午後は130名程度が非難している近隣のお寺へ往診。

移動の道中も瓦礫を通り抜ける。洗濯機の洗濯槽のみが転がっていたり、小型のボートが田んぼがあったであろう場所に乗り上げていたり、想像を絶する世界。木に引っかかった服や、お皿が落ちている所を見ると、生活があったんだと実感させられ、胸が締め付けられる。


お寺着。めっちゃでかい!!3棟あるらしい。地元のおじ様達が作成した薪風呂もある。すごいわ~。これは助かるだろうね。2時間滞在して診療。ここも毎日来ていた所が週二回になる。大きな避難所だけあり、整体のボランティアやお相撲さんの炊き出しも入っていた。お相撲さん、めっちゃ焼きそば焼いてました。現地の方々のお計らいで我々もおすそ分けを頂きました。あったかいご飯はやっぱりおいしい。明日は某夏の有名歌手が来るそう。イベント目白押しだね。


患者(被災者)さんの訴えは

不眠→周りの音、ストレス、心労など

肩こりなどの痛み→枕がない、布団がないので畳に毛布を何枚か引いた上に寝ている、長い避難生活での緊張やストレスで体がこわばっている、運動不足など

高血圧→疲労、偏った食事、ストレスなど

風邪→温度差が激しい、栄養が偏っているのとストレスで免疫力低下、お寺は木造なので寒いなど

が多かったですね。

ちょうど仮設住宅ができて、入居者の抽選があった頃で、皆さん一様にそのことの不安を訴えていました。


まとめ役をやられている方は高血圧。「仮設住宅ができてうれしいけど、仮説に移った人たちを取りまとめたりするのも大変。行政はほとんど介入していないから我々でやるしかない。お金を持ってる人とそうでない人もいるからね。なかなか大変。仮設住宅に当たらなかった人たちのケアも考えないといけない。今回は80名くらいが仮説住宅に移るから、残る人の方が少ない。当然不満もあるし、取り残されてしまう心情もある。移るまでに10日間あるけど、やっぱりお互い気まずいよね。」。表情からこの2ヶ月での本当に大変な心労と苦労が読み取れる。


不眠と肩こりで診察に来た女性。「私は仮説牛宅にあたったからいいんだけどね。皆がそうじゃないから。申し訳ない気持ちにもなっちゃう。だって、やっぱり移りたい気持ちは皆同じだもの。不眠は仮設住宅に行けばよくなると思う。今は夜にトイレに起きる人の足音とかで目が覚めちゃうから。」。笑顔で話されているがふと見せる表情は苦悩が感じられた。「愚痴っちゃった!ごめんなさいね!」と言っておられ。いいんですよ。我々ができることなんてそれくらいしかないもの。

一番の役割は、避難所以外の人間の存在と場所。皆不安を抱えていて、そんな中で自分の不安を吐き出すのはできないよね。だから、避難所はけっこう笑いであふれている。おばちゃんも、おじちゃんも冗談言ったり。でも診察室入っていろいろしゃべっていると、不安を吐露する。つらいよね。寄り添うことしかできません。ごめんなさい。少しでも愚痴でも言ってさっぱりしてくれたらいいな。


15時診療終了。

時間があるので、南三陸から回って帰ることに。

本吉は海から3,4キロいくと山があるが、南三陸は海から山までが遠い。被害は甚大だった。本当に本当に何もない。道もない、家も、電信柱も、何にもなかった。音もなかった。

すごい大きな堤防があるけど途中で壊れている。堤防のすぐ近くに家があったようで、基礎だけ残してあとは何もなかった。車は一瞬なんだか認識できないほどにめちゃくちゃにされていた。エンジンだけが転がっている。3階コンクリート建ての病院は、屋上に漁で使う網が引っかかっている。意味わかんない。ガラスはすべてない。消防署も鉄筋のみ残し、外壁もすべてなくなっていた。この光景が10キロ近く続くのである。壮絶だった。町が消ていた。


TVで見てはいた。でも実際に目の当たりにすると。言葉がない。


重い気持ちを引きずり夕食。ご飯とおかずと味噌汁を炊き出し。被災者は当番をきめてやっている。チームからも2人お手伝い。


今日は4日ほどお風呂に入っていないスタッフがいたのでお風呂日!ラッキーだな。

車で30分離れた地元の銭湯へ。すごいレトロ。シャワーないからね。被災者の方は、自衛隊のお風呂や、ボランティアの巡回風呂を利用しているのでコンスタントにはいれているそう。

スタッフの一人は、「3月のうちはライフラインがなかったし、銭湯もやってないし、自衛隊の風呂も被災者優先だから10日お風呂に入らなかった。」と。「銭湯が再開したのが4月に入ってから。そのときの湯船はやばかったよ。めっちゃいろいろ浮いてて(笑)」。今もけっこう汚い湯船。でもお湯に浸かれるだけで幸せだ~。


