いのでそこまではひどくないが、晴れている日はマスクなしだといられない程だそうだ。気仙沼駅が近くにあり、港を含め一帯が栄えていたようだ。銀行や商店も一階が津波で潰れて建物が崩れていたりひどい状況だったが、鉄骨の建物が多く建物自体は残っている。石油コンビナートが近くにあり、そこから石油タンクが流され石油が流出。港で引火し陸にも火の手があがったらしい。焦げ臭さがまだありまるで戦場にいるかのような景色だった。船が丸々燃えた跡もあった。海は石油が漂っていた。気仙沼は70cm地盤沈下したそうで、満潮時は冠水して道が通れなくなる。地形が大きく変わってしまったのだ。


見たことないくらい大きなクレーン車を投入して船を回収していた。少しずつだが、復興へ向けて動き出している。


午後はお寺の診療。今日が最終の診療ということで多くの人が訪れた。私達の体まで気遣ってくれる人たちが多く、恐縮してしまう。どんだけ優しいのよ。


屯所へ帰還。今日はやや有名な歌手が歌いにくるということで、掃除や準備を手伝う。その人が来るから夕飯は16時半。ご飯の時間に来ないでよ~。子供とかかわいそうだ。歌はとっても上手いし歌詞もいいけどなんか暗い曲調。。。ブルースだね。仙台から熱狂的なファンが来ていて、温度差を感じた。これは個人的な意見だが、やっぱり皆聞きたいのは良く知っている歌謡曲とか民謡とか演歌なんだよね。本当に被災者のことを思うのであれば、せめて数曲は大衆ソングを歌ってほしい。自分の歌ばかり、はちょっとオナニープレイじゃないかな。あと、本人じゃなくても周りのスタッフは先に来て準備手伝ってほしい。皆忙しい時間削って掃除したり、準備したり。その人たちの分の炊き出ししたり。大変なんだよ。。。


今日はお風呂なしでまたスナックへ。10歳の男の子が「皆さんスナックへ来てください!」とわざわざ招待してくれたので行かないわけにいかないでしょ~。ししゃも焼いたりしてくれておいしかった。あと漁師漬けは絶品ですね。マグロをしょうがとにんにくとしょうゆで漬けたもの。船でよく食べていたそうです。美味しかった。皆さんも本当優しくて、明日で最後って言ったとき泣きそうになっちゃった。仲良くなると別れがつらい。でも泣きません。それはなんか違うから。長くいた人が泣くのはありだけど、私にその資格はない。


後半はまたウノ大会。なんかすっかりウノの人になっていました。。。楽しかったよ。

あんまり長くいると離れずらいから23時に撤収し、おやすみなさい。


○3日目まとめ

・長期的な医療サポートの必要性

・気仙沼の惨状

・イベント系ボランティアは現地の人の負担にならないように、大衆ニーズを汲み取るように願う

・ウノは最高のコミュニケーションツール