「大丈夫」
子どもの頃から、私はこの言葉をよく使っていました。
本当は大丈夫じゃないときほど、なぜか先に口から出ていました。
「それ、嫌じゃない?」
と聞かれても、
「ううん、大丈夫」
と笑う。
本当は寂しくても、
「大丈夫」
本当は怖くても、
「大丈夫」
本当は嫌でも、
「大丈夫」
そう言えば、その場が丸くおさまる気がしていました。
誰かに心配されるのも苦手でした。
心配された瞬間に、余計な手間をかけさせている気がしたからです。
だから、平気なふりをしました。
泣きそうでも、笑う。
嫌だと思っても、頷く。
断りたいと思っても、
「いいよ」
と言う。
そういうことが、少しずつ上手くなっていきました。
今思うと、上手くならなくてよかったことばかりです。
でも、その頃の私は、そうするしかありませんでした。
嫌だと言ったら、空気が変わるかもしれない。
断ったら、わがままだと思われるかもしれない。
本音を言ったら、面倒な子だと思われるかもしれない。
そう思うと、何も言えなくなりました。
私は、いい子でいたかったんだと思います。
誰かに褒められたいというより、怒らせたくなかった。
嫌われたくなかった。
空気を悪くしたくなかった。
そのためなら、自分の気持ちは後回しにできました。
本当は嫌だったこと。
本当は傷ついたこと。
本当はやめてほしかったこと。
そういうものを、私は自分の中にしまい込んでいました。
そして、しまい込んだあとで、自分に言い聞かせるんです。
これくらい大したことない。
私が気にしすぎなだけ。
みんな我慢している。
私だけが嫌だなんて言ったらだめ。
そうやって、自分の嫌だった気持ちをなかったことにしていました。
でも、なかったことにした気持ちは、消えるわけではありませんでした。
あとから、ひとりになったときに出てくる。
お風呂に入っているとき。
布団に入ったあと。
誰も見ていない場所で、急に胸が苦しくなる。
あれ、本当は嫌だったな。
なんで私、また大丈夫って言ったんだろう。
そう思っても、もう遅い。
その場では笑っていたから。
自分で大丈夫と言ってしまったから。
あとから嫌だったなんて、言えるはずがないと思っていました。
大人になってからも、この癖はずっと残りました。
恋愛でも、
「平気だよ」
と言いました。
本当は寂しかったのに。
職場でも、
「大丈夫です」
と言いました。
本当は手一杯だったのに。
家庭でも、
「別にいいよ」
と言いました。
本当は分かってほしかったのに。
そして、起業塾に入ってからも同じでした。
メンターに言われたことが苦しくても、
「はい、大丈夫です」
と返す。
クライアントに無茶を言われても、
「できます」
と送る。
本当は無理だったのに。
本当は怖かったのに。
本当は、少し待ってくださいと言いたかったのに。
私はまた、大丈夫な人のふりをしていました。
そしてあとから、ひとりで苦しくなる。
夜中にパソコンを開きながら、
「なんでまた引き受けたんだろう」
と思う。
でも、相手に送ったメッセージには、ちゃんと残っているんです。
「大丈夫です!」
その文字を見るたびに、自分で自分を追い込んだ気がしました。
私はずっと、断れない自分が悪いと思っていました。
もっと強くなればいい。
もっと自信を持てばいい。
もっとマインドを整えればいい。
そう思っていました。
でも、たぶんそれだけじゃなかった。
私はずっと、嫌だと言ったあとに起きる空気の変化が怖かったんです。
相手が不機嫌になること。
がっかりされること。
面倒な人だと思われること。
嫌われること。
それを避けるために、私は先に自分を差し出していました。
「大丈夫」は、優しさの言葉だと思っていました。
でも私の場合は、自分を守るための言葉でもありました。
その場を壊さないための言葉。
相手を怒らせないための言葉。
自分の本音を隠すための言葉。
そう思うと、少しだけ見え方が変わりました。
私は何も考えずに引き受けていたわけじゃない。
弱かっただけでもない。
ただ、嫌だと言うことが、ずっと怖かったんだと思います。
そしてその怖さに気づかないまま、
何度も「大丈夫」と言って、
何度も自分を後回しにしてきたんだと思います。
今でも、すぐに言えるわけではありません。
嫌です。
無理です。
できません。
その言葉は、まだ少し怖いです。
でも、せめて気づいていたい。
私が「大丈夫」と言うとき、
本当に大丈夫なのか。
それとも、またいい子でいようとしているだけなのか。
その違いだけは、もう見失いたくないと思っています。