21時より宴会。基本避難所はトラブル防止のために宴会禁止のところも多い。ボランティアが宴会も基本はなし。でも、ここのご住職は大変心が広いお方。非難されている方々は漁師が多い。いつも飲んでいたのに、非難してからはほとんど飲めずだったそう。見かねた住職が宴会OKにし、本部の隣は「スナック」と称した飲み場になっている。薪を焚きながら毎夜行われている。ボランティアも普通に参加。漁師のおじちゃま達はとっても素敵。優しい人ばかり。行くと「これ飲め、食え」といろいろ与えてくれました。

若者集団もいて後半はウノ大会。楽しかった。被災者とかボランティアとかの壁がなくなったよ。同じ国に生まれ、同じ年代に生き、同じ言葉を話す仲間だよ。

「船も、車も、家もながされちゃったからな~。どうすっかな。」って不安も皆抱えている。保障もあるらしいが、船が見つかって、スクラップにしたことを証明しないと補償額は下がるらしい。海に生まれ、海に生きてきた人たち。つらいだろうな。

ちなみに、仮設住宅は、どこに建てるか、誰を入れるか、その後の管理などお役所の担当部署が全部違うらしい。だから、意見や要望がなかなか通らないし、建設も遅いと事務の方が漏らしていた。何で地元の人をもっと介入させないんだろう。阪神淡路の教訓がまったく生かされない。


0時就寝。明日は炊き出しなので4時半起床!


○災害ボランティア2日目:PM まとめ

・被害は想像以上に甚大。

・仮設住宅の問題。残る人、移る人で住民にストレス。行政と住民との間にずれがある。

・お酒は最高のコミュニケーションツール。

・本音や不安を吐き出せる環境作り→ある程度継続して医療チームやカウンセリングなどが介入する必要がある

・避難生活でのストレスがピークに達している

・感染症の拡大注意

【災害ボランティア2日目//AM】

昨日、日中眠りすぎなのと緊張でほとんど眠れず・・・・

起床6時。仙台は良い天気である。簡単に身づくろいをし、7時にボランティアドライバー(VD)のAさん(男)といざ本吉地区へ。Aさんは、定年を過ぎている東京在住の方である。ゆるーい雰囲気をお持ちの方。泥だしとかは、体力的に無理なので、ネットでいろいろ探していたら、VDを知り応募してと。今回は被災地入り3回目。道も慣れたものである。車の中からの景色は、水田がきれいで、自然が輝いていて、うっかり癒されたしまった。途中、登米などの市街地も通過。建物もほとんど健在。意外にもブロック塀はほとんどの所で崩れていなかった。それよりも、屋根瓦の損傷の方があった。本吉まで10キロ地点あたりから、たまに自衛隊車両や、県外からのボランティアチームを乗せたバスとすれ違った。


5キロ手前。あとは峠を越えてもう着く頃。津波の爪あとが突然眼前に広がった。まだ海は見えない。ナビ上でも海はまだまだ遠い場所である。突然、左右の景色が一変した。大木が流され、瓦礫だらけである。流された家、電信柱、車。ありとあらゆるものが瓦礫になってしまっている。頭をガツンと殴られたようだった。「ここは海から5キロ離れてるけど、津波が川を遡上してきて皆流されてしまったんだ。」とAさんが教えてくれた。その川は、今は川幅2メートルくらいの穏やかな川である。しかし、川を挟んでいた町は跡形もなく消えていた。川から少し高台へ行くと、津波の被害はほとんどなくなる。運命の分かれ目が引かれているようだった。


高台を降りて、海が見える道を走ると、そこはニュースで見ていた世界だった。海から2、3キロは見渡す限り瓦礫。右を見ても、左を見ても、町の痕跡は消されていた。堤防が無残に砕け散っている。鉄骨が紙くずでも丸めたような形で転がっている。ひどかった。「これでも1ヶ月前に比べたらだいぶ片付いてきた」とAさん。


道はだいぶ舗装され通りやすくなっているが、地盤沈下をしているのか、橋はがたつきがひどい。


それでもコンビには普通に営業していた。割れた扉ガラスをダンボールなんかで補強している。新しく、建物を建てているコンビにもあった。入り口に『もうちょっとで開店、待っててね』と書いてあった。イカシてるな~。


10時参加するボランティア医療チームがある本吉のあるお寺に到着。

そこはぐっと坂を上がった高台にある。400年の歴史がある立派なお寺。今は避難所として開放している。


まずはチームにご挨拶。皆さん滋賀や東京から駆けつけていた。本部の看護師は3月17日から被災地入りしているそう。医師1名、看護師4名で活動中。


地元の対策本部に挨拶。ボランティアで入っている若い男性や、副住職さん、副々住職さん、被災者の方々に挨拶。東北弁があったかい。今まで総勢300名程度のボランティアが訪れたそうで気さくに話をかけてくれた。「どっがらきたのー。」みたいな感じ。


