2021年2月の記録として
開頭手術が終わり病棟も変わり
化学療法が始まった
主治医は血液腫瘍科のその後今現在もずっと診ていただく事になる先生にバトンタッチ
そして当時は中学3年生
院内にある支援学校へ通う事ができた
といっても卒業をすぐに控えていたのでほんの数日だけ
診断名は"髄芽腫"
今回息子は治験に参加する事になっていた
標準治療に+最後のクールを大量化学療法にするというもの
説明を受けていた通り
抗がん剤が始まるとやはり徐々に食べれなくなり
嘔吐、発熱、下痢といった症状が出だす
粘膜障害は本当にきつかった
その間血液や血小板を何度となく輸血してもらいなんとか少しずつ回復をしていった
回復したらまた次のクール
再び副作用に苦しむ姿を見る事になる
こんな治療法しかないのかと
苦しむ我が子を見ながらほんと泣けてくる
途中で自身の造血幹細胞を5時間ほどかけて取り出し
最後の大量化学療法時に備えて凍結保管しておく
医療ってすごいんだなと思ったけれど
大量化学療法…怖すぎる
もちろん脱毛も1クール目の投薬後数日で始まり枕やベットに髪の毛がたくさんおちてコロコロが必需品
コロナ真っ只中だったがクールとクールの間
3~5日の一時退院も数回させてもらった
もし感染したら次のクールに進めないから私はかなり神経質になっていた
仕事や学校へ行く夫と次男にはやかましい位言っていたけどどこか意識の低い感じのする2人に私はイライラ
自宅に戻れて嬉しいけれど
入院付き添い中に一切してこなかった家事と
長男の心配とでなんだかいつもイライラしていた気がする
3クール目から並行して放射線を28回当てることが決まっていた
鎮静をかけると帰り際ストレッチャーに乗せられるのでそれが嫌過ぎて鎮静をかけずに挑む事を本人が選ぶ
とにかく動かずにじっとしている事を本当にがんばってくれた
私は経験した事がないし放射線の部屋の前までしかいけないから本当の息子の気持ちにはなれないけれどあの恐怖によく耐えたと思う
抗がん剤も回を重ねるごとに血球がなかなか回復しにくくなる
病院の食事にもとうとう手をつけなくなってしまって
食器すら見たくないから一口も食べずに下げてと言う
体重も気がつけば15キロ程減
院内のコンビニしかないけれど食べれるものを必死に探しに行く
どこのお母さんも同じ様だった
一口でも食べて欲しいから
当時UFOを食べている子がいてその匂いをキャッチして
「俺も食べてみる」と言った
ミニサイズを完食してくれた
あの時はめちゃくちゃ嬉しかったな
最終クールの頃はマイナス20キロ
ほんとにガリガリになってしまっていた
それでもこの時は
すべての治療を終えたら寛解となり
退院したらまた日常を取り返せるという希望を持って日々がんばっていたんだな
今とはちょっと違うあの頃…