避難所として利用している本堂へ。震災直後は、人でいっぱいだったらしいが、仮設住宅に移るなどする人が増えて今は30名程度がここで避難生活を送る。

布でスペースを区切っていて、ある程度のプライベートが確保できるよう配慮されていた。ボランティアナース(VN)のM(女性:60代)が「ここは避難所の中では、人数も少ないほうだし、お寺だから畳を使えるので、環境としてはいい方なの。電気もガスも水道も今は通ってしね。あそこのおじいちゃんは、200人くらいいる避難所にいて、床の上に毛布を一枚だけひいて寝ていたら床ずれがでちゃって。痛いからどんどん動かなくなってしまって、見かねてDrがここの避難所に移したの。今は杖をつくけど歩けるし床ずれもだいぶ良くなったのよ。」と教えてくれた。被災者の方々の話だと「地震のあった日は住職がすぐここを開放してくれたの。畳1畳に3人くらいのスペースしかなかったよ。荷物も置くとこないから仏様の所にも荷物置かしてもらってた。寒くてねー。大変だったの。」。畳1畳に3人って!!今はあっけらかんと話してくれるけど、本当に恐ろしく大変な経験をしているんだな。


診療風景診察。薬や最低限の医療資材はあるのでそれなりに診療可能。

高血圧の人来訪。継続処方。6月に医療チームは撤退してしますので皆さんに紹介状を書いてお渡しする。この患者さんは「かかりつけの病院もなくなっちゃて、やっぱり不安だよ。今まではここに来れば薬ももらえたし、相談にも乗ってもらえたしね。病院は距離もあるし、混んでるから・・・。」とやはり不安げだった。そりゃそうだよね。被災してから薬を飲むようになった人も多いから、ずっと体調を知っている人がいなくなるのは心細いよね。

今は患者数は減っているのでちらほら来訪。


12時 昼食。炊き出しをチームで5人分もらえるのでそれを分けて食べる。今日はVDさん2人もいたりして5人分を8人で分けていただきます。メニューま賞味期限切れおにぎり~。あとはカップの味噌汁。お菓子。結構お腹いっぱい。長くいるスタッフは、「おにぎりばっかで大変なの。しかも具が昆布かおかかしかなくて、たまーに梅。」

と。結構ご飯硬いからお年寄りや子供にはつらいね。



○2日目AMのまとめ○

・震災から2ヶ月経っており、避難所からでていく人が多い。ボランティアもそれに合わせて縮小中。

・震災に対する受容が始まっている。今は、今後についての不安が大きい。



今日は拠点事務所に行って、登録とオリエンテーションを行います。

新幹線でいざ仙台へ。

福島を通過。普通の町並みの中に、屋根瓦を修復している家がポツポツとある。ここが被災地であると実感。

震災直後は、この被害や東北への復興の思いを忘れないようにしようと思っていた。でも東京にいて、何不自由ない生活をしていて、やはり気持ちが薄れている。実際に被災地に近づくとやはり心が揺れ動く。

新幹線から見る景色は、普通の農村。田植えしてたり、軽トラが行き交っていたり。でもここは放射能の影響がある。ぱっと見は“普通”の生活なのに、今は“普通”じゃない。

正直に言うと、新幹線が福島の駅を通過するとき少なからず緊張した。Twitterでアメリカの研究機関が、東北新幹線上の駅の放射線量を計測したサイトを目にしたので、やや高めの数値であると知っていたから。冷静に考えれば新幹線に乗っていれば通過する時しか被爆しないから全く問題ないが、やっぱりなんか緊張した。

仙台到着。所要時間1時間40分!早っ!
仙台は車でしか行ったことないからめっちゃ早く感じた。ちなみに下りは1万円だけど上りはキャンペーン中で500円で新幹線利用可能(6月中旬まで)。是非とも継続してほしいキャンペーン。実際ボランティアはお金がかかる!東京からだと高速バス使えば3000円片道で行けるけど6時間くらいかかるし。ボランティア保険の加入とか、色んな装備を揃えると2、3万は飛ぶ。私は今回、交通費やら参加費、装備等を合わせて4万近く飛ぶ(´・_・`)

仙台駅は人が沢山で、被災地の気配を全く感じさせない。店も普通にやってる。大宮より賑わってる印象。

仙石線に乗り換えて事務所のある宮城野原へ。所々の観光案内板に、被災前の松島の写真や三陸の紹介がされていて胸を締め付けられた。

宮城野原へ到着。傍目では何もかも普通の日常がある。あと20キロ程行けば、津波の被害で街が壊滅状態なのに。。。

事務所は古めのマンションを利用している。軽くオリエンテーションしてあとは自由。やることないんで、寝る事にします。明日は3、4時間かけて本宮地区へ。前線に行きます。

ではでは、



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